ユゴー ノートル=ダム・ド・パリ

著者鹿島 茂
シリーズNHK 100分de名著 2018 年 2 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2018/02/01(発売:2018/01/25)
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読了2018/02/27

「100分de名著」でこの作品が取り上げられるのは、『ノートルダムの鐘』を劇団四季が1年ほど前から (Wikipedia によると 2016 年 12 月から)やっているためだろうか。

小説は読んでいないが、番組であらすじを知っただけでも感動的な名作であろうことがよくわかる。現代の小説と比べると、キャラが極端すぎて不自然ということになるだろうが、物語が圧倒的な奔流で悲劇の頂点へと押し流されてゆくのだということを知れば、これはこれで一つの型なのだということになる。個々の登場人物の努力ではどうしようもないことが絡まりあって不幸な運命へと突き進むという悲劇らしい悲劇である。

この作品の筋を知ると、『オペラ座の怪人』も思い出してしまう。筋書きに共通点が多い。『ノートルダム・ド・パリ』は1831年に出版され、『オペラ座の怪人』は 1909 年に発表されたのだから、もちろんガストン・ルルーがユゴーの小説も意識しながら書いたのだろうと推測される。両方ともミュージカルになって、劇団四季が上演しているというのも興味深いところである。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 天才ユゴーの驚くべき「神話的小説」

基本情報
『ノートルダム・ド・パリ』は、15世紀のパリを舞台にした神話的小説。近代小説ではない。
ユゴーは、無数の人の声が聞こえる霊媒的人物。
ユゴーの生い立ち
父親はナポレオン軍の軍人で共和派、母親は王党派。両親は両極端だった。父親は愛人を作ってやがて出てゆく。母親はユゴーに禁欲を強いる。
ユゴーは、正反対の両親から生まれたせいか、自分の中に矛盾を抱えていた。しかし、どこかの時点で自分は矛盾を抱えてよいのだと居直ったのだと考えられる。
ちょうど近代が始まったときだった。個人の時代が始まった。ユゴーは、人間一般を描く古典主義から決別して、個人を描くロマン派を先導した。
生まれた年の 1802 年は、フランス革命の後で、ナポレオン政権が安定してきた時代だった。ナポレオンは 1815 年に失脚。
『ノートルダム・ド・パリ』の執筆を始めた 1830 年は、七月革命が勃発した年。
物語のつくり
元祖キャラ小説。はっきりしたキャラを持った登場人物が織りなす物語。
ポリフォニックな小説。ユゴーの中に複数の語り手が存在している。
主要人物
クロード・フロロ:ノートルダム大聖堂の司教補佐。カジモドを育てる。
カジモド:ノートルダム大聖堂の鐘撞き男。二十歳。異形の男。
エスメラルダ:踊り子。十六歳。フェビュスに恋をする。
フェビュス:王室射手隊の隊長。イケメン。
[第1編]物語の始まり~パリ裁判所の大広間の群衆
物語の作者は、ノートルダム大聖堂に「宿命(ギリシャ語でアナグケー)」という落書きを見た。[鹿島: 集団と個人の軋轢を「宿命」と考えたと解釈される。]
「らんちき祭り」の日から始まる。群衆が騒いでいる。
聖史劇が始まろうとしている。しかし、劇は邪魔が入ってなかなか始められない。芝居の作者の一人が詩人グランゴワール。
ノートルダムの鐘番である醜いカジモドが「らんちき法王」に選ばれる。
外の広場では、美しい踊り子のエスメラルダが現れる。司教補佐クロード・フロロは、それを見つめていた。
[第2編]物語の不思議な展開~「奇跡御殿」
カジモドは、クロード・フロロに命じられて、エスメラルダを連れ去ろうとするが、フェビュスに邪魔される。
グランゴワールは、泥棒や物乞いなどの巣窟である「奇跡御殿」に迷い込む。物乞いのクロパンがそこの首領だった。
「奇跡御殿」でグランゴワールは処刑されそうになる。エスメラルダは彼を助けるために、結婚すると申し出る。 しかし、エスメラルダはファビュスに夢中になっていて、本当の夫婦になるつもりはない。

第2回 根源的な葛藤を描く

[第4編]クロード・フロロとカジモド
クロードはガリ勉。ノンキャリア組のトップであるノートルダム大聖堂の司教補佐となった。厳格な禁欲主義者となる。
クロードは、カジモドを拾って育てた。カジモドは、ノートルダム大聖堂の鐘撞きとなり、クロードに忠実に服従していた。カジモドは、鐘の音のために聾になった。
カジモドは大聖堂の鐘を愛していた。クロードは大聖堂の意義や神話を愛していた。
エスメラルダの登場によって、クロードの心に葛藤が生じる。クロードは、カジモドにエスメラルダの誘拐を命じる。
[第6編]カジモドとエスメラルダ
エスメラルダの誘拐は失敗し、カジモドは裁判にかけられ、公開処刑の鞭打ちを受ける。
クロードは、晒し者にされたカジモドを見たが去ってしまう。カジモドが「水をくれ」と叫んだのに応えて、エスメラルダはカジモドに水を飲ませた。カジモドは、生まれて初めて涙を流した。
[第7編]クロードの葛藤
クロードは、エスメラルダへの欲望と理性の間で葛藤していた。
グランゴワールがエスメラルダと結婚したと知ると、クロードは嫉妬に苦しむ。クロードは、「宿命」という字を大聖堂の小部屋の壁に刻み付ける。
フェビュスがエスメラルダと会うことをクロードは知る。クロードは後をつけて行って、その逢い引きを陰から覗いた。クロードは、剣でフェビュスを刺す。エスメラルダが犯人として捕らえられる。
鹿島「ユゴーにとって、嫉妬は実生活でも大きなテーマだった。小説でも嫉妬がインフレーションを起こして、クロードはストーカーのようになる。」

