詩と出会う 詩と生きる

著者若松 英輔
シリーズNHK カルチャーラジオ 文学の世界 2018 年 1~3 月
発行所NHK 出版
刊行2018/01/01(発売:2017/12/25)
入手福岡天神のジュンク堂書店福岡店で購入
読了2018/03/29
参考 web pages著者公式 HP「読むと書く」

詩を感じ、味わうことを目指した講座。良い詩に出会えれば良いなと思って講座を聞いていた。

著者の詩の選び方の特徴は、挽歌とか、もう少し広く言えば悲しみの詩を多く取り上げていることだ。 「古今集」の紹介でも、最初に取り上げているのが、四季の歌でも恋の歌でもなく挽歌であることからよくわかる。 日本の歌は色恋が中心という話もあるが(たまたま、今年 2018 年のセンター入試の国語の問題では、 本居宣長の『石上私淑言(いそのかみのささめごと)』で「日本では恋の歌が多いのはなぜか」を議論している部分が 出題されていた)、著者は感傷的な詩がお好みのようである。全体的に、品の良い抒情をたたえた詩が多く取り上げられている。

あまり知られていない詩人として(少なくとも私は全く知らなかった)、 岩崎航と大手拓次が取り上げられているのも特徴である。 もっとも、大手拓次は岩波文庫でも作品が取り上げられているところからすると、 私のものを知らないだけのことではある。 岩崎航と大手拓次ではだいぶん趣が違う。 岩崎航は、難病の病床で詩を書いていて、命に関する詩が多くて、わかりやすい。 大手拓次の方は、絵画的な言葉のコラージュで、ずっと難解である。

講師が、大手拓次を最後に持ってきているところは、私の詩に対する感覚とはちょっと違う気がする。 私は大手拓次を初めて読んだのだが、私が感じるのは、西洋の象徴主義的な詩に影響を受けながら日本語の詩の言葉を模索する詩人の姿であって、まだ完成されていない不安定さである。本書で引用されている大手拓次の文章の一部

色もない、形もない、ぼうぼうともえてゐる透明なる糸のふるへこそ、わたしの詩のすがたである。
の「色もない」「形もない」という文句は、 ヴェルレーヌの「詩の作法」 を思わせるのだが、当の大手拓次は、著者の言によれば「色彩の魔術師」で色彩豊な詩を書く人であった。 ということから、大手拓次の模索の様子がうかがえると思うのである。 [参考:日本の象徴主義の解説として、 佐道直身 (2000) 「日本における象徴主義の概念」]

講師は、毎回のように詩を自分で書くことを勧めていた。しかし、これにはちょっと疑問を感じる。 昔、丸谷才一が「子供に詩を書かせるな」と書いていたのに強く影響された私としては、 詩が書けるのは日本語に非常に敏感な人でないと無理だし、それなりの技巧も必要だと思うわけである。 もちろん、「生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける」というのも美しい言葉ではあるが、 これは紀貫之がたいへんな美文家であることを示しているにすぎないと思う。

放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 詩を感じるには―岡倉天心と内なる詩人

詩は身近なところにある。たとえば、校歌とか。 詩は必ずしも職業詩人が作るものではない。昔から「詠み人知らず」の和歌(詩)があった。名もなき市井の人が詠んだ詩ということである。

詩は情(こころ)のコトバ。詩は、書き得ないものから生まれる。「~について知る」ことは「~を知る」ことにはならない。「~を知る」ことを目指したい。

特定の一人のために書かれた詩もある。詩は、量では測れない。詩は味わうもの。歌は「詠み」、「読み」、「誦む」もの。

詩を書こう。うまく書こうと思ってはいけない。「うまい」文章は誰かの真似である。上手い下手は気にしない。 我々は詩を書かずにはいられない。無常を感じるとき、声ならぬ声が呼びかけてくるはずだ。永遠なるものを求めるとき、詩を書きたくなる。詩は、万葉の時代から、挽歌から始まる。

第2回 かなしみの詩―中原中也が詠う「おもい」

「無常」は詩の本質。世界は止まらない。詩は蠢いているものを写し取ろうとする。

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。
「方丈記」より

彼方の世界への扉を開く「花」。

花みれば そのいはれとは なけれども 心のうちぞ 苦しかりける
西行「山家集」より

中也の「愁(かなし)み」は、深い切なさ。中也にとっては、「雪」が彼方の世界への扉。

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風もふいてゐる
心置なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
中原中也「帰郷」より
雪が降るとこのわたくしには、人生が
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。
中原中也「雪の賦」より

