西郷隆盛 南洲翁遺訓

著者先崎 彰容(あきなか)
シリーズNHK 100分de名著 2018 年 1 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2018/01/01(発売:2017/12/25)
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読了2018/01/29
参考 web pages 西郷南洲翁遺訓集 in 敬天愛人フォーラム21
遺訓 in 青空文庫
南洲翁遺訓 in Wikipedia

今年の大河ドラマが西郷隆盛が主人公ということで、NHK はそれにちなんだ番組をいろいろやっており、これもその一環。 幕末の人なので、戦国時代などよりもずっと資料が多いから、多彩な番組が作れるということだろう。 去年の井伊直虎みたいな人だとあんまり何も残っていないから、「100分de名著」のような番組では取り上げられない。

西郷は 49 歳で亡くなっていながら南洲「翁」と呼ばれるわけで、50 歳を過ぎた私としては、大人物は違うのだなと思うだけである。しかし、そう言ってしまうのは南洲翁の教えには反している。自分もそうなるように努めなければならないというのが南洲翁の教えのはずだ。

4回を通じてわかることは、強烈な使命感と「天」に対する信頼が西郷を動かしていたのだということだ。それは陽明学によるものだった。古典の力は強いものである。 しかし、もしそういう人に会えたら聞いて見たいことがある。「天」という判断基準があっても、世の中にはなかなかどちらが正しいのかよくわからないことがある。そのときにどう行動するかということである。 もしかすると、西南戦争がそういうときだったのかもしれない。たぶん、西郷はここで戦争を起こすのは正しくないと思ったのだろう。しかし、自分の許に集まってきた若者を見殺しにするのも正しくない。そこで、自害をもって解決する道を選んだのに違いない。 行動の人が誠意を通そうとすると、自害が待っているものかもしれない。第4回で西郷を評価した人として紹介されている三島由紀夫も、最期には自害を選んだ。

『南洲翁遺訓』は短いので、原文がネット上にいくつか転がっている。例が、上記参考 web pages である。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 揺らぐ時代

『南洲翁遺訓』基本情報
刊行は明治23年。43ヶ条で構成される。
旧庄内藩の藩主や家老らが出版した。
背景としては、以下の事情がある。幕末、薩摩藩と庄内藩は対立する。西郷は、敗北した庄内藩に対して厳しい処分を行わなかった。そこで、旧庄内藩士は西郷に教えを請うようになった。
明治22年に西郷の名誉回復がなされたのを受けて、旧庄内藩士が刊行した。
西郷隆盛の人生
28歳(数え年)の時、島津斉彬の参覲交代に従って江戸に行く。庭方役という各藩との情報連絡役であった。
32歳の時、安政の大獄と斉彬の急死に伴い、西郷は窮地に陥り、自殺未遂。その後、島流しになって5年近く離島での生活を送る。
その後、38歳で離島から戻り、主に40歳代に政治の表舞台で活躍する。廃藩置県と徴兵制を断行した。47歳で下野。
51歳に西南戦争で自刃。
西郷の政治や欧米の制度に対する考え方
[第8条]欧米の制度を取り入れようとするなら、国の基本(国柄)を確定して自分たちに合っているものを徐々に採用するべきだ。そうでないと欧米に支配されてしまう。
[第12条]西洋の刑法は、人を善良に導こうとするもので、これこそ文明だと感じる。
[第2条]賢人が役人を統括し、政権を天皇に集中して、国の基本を確定しなければ、政府の方針が一定しなくなる。
[第2条の背景]当時の政府は混乱していた。政治家や官僚が出身藩の利害に縛られていたためである。
[第1条]天皇の政府の役人になるということは、天から与えられた道理に従うということだから、出自にこだわってはいけない。適材適所を行うべきであって、論功行賞で役職を与えてはいけない。
[第10条]外国になんでも見習えば良いというものではない。必要なものをよく吟味せよ。座標軸を持っていることが大切。軽佻浮薄ではいけない。
[第10条の背景]鉄道、郵便、電信の整備。
[第4条]今の政府は腐敗しており、戦死者に対しても面目ないと、南洲翁は涙を流した。

第2回 「敬天愛人」の思想

理想の人間像
[第26条]自分を甘やかすのがよくない。
[第29条]天から与えられた道を実践すべし。物事がうまくいくかどうかとか生死とかはどうでもよいこと。道を行うのに上手下手はない。
儒教の影響
寛政の改革のときに、朱子学のみが幕府の学問となる。
西郷は、朱子学・陽明学の佐藤一斎の影響を強く受ける。特徴は、立志、天人合一思想。
「天人合一思想」の骨子は、人の使命は天から与えられるもの、ということ。
明治維新の近代化を支えたのは、このような儒教思想であり、西洋近代のような政教分離ではなかった。
「天」は具体的な政治体制ではなかった。「天」は普遍的な概念なので、革命を起こすことを妨げるものではなかった。維新の志士たちにとって、自分たちが従うべきものは、今の政治体制ではなくもっと高いところにある「天」であった。
敬天愛人
[第21条]講学の道は敬天愛人、修身は克己。
[第25条]天を相手にせよ。人を咎めず、自分に真の心が不足していることを認識せよ。
動乱の時代にあって、「天」という高いものを信じる。
陽明学
スローガンは、知行合一、到良知。
陽明学では、自分の内面性を突き詰める。
知行合一(ちこうごういつ)=行動を「理」(万物の根拠)と一致させる。
到良知(ちりょうち)=人が本来持っている道徳心を実践する。
西郷は陽明学の影響を強く受けた。
[第36条]聖人・賢人の行いを知識として知っただけでは無意味で、自分でもそのように行動できるようにならなければならない。
『西郷南洲翁遺教』より
生と死の違いはない。一身がそのまま天の理になることが修身。死もなくなる。天から授かったものをそのまま返すだけのことである。
邪な心をなくして理に合致すれば、清く正しい行いができる。
現代人にとっての「天」とは?
古典を読むこと。

