文系と理系はなぜ分かれたのか

著者隠岐 さや香
シリーズ星海社新書 137
発行所星海社
刊行2018/08/24、刷:2018/10/04(第3刷)
入手九大生協で購入
読了2018/12/25

第1章と第2章は、コンパクトにまとまっていてわかりやすい大学史である。とくに、理系と文系の別の成立に重点を置いて書かれている。 理系と文系の区別には結構曖昧な部分があり、著者も最後の第5章でいろいろな論点を紹介している。 著者は、歴史を踏まえて、「理系」を人間を世界の中心とする見方から距離をとる方向性、 「文系」を神様や王様中心の秩序から離れて人間中心の世界秩序を追い求める方向性 ととらえている(第1章の終わり近く)。

著者は、4章でジェンダー問題を取り上げる。性差の問題はいろいろ微妙である上、ポリティカル・コレクトネスの問題もあるので、 バランスよく論じるのが難しい。著者は、できるだけバランスよく論じようとしていることは良く分かるのだが、私の感覚では、 本書は、章タイトルに性差ではなく「ジェンダー」という言葉を使っていること自体、「社会や環境から押し付けられた性」という視点に偏っている。 私が思うに、生まれつきの性差がどれほどかきちんと論じる土台(科学的な証拠)が不足している以上、どうやっても議論が偏るので、 あんまり議論しても意味がなくて、実際問題としては、個々人の個性に誠実に向き合うということしかないと思う。 その結果として、集団全体として性差が出てしまったとすればしょうがないということになる。 日本が欧米に比べて遅れているような議論もあるが、これまた欧米の女性の態度は日本の女性とだいぶん違うし、 それが生まれつきの民族差なのか社会から押し付けられたものなのか、押し付けられたにせよどちらが幸福なのか、考え出すとよくわからない。 結局のところ、違いがあるのがいけないわけではないので、差をなくすことよりも幸福になれるやり方を考えたいものである。

