スピノザ エチカ

著者國分 功一郎
シリーズNHK 100分de名著 2018 年 12 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2018/12/01(発売:2018/11/25)
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読了2018/12/28

スピノザは、汎神論と言われるせいか全く興味を持ったことがなかったが、この番組で解説を聞いてみると、 科学的な考えを持った人だと分かって興味深く聴くことができた。 汎神論というのは、結局自然をありのままに受け取るということのようだ。 「神」を「自然の摂理」という言葉で置き換えれば、立派に現代の無神論に近い。 スピノザが 1632 年生まれということは、1643 年生まれのニュートンと同時代人ということで、 近代的数理自然科学が生まれようとしている時代だったということなのだろう。

自由意志を否定しているというのもなかなかに現代的で親近感が持てる。 著者も書いているとおり、自由意志を硬く信奉すると、過度な自己責任論に陥りやすい。 所詮、そんなに自分の心は自分の思い通りになるものではないし、自然法則の支配下にあるのだし、 大きく周囲の影響も受ける。自分が意識するより前に脳はすでに決定を下しているという実験結果もあるそうだし (もちろんその実験の解釈は微妙ではあるが)、自分で思っている程には意志が行動を決定するわけではない。 肩の力を抜いて生きたいものである。

ただし、第4回の真理論は、私は著者の見解とは異なって、スピノザの考えにあまり現代的な意味はないと思う。 真理は自ずとわかる、みたいな考えは、量子力学や相対論などを学んでしまうと、そんなものではないということははっきりわかる。 もちろん量子力学や相対論が永遠の真理かどうかはわからないが、より正しい理論が見つかるとしても、後戻りすることはないので、 いずれにせよ直感的にわかりやすいものではないだろう。さらに、哲学的に言っても、科学的実在論論争などを学んでしまうと、 スピノザにしてもデカルトにしても今から見れば議論として全く未熟であることは明らかである。 ここで紹介されているフーコーのように「真理に到達するには主体が変容を遂げなければならない」というのは、 現代科学を学ぶことによってものの見方が変わると言い換えればその通りではあるが、スピノザを持ち上げるまでもないことだと思う。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 善悪

ベネディクトゥス・デ・スピノザ (1632--1677)
17世紀のオランダ生まれのユダヤ人。祖先はスペイン系。
ユダヤ教と訣別した孤高の哲学者。といっても、釣りの達人であったり、人生のさまざまの楽しみに通じていた。
著書『神学・政治学』(1670年) は、キリスト教により発禁処分にされた。
『エチカ』
『エチカ』は 1661 年頃から 1675 年頃まで書かれた。生前の出版はかなわず、遺稿集の中に収められた。
「エートス」はもともと棲家という意味。『エチカ』では、棲家に合わせて生きる生き方を考える。
定義、定理、証明の繰り返しという数学書のような書き方で書かれている。
全体は5部構成。最初は取り付きにくいので、第4部から読むのがおすすめ。
神は無限大。だから、神様の外側はない。私たちも皆神の一部である。
ということは、神即自然。つまり、神は宇宙そのものである。神という言葉を使ってはいるが、自然科学的な考え方である。
善悪
第4部「人間の隷属あるいは感情の力について」で善悪の問題が扱われている。
善し悪しを「○○すべし」という「命令」では考えない。
人がものについてあらかじめ思い描いているイメージを「一般的観念」と呼んだ。人は、それと一致したものを「完全」、一致しないものを「不完全」と呼ぶ。しかし、これは偏見であって、自然の中に完全も不完全もない。
善悪の基準も相対的なものでしかない。善悪は組み合わせの結果。「音楽は、憂鬱の人には善く、悲傷の人には悪しく、聾者には善くも悪しくもない。」
われわれの活動能力を増大したり促進したりするものが善、減少したり阻害したりするものが悪。だから個人ごとに善悪には違いがある。
賢者とは、いろいろな楽しみがわかっている人。

