ウンベルト・エーコ 薔薇の名前

著者和田 忠彦
シリーズNHK 100分de名著 2018 年 9 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2018/09/01(発売:2018/08/25)
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読了2018/09/25

出版されてすぐ話題になっていた本である。この番組で解説を聞いて読んでみたいと思ったが、日本語訳2巻本なので、 時間があるときでないと無理そうだ。

推理小説というと、謎解きに加えて、怨恨だとか金だとかいったようなドロドロした人間関係が焦点になるのが普通だが、 エーコの独創は記号論の問題に謎解きを加えたところにある。でも、実際に読んでみないとなかなか実感できなさそうである。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 修道士は名探偵?

ウンベルト・エーコ

物語の進行と解説

物語の進行解説
  • 1968年、作者はパリの古本屋でアドソの手記を手に入れる。
  • 1327 年 11 月、ベネディクト会修道院に、フランチェスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムとベネディクト会見習い修道士メルクのアドソがやってくる。 ウィリアムは高名な学僧。
  • 語りの構造は以下の通り。1327 年の出来事を半世紀のちにアドソが回想してラテン語で書いた手稿があり、それが仏訳されたものを「わたし」がイタリア語に訳した。
  • 全部で 7 日間の物語。
  • バスカヴィルはホームズを連想させる。アドソはワトソンと名前の響きが似ている。
  • 1日目、ウィリアムとアドソが修道院に到着。修道院の威容が描写される。
  • ウィリアムは、推理によって馬が逃げた方向を言い当てる。
  • ウィリアムの推理力が印象付けられる。
  • 推理の痕跡が「記号」。
  • 修道院長アッボーネが細密画家アデルモの死をウイリアムに語る。アデルモは図書館の塔の下の断崖の底で死んでいた。
  • 厨房係の助手サルヴァトーレはいくつもの言語を話すことができた。
  • ウィリアムは、旧知のフランチェスコ会厳格主義派の指導者ウベルティーノと再会。
  • 彼らが何語で会話していたのかは明らかにされていない。
  • 図書館で、ウィリアムとアドソはアデルモの細密画を見る。絵を見て皆の笑いが誘われる。 そこで、盲目の老修道僧ホルヘが笑いを誘ってはならないという。
  • ホルヘにとって、笑いを誘う絵は神の教えに反するものだった。ホルヘは笑いを否定していた。
  • 中世ベネディクト会では、笑いは不謹慎とされていた。
  • アデルモの細密画には、逆立ちしたおかしな世界が描かれていた。
  • 2日目、アリストテレスの研究家であるヴェナンツィオの死体が豚小屋の甕の中で発見される。ウィリアムは、ヴェナンツィオは図書館で殺されたと推理した。
  • ホルヘが笑いに不寛容だったのに対して、ヴェナンツィオは笑いを支持していた。
  • 修辞学の学僧ベンチョの証言によると、以前「アフリカノ果テ」と呼ばれる部屋にある書物の閲覧を希望したところ、 その本はもうないと館長に言われたという。
  • アリストテレス『詩学』の第二部には喜劇=笑いの考察が書かれていたという。しかし、今は残っていない。第一部は悲劇について書かれている。
  • ヴェナンツィオはアラビア語とギリシャ語に通じていた。
  • 「アフリカ」は開かれた知を象徴する場所として描かれている。

第2回 知の迷宮への旅

物語の進行解説
  • 図書館長補佐のベレンガーリオの証言によると、彼はアデルモと同性愛関係にあったらしい。アデルモは、それと引き換えに何かを要求していたらしい。アデルモは罪の意識に耐えかねて身を投げたのか。
  • ヴェナンツィオはルキアノスの翻訳に取り組んでいた。ルキアノスは、アイロニー、パラドクス、アフォリズムなどの名手であった。
  • ウィリアムとホルヘはまたも笑いについて激論を闘わせる。
  • ヴェナンツィオの死の後、修道院長のアッボーネはウィリアムの捜査を妨害するようになる。
  • 最長老のアリナルドがウィリアムとアドソに図書館への侵入方法を教える。
  • アリナルドは「七つの喇叭」という謎めいた言葉を口にする。第一の喇叭→血潮に染まった炎、第二の喇叭→海が血に染まる、第三の喇叭→海の被造物が息絶える。
  • ここの図書館は、キリスト教世界最大級の図書館であった。
  • 中世において、図書館では何を読ませないかが重視されていた。禁書の流通を阻むために禁書の収集をしていた。
  • 七つの喇叭は、「ヨハネの黙示録」の預言より。第一の喇叭はアデルモの死、第二の喇叭はヴェナンツィオの死を表す。
  • 2日目の夜、ウィリアムとアドソは図書館に侵入する。図書館は迷路のようだった。
  • ヴェナンツィオの机から暗号が見つかる。
  • アドソは幻覚を見る。薬草が焚かれており、それが幻覚を引き起こしたのだった。
  • 2日目の夜からベレンガーリオが行方不明になっていた。
  • 14世紀前半は、外から新たな知が持ち込まれつつあった。修道院だけでは知をコントロールできなくなりつつあった。
  • 迷宮のような図書館は、ボルヘスの「バベルの図書館」を念頭において発想されたものである。
  • 3日目、アドソは厨房助手のサルヴァトーレから身の上話を聞く。彼はドルチーノ派に属していたこともあった。サルヴァトーレは、若い頃、平信徒の暴動に加わり、ユダヤ人を殺していた。
  • ウィリアムは、アドソに、教会は危険だと考えた人々に異端の烙印を押すのだと教えた。異端は幻想である。正統と異端を決めるのは、権力の力学だと。
  • ウィリアムは、前夜見つけた暗号を解読していた。「偶像の上に手を働かせよ4つの第1と第7で」。しかし、その意味は謎だった。
  • アドソは、フランチェスコ会厳格主義派のウベルティーノに話を聞きに行った。ドルチーノの来歴、厨房係レミージョと助手のサルヴァトーレの過去が語られる。
  • アドソは一人で図書館に行き、本からドルチーノ夫妻が異端として殺された様子を知る。
  • アドソは、大食堂でここにいるはずのない娘の姿を見る。このあとアドソは娘と関係を持つ。
  • 娘は、自分の肉体と引きかえに牛の臓物を分けてもらっていたのだった。
  • ウィリアムとアドソは、沐浴所でベレンガーリオの死体を発見する。
  • アドソは、権力者が暴力の矛先をユダヤ人に向けさせる手口を学んだ。
  • アドソのいろいろな体験は、若者のイニシエーション。図書館は、未知の世界への窓口。
  • ドルチーノ派は異端。弾圧で滅びる。
  • 第1日目に、ウィリアムはウベルティーノに対し、異端と正統の違いなど無いことに気付いて審問の場から身を退いたのだと告白していた。
  • ベレンガーリオの死は、第三の喇叭の実現。

第3回 「異端」はつくられる

物語の進行解説
  • 4日目、ベレンガーリオとヴェナンツィオは毒殺されたという可能性が浮上する。薬学僧セヴェリーノはある毒物が無くなっているとウィリアムに明かす。
  • 厨房係レミージョと助手のサルヴァトーレは村の娘と関係を持っていたことを告白。
  • レミージョは、1日目の晩、ヴェナンツィオの死体を厨房で見ていた。ベレンガーリオが死体を移動させたと見られる。
  • ウィリアムとアドソの間で、書物が別の書物を語るというやりとりが行われる。
  • 中世には、書物は経典のようなもので、絶対的な価値があるはずのものだった。ウィリアムが書物の間の連関を重要視したのは、進歩的だった。
  • 書物が書物を語るというのは、この小説の枠組み(ラテン語の手稿をフランス語に訳したものをさらに「わたし」がイタリア語にしている)とも関係付けられる。
  • 4日目の昼、皇帝側の使節団(フランチェスコ会)と教皇側の使節団がやってくる。 教皇側の使節団には、異端審問官のベルナール・ギーがいた。彼は、不寛容に異端を糾弾する人物だった。
  • 厨房係レミージョと助手のサルヴァトーレは村の娘と関係を持っていたことを告白。
  • レミージョは、1日目の晩、ヴェナンツィオの死体を厨房で見ていた。
  • ウィリアムとアドソの間で、書物が別の書物を語るというやりとりが行われる。
  • ベルナール・ギーは実在の異端審問官で、『異端審問官の手引き』という著作がある。
  • ギーの不寛容さとウィリアムの寛容さが対比される。
  • 夜、ウィリアムとアドソは再び図書館に侵入する。そして、図書館の平面図を作ってゆく。「アフリカノ果テ」は見つからない。
  • アドソは一角獣についての本を見つける。ウィリアムは、一角獣は、もともと粗暴な動物だったと推測する。それが伝えられるうちに、白い清らかな動物ということになっていったのだろう。
  • ウィリアム「一巻の書物を前にして、それが何を言っているのかと自分に問うてはならない。何が言いたいのかを問うべきなのだ」。 文字が伝えている真実以外に、それがどのような経験から生まれているかを検証しなければならない。 書かれていることは、何かがあったことの「痕跡」である。痕跡から事物までたどり着かなければ成らない。
  • ウィリアムとアドソの議論は、記号論の核心に触れている。記号が示している何かを探り、それが示しているまた何かを探る。その連鎖には終わりがないかもしれない。
  • 表象を解釈するには、コード(文法)が必要。そのコードを手に入れることが重要。
  • 『薔薇の名前』ではダブルコーディングが多用されており、読者が重層的な読み方をすることを誘っている。
  • 5日目の朝、教皇側使節と皇帝側使節の会談が始まる。しかし、やがて泥沼化する。
  • 薬学僧セヴェリーノが「怪しい書物」を見つけたとウィリアムに報告する。ウィリアムは、セヴェリーノに書類を守れと言い、 アドソにはホルヘを尾行するように指示する。しかし、アドソはレミージョを尾行する。レミージョは厨房へ向かう。
  • セヴェリーノが、施療院で死体で見つかる。渾天儀で頭を割られていた。これは第四の喇叭(太陽の三分の一が損なわれていた)に対応していた。 レミージョが捕らえられた。いつのまにか図書館長のマラキーアもそこにいた。
  • ギーによって、レミージョが犯人にでっち上げられた。レミージョは殺人の嫌疑を逃れるために異端であったことを認めた。 それによって、ギーの思惑通り、修道院の信頼は失われた。
  • 結局、レミージョ、サルヴァトーレ、村の娘は殺人事件の犯人ではないにもかかわらず、死刑となる。アドソは一晩中泣き明かす。
  • ギーによる異端審問は、イタリアの元首相アルド・モーロの「赤い旅団」による誘拐殺人事件を思わせる。それ以後、イタリアではテロが横行する「鉛の時代」が続いた。 モーロはリベラルな改革派だったので、バチカンと党から見殺しにされた。 ドルチーノの妻の名前はマルゲリータで、赤い旅団のレナート・クルチョの妻の名前と同じ。

