NHK で「ダイアモンド博士の“ヒトの知恵”」というシリーズが始まり、その元となる本がこれらしいということで、 放送の進行とともに読んでみることにした。 番組は4回シリーズなので、本の内容の半分をかなり圧縮して紹介するような ことになっていた。本は、この著者らしく、中身が濃くて重厚である。 前半は図書館から借りた単行本で読み、後半は買った文庫本で読んだ。
本の主題は、原著の副題の通り「われわれが伝統社会から学ぶことができること」である。 せっかくこんな端的で良い副題なのに、訳書の副題はどうしてこんなに意味不明にしたのか全く残念である。 それはともかく、伝統社会にはヒトが長い間暮らしてきた生活スタイルの名残があり、そこには 現代社会に住む人が学ぶことができる部分があるということである。われわれは、人口という点だけから見ても 伝統社会に戻ることはできないが、われわれは長い間伝統社会の中で適応してきたので、現代社会には合わない性質がある。 そういった点を見極めて、現代人がよりよく生活するにはどうしたらよいかを考えましょうということである。
本は広範な知識を詰め込んで整理してあり、伝統社会のさまざまな側面を学ぶことができる。 文化人類学概論のような感じである。といっても、いわゆる文化人類学者とは違って、 記述は理系らしく簡潔で、余計な意味づけをしない。さまざまの民族を俯瞰的に概観することで、 もともと人間が長い間暮らしてきた社会のあり方と現代の文明化社会のあり方を比べてみるという姿勢で書かれている。
とくに子育ての問題は興味深かった。うちの子は離乳食を嫌がったこともあって離乳がきわめて遅く、 離乳食の期間がなかったのだが、結果的には伝統社会の離乳と同じことになっていたことが分かって安心した。 離乳を遅くすると母親が苦労するのだが、母親がそれに耐えられれば、離乳は遅いほうが良いのではないだろうか。
司法のあり方に関しても、近代的な司法制度が被害者の感情を軽視しがちであるという指摘は深く考えさせられる。最近、被害者の感情に配慮して、刑罰を重くするべきだという論調がしばしば聞かれるが、感情と刑罰を短絡的に結びつけるのは考えが浅いことがよくわかる。国家司法が被害者感情をあまり考えていない理由をよく理解した上で、被害者感情の修復をすることを考えなければならないので、問題は難しいのである。感情と懲罰を結びつけると危険であることは、アメリカが戦争を起こすときに、敵への懲罰という形で国民感情を上手に煽っていることを見てもよくわかる。
翻訳は、全体的には読みやすい。誤訳も少ないと思う。しかし、以下のサマリーで指摘しているような誤訳があるとともに (誤訳は、日本語で明らかに意味が取れないところだけをチェックした)、一つ変な訳語がある。 「疎密」という言葉を「稠密」の反対語として使っている。辞書を確認したところ、「疎密」は「疎」と「密」のことであり、 「稠密」の反対ではない。たとえば、上巻 単行本 p.32 文庫本 p.36「伝統的にこのような人口が疎密な小集団の中で暮らしてきた」は、 英語版「traditionally lived at low population densities in such small groups」の訳で、 素直に訳せば「伝統的に暮らしてきた環境は、人口密度が低く、このような小集団に分かれていた」のような感じである。