詩の源泉は、自分に近いところにある。意識を鎮めて待ってみよう。

第3回 和歌という「詩」―亡き人のための挽歌

今回は『古今和歌集』を読んでみたい。

  1. 「哀傷歌」という巻があって挽歌が集められている。
    血の涙 落ちてぞたぎつ 白川は 君が世までの 名にこそありけれ
    素性(そせい)法師

    意味:容易に癒えない悲しみの涙で三途の川が沸き立って真っ赤に染まってしまった。それでもう三途の川は渡れなくなったから、帰っておいで。
    声をだに 聞かで別るる 魂(たま)よりも 亡き床に寝む 君ぞかなしき
    よみ人しらず

    意味:あなた(夫)は出張中。あなたの声を聞くこともできないで私は死のうとしている。 けれど、あなたは帰ってきたら独りで寝ないといけなくなる。その悲しみは私の悲しみよりも耐え難いでしょう。
  2. 古今集の初めの部分は、春、夏、秋、冬という四季に分けて編纂されている。 四季を愛でる日本的な美意識がここで確立された。
  3. 「仮名序」では、誰でも歌が詠めると言っている。
    やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。 世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出(いだ)せるなり。 花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。

第4回 俳句という「詩」―正岡子規が求めた言葉

俳句は子規以降の比較的新しい概念。それ以前は俳諧で、グループで詠むものだった。 子規によって、俳句は個人による求道になった。

子規は、「歌よみに与ふる書」で歌人批判をしている。曰く、歌よみは馬鹿で暢気だと。 とくに「古今集」を攻撃している。しかし、子規は、その数年前までは「古今集」を崇拝していた。 ここから読み取れるのは、言葉に対する子規の情熱の激しさ。子規は「霊性」の人だった。

子規による「写実/写生」は、客観化を徹底するということだった。子規は、ある意味で哲学者だった。 芸術は、情趣ではなくて思想だと考えた。

貫之は、実際は子規が言うように下らないわけではない。

ほととぎす けさ鳴く声に おどろけば 君を別れし 時にぞありける
ホトトギスはこの世とあの世をつなぐ鳥なので、「君」は亡き人だと考えることもできる。 そう思えば、暢気な歌ではない。

第5回 つながりの詩―吉野秀雄が感じた存在

吉野秀雄は、正岡子規の和歌に魅せられて和歌の世界に入った。吉野秀雄は書家でもある。

吉野は、会津八一に師事した。吉野は、八一から「調べ」を学んだ。会津八一の和歌より:

ひとりきて めぐるみだうの かべのゑの ほとけのくにも あれにけるかも

吉野は、亡き妻の歌を詠んでいる。

よろめきて 崩れ落ちむと する我を 支ふるものぞ 汝(なれ)の霊(たま)なる
死ぬ妹(いも)が 無しとなげきし 彼岸(かのきし)を 我しぞ信ず 汝(なれ)とあがため
写生は事象をひとたび突き放す、ひとたび客観化する。かりにここに死別や失恋の悲嘆があるとすると、 悲しみに巻き込まれてジタバタしているだけでは歌にならない。ジタバタする自分をちゃんと見据えている自分があって、 はじめて表現にまで到達することができ、そこに歌よみの「救い」が成就する。
「写生と伝統」より

第6回 「さびしみ」の詩―宮澤賢治が信じた世界

賢治の作品は、イメージを感じながら読む。キーワードは、「燃える」「炎」「火花」など。

もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
「小岩井農場」より

「鳥」もまたキーワード。

「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼(や)けて死んでもかまひません。 私のやうなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでせう。どうか私を連れてって下さい。」
「よだかの星」より

妹トシへの挽歌が豊かな世界を内包している。

あいつはどこへ堕ちようと
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
「青森挽歌」より

第7回 心を見つめる詩―八木重吉が届けた声

八木重吉は四行詩を多く残している。平易な言葉を使っているのも特徴。

この明るさの中へ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう
「素朴な琴」

この詩の中には「私」という言葉はない。かといって、単なる写実でもない。 このように、重吉は、古今和歌集的な主観と正岡子規的な客観(写生)を橋渡ししてくれている。

秋だ
草はすっかり色づいた
壁のところへいって
じぶんのきもちにききいっていたい
「壁」

秋は自らを省みる季節。壁は独りになって大いなるものと静かに言葉を交わす場所。

第8回 「いのち」の詩―岩崎航がつかんだ人生の光

岩崎航(わたる)は、現在 42 歳の現代詩人。五行歌が多い。筋ジストロフィーのためベッドで暮らしている。 詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』から紹介する。

光と闇の対比:

弾力を失った
闇の中の魂に
生きゆく力を
蘇生させるには
自ら光となるのみだ
どんな
微細な光をも
捉える
眼(まなこ)を養うための
くらやみ

参考:

第9回 生きがいの詩―神谷美恵子が背負った生きる意味

神谷美恵子は医師であり思想家でもある。と同時に詩人でもあった。 詩のすぐれた読み手でもあり、著書にいろいろ詩を引用している。

彼女は、ハンセン病の患者に奉仕している。

ゆるしてください、癩の人よ
浅く、かろく、生の海の面(おもて)に浮かびただよい
そこはかとなく 神だの霊魂だのと
きこえよき言葉あやつる私たちを。
「癩者に」より

ハンセン病の人々もすぐれた詩を遺している。その一人の近藤宏一の詩の一部を引用する。 彼は目も見えず、指先の感覚も失っていた。そこで、舌で点字を読んでいた。

読めるだろうか
読まねばならない
点字書を開き唇にそっとふれる姿をいつ
予想したであろうか………

ためらいとむさぼる心が渦をまき
体の中で激しい音を立てもだえる
点と点が結びついて線となり
線と線は面となり文字を浮かびだす
「点字」より

第10回 語りえない詩―須賀敦子が描いた言葉の厚み

須賀は、すぐれた翻訳家であるとともに、私小説の作家でもある。

須賀にとって「霧」は大切である。霧は生者と死者の間にあるもの。ウンベルト・サバの詩を須賀が訳したものより:

石と霧のあいだで、ぼくは
休日を愉しむ。大聖堂の
広場に憩う。星の
かわりに
夜ごと、ことばに灯がともる

人生ほど、
生きる疲れを癒してくれるものは、ない。
「ミラノ」

次に、エウジェーニオ・モンターレの「レモン」の翻訳。梶井基次郎の「レモン」を思い起こさせる。 須賀は書いている「すべては精密な心象風景であり、内面、さらに超自然の世界から送られてくる、 かすかな、しかし鋭い信号音なのである。」。

ある日 閉め忘れたドアのむこうの
中庭の樹々のあいだに
レモンの実の黄色がみえるとき
心の氷結が 不意に溶け
胸に音たてて迸(ほとばし)る
彼らの うた
太陽と黄金(きん)の喇叭
「レモン」

第11回 今を生きる詩―高村光太郎と柳宗悦のまなざし

高村光太郎は彫刻家。少なくとも本人は、詩人であるというより、第一に彫刻家だと思っていた。 高村光太郎は、詩に関して以下のように書いている。

詩の世界は宏大であって、あらゆる分野を包摂する。詩はどんな矛盾をも容れ、どんな相剋をも包む。 生きている人間の胸中から真に迸(ほとばし)り出る言葉が詩になり得ない事はない。
「自分と詩との関係」より

柳宗悦(やなぎむねよし)の文章は、散文であっても詩情が溢れている。晩年には心偈(こころうた)という短い詩を書いた。

ドコトテ 御手(みて)ノ
真中(まなか)ナル

どこに行っても、御仏(あるいは神様)の掌の真中にいるよ、ということ。

第12回 言葉を贈る詩―リルケが見た「見えない世界」

今回は、リルケの『ドゥイノの悲歌』と『若き詩人への手紙』を読む。

『ドゥイノの悲歌』は、10年かけて書かれている。 詩の言葉が訪れてくれるときはそんなにないので、それ以外の時は手紙を書いていた。 詩の言葉は、どこからか心にもたらされるもの。詩人は、言葉を託される者。

声がする、声が。聴け、わが心よ、かつてただ聖者たちだけが
聴いたような聴きかたで。巨大な呼び声が
聖者らを地からもたげた。けれど聖者らは、
おお、可能を超えた人たちよ、ひたすらにひざまずきつづけ、それに気づきはしなかった。
「ドゥイノの悲歌」より

リルケは「今」を大事にする。

あらゆる存在は一度だけだ、ただ一度だけ。一度、それきり。そしてわれわれもまた
一度だけだ。くりかえすことはできない。しかし、 たとい一度だけでも、このように一度存在したということ、
地上の存在であったということ、これは破棄しようのないことであるらしい。
「ドゥイノの悲歌」より

第13回 自分だけの詩―大手拓次が刻んだ詩の扉

大手拓次 (1887-1934) は、北原白秋や萩原朔太郎と同時代の詩人。職業としては、会社の広告部でコピーライターをしていた。 2400 もの詩を書きながらも、生前は一冊も詩集を出版しなかった。第一詩集は『藍色の蟇』(1936年)。

詩論も優れていた。

詩とは胸の中にひらく美感の花である。言葉に表はされた物のみが詩ではない。沈黙の人の胸にも尚折ふしは詩は生れるであらう。されば詩人のみが詩を有するのではない。何人も刹那に於て詩人たり得るのである。
「私の象徴詩論」より

参考: