法華経

著者植木 雅俊
シリーズNHK 100分de名著 2018 年 4 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2018/04/01(発売:2018/03/25)
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読了2018/04/17

『法華経』といえば、日本仏教の根幹のはずだが、ほとんど触れる機会がなかった。 ここではわかりやすく解説されていた。

『法華経』は、つまるところ、誰もがブッダになれるという平等思想を説いている。単純といえば単純で、それほどの深みはないように思える。 たったそれだけのものがなぜ日本仏教の根幹になったのかは不思議だ。 背景の解説を聞くと、『法華経』が成立した時代と地域においては重要な意味があるということはわかるのだが、日本における意味はわからなかった。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 全てのいのちは平等である

『法華経』基本情報
1世紀末〜3世紀はじめごろ成立。
日本には鳩摩羅什による漢訳が伝わった。
場所は、霊鷲山(りょうじゅせん;現実にある低山)→虚空→霊鷲山、と移ってゆく。
仏教の歴史
原始仏教(初期仏教);紀元前5~4世紀。釈迦とその直弟子が存命の頃。
部派仏教;20くらいの部派に分裂。その中でも説一切有部(せついっさいうぶ)が最も有力。 狭い意味での「小乗仏教」は、この説一切有部を指す。説一切有部は、菩薩という概念を作った。 菩薩とは、仏になっていない状態の釈尊のこと。
大乗仏教;紀元前後ごろ。悟りを求める人は誰でも菩薩であると考える。『般若経』や『維摩経』で小乗仏教を批判。
『法華経』;統一的仏教へ。
釈尊滅後の仏教の5つの変化
①修行の困難さの協調
②釈尊の超人化
③悟りを得られる人の範囲を限定;阿羅漢のランクをブッダより下げる、女性は成仏できないなど
④仏弟子の範囲の変質;仏弟子を男性出家者に限り、在家者と女性を排除
⑤聖地信仰の隆盛;卒塔婆信仰も現れる
大乗仏教
部派仏教によるこのような仏教の変容がおかしいとして、大乗仏教が生まれた。
二乗(声聞、独覚)を小乗と非難した。声聞(しょうもん)は、師に教えを聞いて悟りを目指す人。独覚(どっかく)は、自ら悟りを目指す人。
二乗を「炒れる種子」として批判。種子は炒ってしまうと芽が出ない=永久に成仏できない。
『法華経』は、こうした大乗と小乗のいがみ合いを止揚しようとして生まれた。
第1章「序品(じょぼん)」
[あらすじ1] 釈尊が 1200 人の男性出家者を始めとする多くの弟子や菩薩や神を前にして大いなる教えを説き始める。
[あらすじ2] 皆がポカンとしているので、釈尊は瞑想に入る。すると瑞相が現れる。
[あらすじ3] 文殊菩薩の話によって皆が心の準備をする。
第2章「方便品(ほうべんぼん)」
[題名] 方便(ウパーヤ)とは、近くに行くこと、最短距離で行くこと。
[釈尊の教え1] 如来の出現の目的は、一切衆生を成仏させること。
[釈尊の教え2] ブッダに至る教え(乗り物)はただ一つのみ(一仏乗)。 これまでは、3種類あるとされてきたが(三乗)、それは方便。 三乗とは、声聞が阿羅漢果になり、独覚が独覚果になり、菩薩がブッダになること。一仏乗では、皆がブッダになる。
第3章「譬喩品(ひゆぼん)」
[あらすじ] 三車火宅の喩え。資産家が豪邸に住んでいた。家が火事になったのにもかかわらず、子どもたちは遊びに夢中でまだ家にいる。 そこで、資産家は子どもたちにおもちゃの車をあげると言って、子どもたちを外に逃がした。 資産家は、本物の立派な牛の車を子どもたちに与えた。
[譬えが表すこと] 火事になった家は苦しみに満ちた現実世界、子どもたちは衆生、資産家は如来、おもちゃの車は三乗、本物の牛の車が一仏乗の譬喩。 如来は、衆生を方便によって現実世界から脱出させるということを表している。