サマリー

第1章 文系と理系はいつどのように分かれたか?―欧米諸国の場合

  1. 中世の大学と学問観
    • 大学制度は 12 世紀頃のヨーロッパで定着した。上級学部は、神学、医学、法学の3つで、それぞれ聖職者、医者、弁護士の養成学校だった。 その下に文法、修辞学、論理学および弁論術、算術、幾何学、音楽、天文学の自由学芸七科が今で言う教養のようなものとしてあった。 ただし、医者というのは今で言う内科医のことであり、外科医は職人ということで下に見られた。
  2. 「理系」の黎明期とアカデミーの誕生、そして衰退 (17~18世紀末)
    • ガリレオ・ガリレイ (1564--1642) は、宇宙は数学で書かれているという見方を示し、実験を重視した。これらは新しい見方であった。
    • ルネサンスから 17 世紀前半にかけて、古代ギリシャ・ローマ文明やイスラム文化の研究がアカデミー(あるいはソサエティー)という同好会で行われた。
    • アカデミーの活動は、やがて王侯貴族によって保護されるようになってきた。1635 年にできた Académie Française 、 1662 年の英国 Royal Society、1666 年のパリ王立科学アカデミー (L'Académie Royale des Sciences) などが代表的である。
    • Royal Society は、科学の専門誌の先駆け Philosophical Transactions を発行するようになった。 パリ王立科学アカデミーは、査読制度を始めた。当時のフランスは、宗教的な検閲が厳しかったので、 かえって宗教から独立した内容の論文が書かれるようになった。
    • 18 世紀後半には、フランスが科学研究の中心となった。
    • 産業革命を背景に、1771 年、民間の技術者団体である土木技術者協会がスコットランドで作られた。
    • フランス革命 (18 世紀末) を機にして、アカデミーにおける研究活動は衰退した。
    • 1794 年、フランスで技術系人材育成機関として École polytechnique の前身ができた(翌年、現在の呼称に改称)。
  3. 「文系」成立前夜―人文社会科学の黎明期 (16 世紀末~19 世紀前半)
    • 近代的な人文科学研究の成立は、自然科学よりも新しい。
    • 中世ヨーロッパにおいては、王権と教会の権力が強大だったので、今でいう人文社会系の学問は存在しなかった。
    • ルネサンス期に人間中心主義が、宗教改革によって自分の頭で考えるという考え方が広まった。
    • ルネサンス期には文献学の方法が発展し、人文系の基礎が作られた。
    • マキャベリやホッブズが近代的な政治学や国家論の始まりである。
    • 18 世紀には啓蒙思想が流行した。しかし、まだ学問の自由はなかった。ただし、オランダなどは比較的自由だった。
    • アダム・スミスの『国富論』(1776) は、経済学の原点である。他の国でも同時期に経済学の母体となるような政治思想が生まれてきていた。
    • このころ、「社会科学」という概念も生まれた。ただし、当時は「道徳政治科学」という概念でくくられることが普通だった。
  4. 近代大学の成立と自然科学・人文社会科学の制度化 (19 世紀以降)
    • 19 世紀、ドイツで近代的な大学が生まれた。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトは「学問の自由」を掲げた。 大学が、研究と教育を同時に行う方式に転換された。
    • ドイツから「ゼミナール方式」が広まった。
    • エマニュエル・カントは、社会的に有用ではない学問(とくに哲学)の重要性を主張した。
    • リービッヒが実験教育制度を作った。20 世紀初頭までにこの方式は他国にも広まった。ただし、教育の効率は良かったが、学問の蛸壷化の方向性を作ったという負の側面もある。
    • 世界で初めて総合大学に工学部を作ったのは、日本の帝国大学(現東京大学)だった (1886 年)。グラスゴー大学の出身者などが異国の地で理想の工学教育を実現しようとした。
    • 古典派経済学が 19 世紀前半の英国やフランスで形成された。
    • 19 世紀中ごろ、「社会」という概念がコントやスペンサーによって作られた。
    • 1870 年代から限界効用の概念を軸として近代経済学が出てきた。1890 年代には新古典派が定着した。
    • 1890 年代から、マックス・ヴェーバーらが社会学の定性的な方法を定着させた。一方、エミール・デュルケムは、統計学を社会現象に応用した。
    • 19 世紀後半、ハインリッヒ・リッケルトは、「文化科学」という概念を作り、自然科学と対置した。
    • 文学研究が大学に根付いたのは 19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて。
  5. 「二つの文化」はあるのか?
    • スノウが『二つの文化と科学革命』を著したように、学問を文理の二つに分ける感覚は欧米にもある。
    • 英語圏では、「文系」を人文社会科学 Humanities and Social Sciences (HSS) と言い、「理系」を理工医学 Science, Technology and Medicine (STEM) と言う。

第2章 日本の近代化と文系・理系

  1. 東アジアにおける学問体系―「道」と「学」・「術」
    • 中国においては「道」の追求が重視された。儒教や道教が重視され、これらは「学」と呼ばれた。技術的なものは「術」と呼ばれ、 「学」よりも低く見られた。
    • 東アジアでは、「自然」と「社会」はそれほど区別されなかった。
  2. 「蘭学」の経験と江戸時代日本
    • 日本は、西洋の学問を迅速に取り入れた。その要因として (1) 軍事政権だったため、技術への関心が高かったこと (2) 分権的な国て、小回りが利いたこと、が挙げられる。
    • 18 世紀から 19 世紀初頭にかけて「蘭学」「洋学」がブームになった。
  3. 「窮理」としての科学・技術
    • 幕末には、軍事技術習得のために西洋の諸学問を学ぶ必要があるという考えは一般化した。
    • 明治初期、津田真道は、仏教と儒学を「虚学」とし、西洋の「格物化学医学経済学希哲学」(格物=物理、希哲学=哲学)などを「実学」とした。
  4. 「道」としての西洋
    • 福澤諭吉は、民族の独立のためには、一人一人が理性的な思考を行える独立した個人にならなければならないと考えた。
    • 明治政府は、キリスト教の代替物として国家神道を作った。
  5. 「文」と「理」観の形成―学問制度と官僚制度
    • 西周は、西洋の学問が専門分化していることに驚いた。そこで、science に「科学」の語を当てた。西は、西洋の近代的諸学問の体系を日本に伝えようとした。
    • 1877 年に東京大学が作られ、法・理・文・医の4学部が置かれた。このころから「文」「理」の用法がだんだんと定着してくる。
    • 1910 年代の高等学校令で文科と理科という区分ができて、文理の二分が定着する。
  6. 戦争の足音と苦悩する人文社会科学
    • 戦争が近づいてくると、政策が理工系重視になってくる。学徒動員は文系学生を中心に行われた。
  7. 「科学技術立国」のままでよいのか
    • 戦後の高度経済成長も理工系重視を後押しした。
    • 文系学生の9割は私立大学に在籍している。

第3章 産業界と文系・理系

  1. 文理選択と新卒学生の就活
    • 就職に際して、大学で学んだことの何が評価されるのかは難しい。
  2. 文系学部の大学教育は就活で評価されない?
    • 文系学生の就職に際して、企業は、学んだ内容よりも、論理的な思考能力、文章作成能力、知的好奇心、対話能力などを 評価しようとしている。
  3. 理系の「専門性」はどこまで企業で重視されるか?
    • 理系にしても、大学で学んだ専門的な内容が直接活かされる場合は少ない。
  4. 理工系博士と企業とのミスマッチ
    • 博士卒の就職は難しい。博士卒の専門分野が生きるのは、機械系と電気・電子系のみ。
  5. 欧米企業と博士号取得者
    • 欧米では博士号取得者の雇用が進んでいる。日本では、新卒一括採用が行われ、教育は企業内ですることになっており、 採用者に専門性が求められない。一方、欧米では、博士人材に、専門知識のみならず、外部資金の獲得や知人のネットワークの獲得が期待されている。
  6. アカデミック・キャピタリズムと「文系不要」論争
    • 2015 年ごろ、日本で文系不要論が話題になった。欧米でも同様の論争がある。 背景には、新自由主義が大学経営の市場化路線を進めたことにある。儲からない人文系を切れという訳である。
  7. 「儲かる理工系」思想の源泉―イノベーション政策1.0
    • 高度成長期には、技術革新によって経済を成長させるという考えに基づいた政策が取られた。 これを「イノベーション政策1.0」という。ということで、理工系が拡充された。
  8. 「儲かる理工系」の実現化―イノベーション政策2.0
    • 「イノベーション政策1.0」の時代には、大学と企業の役割は異なるとみなされていた。大学は知識を生み出し、企業はそれを製品に変える。
    • 日本の高度成長の研究などから、(1) 大学の研究成果を市場化するための政策が必要であり、(2) ユーザーからのフィードバックなどのコミュニケーションが大事だ、という結論が得られた。
    • そこで、とくに米国では、1980 年代から大学と企業への連携を促す政策が取られ、情報系、生命科学系、薬学系のベンチャー企業が数多く生まれた。 このような政策を「イノベーション政策2.0」と呼ぶ。
  9. 理工系博士の活躍できる国、できない国
    • 「イノベーション政策2.0」は米国で成功した。アップル、グーグル、マイクロソフト、アマゾン、フェイスブックが世界的企業になった。
    • こうした先端的企業には、博士号取得者も多く就職している。
    • 日本は、イノベーション政策2.0に乗り切れなかった。大企業志向で起業がさかんでないこと、経済発展の社会科学的な分析が不十分だったことなどが原因として考えられる。
  10. 高学歴競争の過熱と不平等の拡大
    • イノベーション政策2.0の負の側面に、国内での経済的格差の増大がある。
  11. イノベーション政策3.0と人文社会科学系―SDGsとSTEAM
    • 欧米では、不平等の拡大や環境が問題視され、「イノベーション政策3.0」が唱えられつつある。経済、環境、社会が三本柱である。
    • こういった枠組みでは、STEAM (STEM + Arts) 、すなわち人文社会科学と自然科学技術の協調が重要である。