第4回 謎は解かれるのか

ゲスト:中沢新一

物語の進行解説
  • 6日目、図書館長マラキーアが倒れる。「ヨハネの黙示録」第五の喇叭の毒針を持つイナゴと符合。
  • ウィリアムは、次に危ないのは修道院長アッボーネだと判断。
  • 問題の本は、ベンチョが持ち去っていた。ベンチョは、図書館長補佐にすることの見返りにマラキーアに本を渡していた。
  • ウィリアムはアッボーネに警告するが、アッボーネはウィリアムに翌日去れという。そこで、ウィリアムは発奮して「アフリカノ果テ」に向かう。
  • ウィリアムは暗号の意味を解く。「4つの第1と第7」は quatuor の1番目と7番目の文字のQとRの字だった。それが「アフリカノ果テ」に行く扉の鍵だった。
  • アッボーネはギリシャ語が読めないので犯人にはなりえない。
  • 7日目、ウィリアムとアドソは「アフリカノ果テ」に入る。そこにはホルヘがいた。
  • ウィリアムは問題の本を見せてほしいという。その中にはアリストテレス『詩学』第二部があった。
  • ページには毒が塗ってあった。ウィリアムがページの毒に気付いたと知ったホルヘは、図書館に火をつける。
  • セヴェリーノを殺していたのはマラキーア。これをそそのかしていたのがホルヘだった。それ以外は、ホルヘの塗った毒によって死んだのだった。
  • アリストテレスは、真理とされるものを疑うことを説いた。
  • ホルヘは、笑いが真理を暴くことを恐れた。
  • アリストテレスは、もともとバンカラな人。だから笑いに対しても正面から斬り込んでいただろう。
  • エーコは、生真面目な行為の胡散臭さを笑うことの意味を「フランティ礼賛」の中で書いている。
  • ホルヘ像には、ボルヘスの「死とコンパス」の影響がある。
  • 「ヨハネの黙示録」は事件の真実とは無関係だった。偶然の一致にすぎなかった。
  • その後、修道院を去ってから、アドソがウィリアムに会うことはなかった。ウィリアムは一年後、ペストで亡くなった。
  • ホルヘは修道僧たちを殺そうとしたのではなく、読ませないようにしようとして毒を塗ったのだった。
  • エーコのミステリーの終わり方は、謎なんかなかったということ。それは、アンチミステリー。ただ一人の真犯人がいるわけではない。
  • 人間は記号を通じてしか真実に触れられない。真実そのものに触れられるわけではない。