第2回 真の自己に目覚めよ

第4章「信解品(しんげぼん)」
[題名] 信解(アディムクティ)=心が何かに向かって解き放たれること
[あらすじ]4人の弟子は、釈尊の話に感動した。彼らは、自分たちが大乗仏教に関係ないと思っていたが、 実は成仏できることを知った。そこで、その感動を「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬え」として語った。 長者の出奔した息子が、長い年月の後、偶々他国へ移り住んでいたその長者の家の前を通りがかる。息子は、長者が父親だとはわからないが、父親の方はそれが息子だとすぐにわかった。そこで長者は、息子を汚物処理をする僕として雇う。息子は無欲によく仕事をした。父親は臨終に当たって息子に財産を譲った。
[ここでの喩え] 父親=釈尊、息子=4人の弟子もしくは衆生、財宝=仏性
[ブッダとは] ブッダ=自己に目覚めた人。成仏=真の自己に目覚めること。
[話の意味] この譬えは、人間肯定の教え。人間を温かく見守る仏教。
第5章「薬草喩品(やくそうゆぼん)」
[あらすじ] 釈尊は「長者窮子の譬え」に答えて「薬草の譬え」を説く。植物は千差万物あるけど、同じ大地の上に育ち、同一の雨水に潤されている。
[背景] 西北アジアは民族のるつぼ。文化が融合していた場所だという背景がある。
第6章「授記品(じゅきぼん)」~第9章「授学無学人記品」
[内容] ここでは様々の弟子への授記(未来における成仏の予言)がなされる。授記は弟子によって違う。とくに利他行をしている弟子が厚遇される。
第10章「法師品(ほっしぼん)」
[内容1] 自分が亡き後の教えの広め方について。善男子、善女人は、衆生に教えを広めるために人間の中に生まれてくる。
[内容2] ストゥーパよりも経典が大事。法と自己を拠り所とせよというのが、釈尊の遺言。
第11章「見宝塔品(けんほうとうぼん)」
[あらすじ] 大地の底から巨大なストゥーパが出現する。塔の中の声が釈尊の教えである『法華経』を賛嘆する。 宝塔には多宝如来がいた。釈尊はその隣に座った。釈尊は、弟子たちを空中に浮かせ、場面は虚空になる。
[話の意味] ストゥーパ信仰が広がっていたので、ストゥーパが経典を賞賛するという物語にした。
[釈尊が語る布教] 困難なことと容易なことを(六難九易;ろくなんくい)を列挙する。 六難=釈尊亡き後に法華経の教えを広めるのは難しい。九易(くい)=奇跡的な様々なことは易しい=科学技術で解決できそうなことは易しい。

第3回 「永遠のブッダ」が示すもの

第11章続き「堤婆達多品(だいばだったぼん)」
[内容1] 堤婆達多の成仏は、悪人成仏。堤婆達多は説一切有部によって極悪人にされていたが、ここでは仙人として登場し、名誉回復がなされる。
[内容2] 龍女の成仏は女人成仏。龍女は一瞬にして完全なる悟りを得た。 龍女の成仏に智積菩薩と舎利弗はケチをつけた。そこで、龍女は男性になって成仏した。智積菩薩と舎利弗はぐうの音も出なくなった。
[背景] 当時のインドは女性差別が著しかった。そこで、法華経では女性が男性になって成仏するという妥協的な表現が取られたと考えられる。
[原始仏教] 原始仏教では、女性の自立と財産権を認めていたし、妻を尊敬せよと言っていた。(『シンガーラへの教え』)
第12章「歓持品(かんじぼん)」
[内容] 滅後の弘通(ぐつう)、すなわち釈迦がいなくなった後の布教は困難。
第13章「安楽行品(あんらくぎょうほん)」
[内容] 法華経を実践する菩薩のための日常的な心構え。
第14章「従地涌出品(じゅうじゆじゅつほん)」
[内容] 娑婆世界で教えを広めるのは、地涌(じゆ)の菩薩たち。圧倒的な数がいる。
第15章「如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)」
[内容1] 釈尊は遥か遠い昔に悟りを開いていた(久遠実成;くおんじつじょう)。数々の如来、仏、菩薩は、実は釈尊の別の姿。
[内容2] 釈尊は、常に菩薩でありブッダでもある。釈尊はいつもこの世で法を説き続ける。
[内容3] 釈尊の涅槃は方便(方便現涅槃)。人々が仏に会いたいという思いを抱くように涅槃に入ってみせた。
[譬え] 良医病子(ろういびょうし)の譬え。名医が毒に苦しむ子どもたちに薬を作った。 ところが、毒気が深く入り込んでいる子どもたちは薬を吐き出してしまう。そこで、名医は旅に出て、お父さんは亡くなったと子どもたちに伝えさせる。 すると、子どもたちは悲しみのあまり正気になり、薬を飲む。そこで、名医は再び子どもたちの前に姿を現した。 名医=釈尊、薬=法華経、子供たち=衆生、旅先で亡くなった=方便現涅槃。

第4回 「人間の尊厳」への讃歌

ゲストに安部龍太郎を迎える。『等伯』で直木賞受賞。

第16章「分別功徳品」~第18章「法師功徳品」
[内容] 法華経を信じて、読んだり人に語ったりすることの功徳。
第19章「常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつぼん)」
[登場人物] 常不軽菩薩(サダーパリブータ)=常に軽んじない(のに、常に軽んじていると思われ、その結果、常に軽んじられることになるが、最終的には常に軽んじられないものとなる)菩薩。
[菩薩の教え] この菩薩は常にこのように言った。「尊者がたよ、ご婦人方よ、私は、あなたがたを軽んじません。あなたがたは、軽んじられることはありません。それはどんな理由によってでしょうか?あなたがたは、すべて菩薩としての修行を行いなさい。あなたがたは、正しく完全に覚った尊敬されるべき如来になるでありましょう。」
[講師の解釈] この菩薩には、かつて自己嫌悪の時代があったのではないか。あるとき、自己の尊さに目覚め、そのため他人の尊さも信じることができるようになったのだろう。
[菩薩と法華経] この菩薩は経典を読んでいなかった。この菩薩は、臨終の間際に「法華経」の声を空中から聞いた。そこで寿命を延ばして「法華経」を説くようになった。
[講師の解釈] 常不軽菩薩は、「法華経」を知る前からすでに「法華経」の精神を実践していた。そこで「法華経」を素直に受け入れることができた。「法華経」は、平等に人間を尊重する思想。
長谷川等伯と『法華経』
[安部談] 等伯を理解するには『法華経』が不可欠。等伯はもともと絵仏師だった。
[覚りとは]「等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)」がキーワード。究極の覚り(妙覚)は、修行の延長線上ではなく足元にあるという意味。
[『等伯』のクライマックス]等伯は息子の久蔵が事故死。狩野派の陰謀を疑い、秀吉に直訴するも、秀吉の機嫌を損じる。そこで、等伯は命を賭けて「松林図屏風」を描くことになる。お題目を唱えることで、雑念が払われ、傑作が描かれる。それは秀吉を打ちのめすほどの作品だった。
[安部談]等伯は、絵を描くことが自分にとっての菩薩行だと気付く。
第20章「如来神力品(にょらいじんりきぼん)」
[あらすじ] 釈尊は滅後の弘教を地涌の菩薩に託す。釈尊は、聖地信仰を否定し、「法華経」を実践する場所ならどこでも覚りの場所であると説く。
第21章~第26章
[全体] これらの章は、後世の付け足しだと見られる。呪術的な要素が承認される。
第24章「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)」
[内容] 観世音菩薩のご利益。とくに中国で注目された。
第27章「嘱累品(ぞくるいぼん)」
[内容] すべての菩薩に布教が託され、皆が虚空から霊鷲山に戻る。
まとめ
[テキスト]『法華経』は、小乗仏教と大乗仏教の対立を乗り越えて平等思想を説く。
[安部談] 人間はありのままで尊い。