第2回 本質

コナトゥス conatus
スピノザは「力」を重視していた。
すべての存在には自分を維持しようとするはたらき(コナトゥス)がある。今で言えば、ホメオスタシス。これがものの本質であると考えた。
コナトゥスは「努力」と訳されるが、この訳はあまり良くない。コナトゥスは、方向性を持った力のこと。
それまで、本質をこのようにとらえたことはなかった。従来は、本質を外形(エイドス eidos)でとらえていた。
これから導かれる倫理のあり方は、「男だから」「女だから」といった外見ではなく、個々人の傾向性に基づいて考えることになる。
欲望
欲望とは意識を伴った衝動である。これは、自分を維持しようとするはたらきであるという意味では各人の本質である。
あるものが刺激を受けてある性質を持つようになったものをスピノザは「変状」と呼ぶ。
それまでは、欲望は否定的にとらえられていた。スピノザは中立的にとらえている。
感情
感情は、変状のひとつ。
喜びは、完全性が大きくなる変化に対して生じる感情。悲しみは、完全性が小さくなる変化に対して生じる感情。 スピノザは、感情は、基本的には、喜び、悲しみ、欲望の3つに分けられるとした。
賢者
刺戟に対する適性を高めるものは有益、適性を減少させるものは有害。
多くのことを楽しむ事が出来る人は賢者である。
死とは死骸になることだけではない。何らかの理由で大きく本質が変わったら、生まれ変わったとみなすべきである。
神は唯一の実体であり、あらゆるものは神の変状である。各個物は神の属性の表現するモードである。
スピノザは、心身二元論を批判し、心身平行論を取っていた。つまり、心と体は分けられないものとした。 心は、事態の思惟の属性であり、体は、事態の延長の属性である。
時代背景
英蘭戦争が起こるなどして、オランダは混乱に陥る。
民衆の標的は共和派に向いた。
そのあおりで、共和派のヤン・デ・ウィット兄弟が虐殺される。
こういったことがあって、多くの哲学者が情念論を書いている。
スピノザは、感情を分析することで、感情をコントロールしようとした。

第3回 自由

自由意志と意識
自由意志があるというのは誤り。意志にはさまざまの原因がある。欲望の原因は意識できない。 意志は自分が決めていると思いがちだが、そんなことはない。
行動は意志が一元的に決めているのではなく、多元的に決定されている。意志は行動の原因の一つに過ぎず、 その意志にも多元的な原因がある。
意識は観念についての観念である。
自由
私たちの本性の必然性にうまく従って行為できたとき、自由であるという。
他から強制されによって本性が踏みにじられた状態が不自由な状態である。
自殺
自己の本性が外部の原因によって制圧されてしまったときに人は自殺する。
受動と能動
受動=自分以外の力や本性を表現している
能動=自己の力や本性を表現している
たとえば、カツアゲされてお金を出すことは、自らしている行動ではあるが他者に強制されているので受動。
きちんと感情を分析すると、受動的な部分を減らして能動的な部分を増やすことができる。
現代社会と意志
現代では、人々は「意志」や「選択」を信じすぎている。 行動は、意志によって一元的に決定されているのではないから、過度な自己責任論は禁物。

第4回 真理

17世紀
17世紀は現代につながる思想の転換点だった。たとえば、近代哲学の基礎を作ったデカルトがこの時代の人である。
真理
スピノザによれば、真の観念を獲得すれば、それが真であることはおのずからわかる。真理を獲得すれば、自ずから納得できる。
スピノザによれば、真理は真理と虚偽の基準である。ということは、真理の外側に真理の基準はないということである。真理自身が真理の基準である。
一方で、デカルトは、本当に確実なことがらを求めて Cogito ergo sum に至った。デカルトの真理は、公的な精査に耐えるものでなければならない。
デカルトの真理は、人々を説得する真理。スピノザの真理は、私的な体験である。真理を獲得するということは、自分が変わるという体験。たとえると、自転車に乗ることができるようになるということは、体得することであって、他人と共有できることではない。
幸福への道は、知性を獲得すること。
公共性
人間にとって人間ほど有益なものはない。
共同の利益を慮る社会が良い社会。
古代ギリシャの考え方では、「スコレー=暇、ゆとり」が自己を高めるのに大切。「スコレー」はschoolの語源。
AI と現代
AI には想像力がない。自分と他者という感覚がないから欲望もない。