著者の名前もここで取り上げられて初めて知ったのだが、ここでの紹介によると、戦争の本質に迫った名著のようだ。 西洋中心ではあるが、戦争の歴史的移り変わりを踏まえながら、現代の戦争(全体戦争)の性質を分析している。 著者は人類学者であるゆえに、人間の本性と戦争の関わりに鋭く切り込んでいることが特徴である。 解説では、さらに第2次世界大戦後の戦争の変容も整理している。兵器の進化とともに、第二次世界大戦のときにくらべて さらに戦争が非人間化していることがわかる。
カイヨワは、2度の世界大戦を踏まえて、戦争を「聖なるもの」であるととらえた。 戦争と「聖なるもの」の関係の分析が、日本における靖国神社のありかたと重なってよく理解できる。 総力戦の熱狂と信仰とは不可分であって、それはどの国でも多かれ少なかれ同じことなのだ。 日本に限ったものでもないことが、こういう西洋の視点から見るとよくわかる。全体戦争においては、人々は虫けらのように死ぬ。 それと表裏一体のものとして「洗礼的意義」や「祝福」が与えられなければならない。 世界大戦では、多くの国が総力戦の熱狂とその苛烈な帰結を味わった。 唯一違うとすればアメリカ合衆国で、アメリカは総力戦の悲惨さを十分に味合わなかったからこそ、 今でも熱狂と残虐を失っていない。
しかし、遠距離ミサイルが出たり、AI 兵器が出てきたりすると、戦争は熱狂ですらなく、単なる虐殺になりつつある。 最近、AI による自律型ロボット兵器を認めないという指針が国連で合意されたそうだ (2019 年 8 月 22 日、国連の 「自律型致死兵器システム」に関する政府専門家会合)。しかし、実効性があるものにできるかどうか怪しい。 自律型でなくて人間が判断するにせよ、兵士が戦場に赴かない戦いが起こるとすると、どっちにしたって非人間的だ。 空爆でも虐殺だと思うのに、空爆なら良くてロボット兵器ならダメと言われても、五十歩百歩だ。 それに自律型とそうでないものとの境界も曖昧だ。いっそのこと、非人道性を推し進めたほうが、戦争の抑止力に なるのではないかとさえ思う。核抑止力と同じ論理ではある。一つには、ロボット兵器でお互い殺しあえば、 政府が無くなっても戦争が続いて、お互いを殲滅するまで終わらないということになるかもしれないからだ。 もう一つには、あまりにも非人道的なので、使ってしまうと国際的な非難を免れないということだ。