第3回 「文明」とは何か

理想の文明
[第17条]外交においては、道理に従って正しいことをなすことが大切。強国相手に萎縮しては、軽蔑され、干渉される。
[第17条の背景]アヘン戦争からの中国の植民地化。
[第11条]西洋は野蛮だ。本当の文明の国なら、未開の国に対して慈愛の精神を持って接するはずだろう。実際は、未開の国に対して残忍である。
[第11条の背景]当時は最初のグローバル化の時代で、弱肉強食であった。
西郷にとって文明とは、道が普遍的に行われることであった。
国家の役割
[第16条]節操、義理、廉恥が国にとって重要。利益を優先してはいけない。普仏戦争でフランスが負けたのは、フランス軍が計算高かったから。
[第18条]国が辱めを受けようとしているときは、道義を尽くす。いざとなれば、戦争もやむなし。
中江兆民と西郷には通じるところが多かった。政治における道徳の重要性を強調した。
[第9条]忠孝と慈愛は政治の基本。これはいつでもどこでも変わらない。
征韓論と西郷
征韓論とは、武力を持って朝鮮に開国を求めること。
これまでの理解だと、士族の不満をそらすために、西郷は征韓論を唱えた。
実際は、板垣は征韓論を唱えたが、西郷は平和的外交をしようとしていた。西郷自身は、自身が威儀を正して朝鮮を訪問したいと考えていた。
西郷を追い落とした大久保らは、江華島事件(朝鮮を武力で挑発して無理矢理開国させた)を起こす。西郷は、これは恥ずべきことだと述べている。

第4回 時代を映す「古典」

西郷の評価
死後は政府から逆賊扱いされたが、庶民からの人気はずっと高かった。
今回は四人の知識人による見方を見てゆく。
福澤諭吉による評価
福澤は、西郷を弁護する論文を執筆。曰く、武力蜂起には賛成できないが、西郷は抵抗精神の重要性を示した。
新聞が西郷に批判的だった中で、福澤は擁護した。曰く、政府権力に歯止めをかけるには、抵抗の精神しかない。
西郷が抵抗した対象は、①明治新政府②ジャーナリズム③知識人。当時の多くの知識人は、政府に入りたいと思っていた。
福澤は、不平士族は地方自治から始めて国政に関わっていくべきだと考えていた。
内村鑑三による評価
『代表的日本人』には、『南洲翁遺訓』からの引用がある。
[第30条]命も名誉も官位も金もいらないという人物は、権力から見ると手に負えない。そのような人物でなければ、国家の大業を成し遂げられない。
天を信じることは、自己自身を信じること。西郷は陽明学から、内村はキリスト教から強烈な自負心を得ている。
三島由紀夫による評価
随筆『革命哲学としての陽明学』に『南洲翁遺訓』からの引用がある。
[第36条]過去の賢人聖人の言動を知って自分にはできないというのでは、卑怯な態度である。口先だけではいけない。実際に自分で行動せよ。
三島は、陽明学を学んだ大塩平八郎をも評価する。
三島曰く、聖人と自分は同格でなければならない、自分が日本一だと思わないと役には立たない。
三島は、明治以降の近代化・西洋化が間違っていたと考えた。天皇の本来の役割は「文化」を司ることだと考えていた。
司馬遼太郎による評価
『翔ぶが如く』では、司馬が西郷に批判的であることがわかる。曰く、西郷は維新後の青写真を持っていなかった、西郷は日本における最初の野党だった。
55年体制における野党の問題点は西郷から始まる、と司馬は考えた。政権を取る気もないのに批判ばかりするとか、外交問題を焚きつけてナショナリズムを喚起するとか、現在の野党と同じ、というのが司馬による西郷評である。
近代日本の歩みと西郷の評価
戦前の日本では、西郷は右翼から持ち上げられる。戦後になると、否定的に見られる。さらに、高度成長やアメリカ化への批判が出てくると、肯定的な評価が現れる。
西郷は、徴兵制のような近代化を進めた人であるにもかかわらず、反近代の文脈で肯定的に評価されたりする。西郷には、多様な評価される複雑さがある。
[第23条]学問を志すものには広い視野が必要。終始自分の身を正せ。