第4章 ジェンダーと文系・理系

  1. 日本は進路選択の男女差が大きい国である
    • 日本は他の OECD 諸国と比べ、特に理工系を選択する女性が少ない。社会科学系も少なく、反対に、人文科学系や福祉・家政系に女性が極めて多い。
  2. 分野適性と性差、困難な問い
    • 性差を議論するのは難しい。たとえば、対象とする人が、全人口なのか、大学に進学する人だけなのか、研究者なのかでだいぶん違う。
  3. 知能テストや学力テストからみえてくること―数学と科学の場合
    • 知能テストや学力テストで性差はあるようにも見えるが、時代による変化も大きいし、国や地域による違いもあるので解釈が難しい。
    • 理系科目で、男子の方が女子よりもよくできているように見える一因として、「自信の有無」「問題の出題形式」がある。
  4. 「生まれつきの才能」イメージの危険性
    • 自信を喪失させると成績が上がらない。したがって、差別が性差を生む要因である可能性がある。
  5. 認知機能の性差とホルモン・脳・環境
    • 生まれつきの性差があるという研究もあるが、いろいろ怪しい点も多い。
  6. 男性はどのように理工系に引き寄せられ、女性はどのようにそこから遠ざかるのか―ジェンダー役割とステレオタイプ
    • 親や教師の子供に対する態度がジェンダーの差を増幅している。ほかにも様々な社会的な環境が進路選択に影響を与える。
  7. ジェンダーステレオタイプ(思い込み)と研究職の世界での差別
    • 男性中心の研究者の社会での女性の振舞い方は難しい。
  8. ジェンダー格差はなぜ問題視されるのか
    • ジェンダー格差を問題視する背景としては (1) 性差別の問題 (2) 理系離れの問題 (3) 多様性の確保の問題がある。
  9. 男性と言語リテラシー問題?
    • 近年、男性の間で経済格差が広がっているという問題があり、とくに言語能力が低いと職を得づらくなっている。

第5章 研究の「学際化」と文系・理系

  1. 文系・理系の別は消えていくのか?
    • 学際化が奨励される一方で、文系と理系の対立のような議論もある。
  2. 学際化と教育―文系・理系を区別した教育は古い?
    • 学際的な学部が増えている一方で、そのような教育が必ずしもうまくいっているわけではない。
  3. 「リベラルアーツ教育」と教養への回帰
    • 最近は教養教育が復活する傾向にある。背景としては、環境・エネルギー問題など科学・技術と社会の関係が問題になっているということがある。
  4. 研究の世界では何が起きているのか―学際化と分類概念の動揺
    • 学術振興会の分野一覧表を見ると「総合系」という理系と文系の中間的な分野がある。情報学、環境学、脳科学などがこれに入っている。
    • 学際的な研究は、最先端の動向の把握とその評価が難しい。
  5. 「学際化」と学問「統一」の欲望
    • 昔から何度も学問統一への動きがある。しかし複合的な学問が、ナチスの人種衛生学など政治的な方向に行ってしまうこともある。
  6. 諸分野はどのように異なっているか―方法と分類
    • 自然科学が常に普遍法則を目指しているかというと、進化論とか地球科学とかそうでない分野もある。
    • 社会科学には、人文科学と自然科学の中間的な性格がある。事例を重視する部分がある一方、一般理論やモデルを考えるという側面もある。 実証主義と解釈主義の両方の立場がある。
    • 人文科学は個性記述的な傾向が強い。
    • 数学や論理学のような「形式科学」とそれ以外の「経験科学」という分け方もある。
    • 「実学」と「虚学」という分類もある。
  7. 社会科学の自然主義化―試みと論争
    • 社会科学と自然科学化しようとする「社会生物学」は激しい論争を巻き起こした。
  8. 学際的分野と不確実性、政治性
    • 環境科学のような分野は政治論争を引き起こす。バイアスを逃れるのは難しいので、いろいろな見方をすることが重要。
  9. 複数の文化アプローチ―集合知としての学問
    • 学問分野の多様性を分析して、それを活かしたい。
  10. 変容する科学とその行方
    • 研究への市民参加という方向性がある。
    • 科学研究の対象が複雑になってきているので、グループによる研究が増えてきている。