第3回 モテない男の純愛は報われない

今回は第8編、第9編を読む。

エスメラルダの裁判
エスメラルダは魔女裁判にかかり、拷問で魔女であることを自白させられ、死刑を言い渡される。
地下牢のエスメラルダの所にクロード・フロロがやってくる。エスメラルダは、これがフェビュスを刺した男であることに気付く。クロードは、エスメラルダに愛の告白をし、自分がエスメラルダを陥れたことも告白する。しかし、エスメラルダには拒絶されてしまう。
鹿島「クロードは自らの学識を誇って愛を告白するが、エスメラルダにとっては単なるストーカー。」
鹿島「男というものは、しばしば自分が努力で獲得したものを女が評価して愛してくれると錯覚している。男の身勝手な恋愛の典型。」
エスメラルダを救うカジモド
エスメラルダは公開処刑されそうになるが、カジモドが大聖堂の中に連れ去る。大聖堂には、司直の手も及ばない。
カジモドは、エスメラルダを駆け込み人を収容する小屋の中に匿う。
カジモドはエスメラルダに献身的に尽くすが、エスメラルダはフェビュスのことが忘れられない。
カジモドは、フェビュスを大聖堂に連れてこようとするが、失敗。カジモドは、エスメラルダに追い払われ、それ以来、陰からエスメラルダを見守ることにする。
鹿島「カジモドの愛は寅さん的。醜い男の不器用な純愛。モンスターの純愛という意味では、キングコングもこの系譜の子孫と言える。」
鹿島「エスメラルダは、いわば大衆のアイドル。」
クロードの嫉妬
クロードは、エスメラルダが処刑されたものと思っていた。
やがて、クロードは、カジモドがエスメラルダを匿っていると知り、エスメラルダの部屋に忍び込むも抵抗される。
そのとき、カジモドが怪しい侵入者を連れ出すが、それがクロードであることに気付いて後ずさりする。クロードは、カジモドを蹴飛ばして去る。
クロードは、カジモドにまで嫉妬する。
鹿島「クロードはストーカー、カジモドはオタク、フェビュスはホスト。」

第4回 炸裂する映画的想像力

映画的描写
作品のいろいろな場面で映画的な描写が見られる。映画を先取りした小説であると言える。
俯瞰、クローズアップ、ロングショットといったテクニックが使われている。
クロードがフェビュスを尾行する場面では、クロードを黒い人影として描いている。
冒頭や第10編では、壮大なモブシーン(群衆場面)が描かれる。
[第10編]大聖堂襲撃とカジモドの防戦
クロードとグランゴワールは、奇跡御殿の人々を唆してノートルダムを襲撃させる。彼らは、エスメラルダを救出して大聖堂を略奪しようとする。
カジモドは耳が聞こえなかったので、彼らがエスメラルダを襲うのだと思い込み、必死の防戦をする。
戦闘の中で、ジャン・フロロがカジモドに殺される。
カジモドは劣勢になり、ノートルダムが陥落寸前になったところで、王の軍隊がやってくる。軍隊の一斉射撃によって、奇跡御殿の軍団は敗走する。
[第11編]エスメラルダの死
戦闘の間に、クロードとグランゴワールがエスメラルダを外に連れ出す。
クロードはエスメラルダに自分か絞首台かの二者択一を迫る。エスメラルダは絞首台を選ぶ。
エスメラルダは「おこもりさん」の老女のところに連れて行かれるが、実は老女がエスメラルダの母親であることがわかる。
老女はエスメラルダを隠そうとするが、フェビュスの声を聞いたエスメラルダが思わず叫んだため、憲兵隊に見つかってしまう。
カジモドは、大聖堂の塔の上から死刑台を見つめるクロードを見て、その視線の先でエスメラルダが絞首刑に処せられるのを見る。カジモドは、クロードを突き落とす。
しばらくたって、エスメラルダの骸骨を背骨が曲がった男の骸骨が抱きしめているのが見つかる。引き離そうとすると、骨は粉々に砕け散った。
鹿島「カジモドがクロードを殺すのは、フロイトの言う父殺しの場面である。子供が父親を乗り越える場面である。」
ユゴーのその後
1830年から七月王政、1848年から第二共和政、1851年から第二帝政。
皇帝ナポレオン三世に反対していたユゴーは、ベルギーに亡命する。その後、亡命生活は19年に及ぶ。その中で、1862年に『レ・ミゼラブル』が発表される。
1870年から、普仏戦争の中でナポレオン三世が失脚し、ユゴーは帰国。民衆から熱狂的に迎えられた。フランスはやがて第三共和政となる。
1885年、ユゴー死去。国葬となる。