大江健三郎は、いつか読もうと思いながら読んだことがない作家である。この解説を通じて、
大江の作品は、自身の体験、四国の伝承、息子との関係、世界の諸文学や哲学等をかなり明示的に
織り込みながら重層的に書かれているものだということが分かった。であればこそ、作品にたくさんの
注釈を付けることも可能だし、たくさんの解釈をすることも可能になっている。
「燃えあがる緑の木」のイメージが、繁茂と滅亡が隣り合っている姿だと知れば、
その矛盾を受容するところに魂の救済を求めていることが分かる。
教団がしていることが、瞑想(集中)を中心とし、最終的には拠点を持たない方向に向かうと知ると、
これは原始仏教の世界に近い。神無き時代の祈りは、瞑想になる。
引用されている文学の多くは、西洋文学ではあるけれど、
仏教的瞑想の世界に還ることに救いの方向が示されている。
その結果として、悟りや救済があるかどうかは分からないが、ともかく瞑想するということに意味を見出す。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
放送はテキストと構成を変えていた。そういう部分はおおむねテキストに合わせることにする。
第1回 「四国の森」と神話の力
作者 大江健三郎
- 1935年、愛媛県喜多郡大瀬村(現在の内子町大瀬)生まれ。
- 東京大学進学。
- 1958年、23 歳で『飼育』により芥川賞受賞。
- 1963年、長男の光が誕生。翌年、頭に障碍を抱えた子供の誕生の物語である『個人的な体験』を著す。
- 1965年『ヒロシマ・ノート』、1970年『沖縄ノート』
- 1967年、32歳で『万延元年のフットボール』で谷崎潤一郎賞受賞。
- 1994年、ノーベル賞受賞。
大江の長編作品には、大江をモデルとする「K」あるいは「長江古義人」、妻のゆかりをモデルとする「オユーサン」あるいは「千樫」、
長男の光をモデルとする「ヒカリさん」あるいは「アカリさん」、愛媛の妹をモデルとする「アサさん」が登場する。
大江作品には、故郷の四国の森もよく出てくる。大江は、土地に根付いた深いものを小説の中に書こうとしていた。
物語の進行
- 舞台は、四国の森に囲まれた土地。
- 「屋敷」と呼びならわされてきた名家の当主が「オーバー」と呼ばれる高齢の女性。
- この小説は、サッチャンがK伯父さん(大江健三郎のこと)に勧められて書いた物語。
- サッチャンは両性具有。子供時代は男として生き、あるときから女性として生きることにする。サッチャンはオーバーと同居。
- 主人公の隆(たかし)は「ギー兄さん」と呼ばれる。隆の父親は外交官で、「総領事」と呼ばれた。
- かつて、ギー兄さんと呼ばれる人(さきのギー兄さん)がいた。彼は、村興しをしていた。
彼は「テン窪」に人造湖を作ろうとして、反対派からその人造湖で殺されていた。
オーバーが隆のことをギー兄さんと呼ぶようになって、皆もそう呼ぶようになった。
- オーバーの葬儀の日、鷹が現れる。鷹はオーバーの魂をくわえて、ギー兄さんに渡した。
- オーバーには治癒能力があった。ギー兄さんも、頼まれて心臓病の子供を看病すると、元気になった。
ギー兄さんは救世主とみられるようになる。
- ギー兄さんは、小児癌で病床にあるカジ少年の話し相手になる。カジ少年はいったん回復するものの、やがて病状が悪化し、亡くなる。
- ギー兄さんは、テン窪で敵対する村人に糾弾され、殴られ負傷する。サッチャンはギー兄さんを慰めて、結ばれる。
小説の目的
ギー兄さんがやっていることは小説とも共通する。
ギー兄さんには治癒能力があるのかどうかわからない。
小説にも心を癒す能力があるのかどうかもわからない。
それでもひたむきに努力する。
この小説は、人間の再生の物語である。隆は「ギー兄さん」として生き直し、サッチャンは女として生き直す。
再生は、オーバーが語る伝承の核。
第2回 世界文学の水脈とつながる
物語の進行
- ギー兄さんは、テン窪で敵対する村人に糾弾され、殴られ負傷する。
- サッチャンはギー兄さんと性的に結ばれる。つまり、両性具有のサッチャンは、ここで女になると決意する。
- サッチャンは、ギー兄さんを「救い主」とする教会の設立を始める。教会のシンボルは「燃えあがる緑の木」となる。木の半分は緑が生い茂り、半分は燃え上がっている。
- 愛、育、英の「伊能三兄弟」が農場で働きにやってくる。松山からきた娘たち3人と共同生活を始める。
- 教会ですることは「集中」という瞑想を行うことだった。神はいない、いわば「空家」。
- 敵対派だった亀井さんもやってくる。亀井さんは教会の中心的なメンバーになってゆく。
- 日系アメリカ人のザッカリー・K・高安もやってくる。
- ギー兄さんの実の父親の総領事もやってくる。彼は、イェーツの詩を読み耽る。
- ギー兄さんは、周囲の人に勧められて「福音書」を書くことにする。いろいろな書物からコラージュのように言葉を集めてくる。イェーツ、エリアーデ、ドストエフスキーなど。
大江の小説の書き方~他の文学作品との関係
大江作品では、他の文学作品との対話がなされている。『燃えあがる緑の木』では、詩人イェーツである。
『懐かしい年への手紙』ではダンテであった。大江作品では、自分の他の作品への言及もよくなされる。
『燃えあがる緑の木』は、『懐かしい年への手紙』の続編と位置づけられる。四国の森の神話や歴史も
いろいろな作品に出てくる。
「燃えあがる緑の木」のイメージはイェーツの詩から来ている。半ばは炎、半ばは緑の茂り。
サッチャンの両性具有のイメージと通底する。
矛盾するものを受け入れる寛容さ、答えの出ない問題の受容といったことと関係する。
『カラマーゾフの兄弟』からの引用がある。「特に子供を愛することだ。」
『カラマーゾフの兄弟』には、虐げられた子供の物語という意味もある。
それは、大江と息子の光との関係と響きあう。大江は、息子との共生と自分の魂の問題を作品の核にしている。
第3回 信仰なき「祈り」は可能か?
物語の進行
- 亀井さんが私財を投じて、教会に礼拝堂兼音楽堂を建てる。
- 総領事は心臓発作で倒れる。総領事とギー兄さんはヨーロッパへの旅に出かける。総領事は、その後癌のために死ぬ。
故郷、魂、一瞬、信仰、集中、注意力
- ブレイクの詩の一節「そして帰ってゆかなければならぬ/そこからやって来た暗い谷へ」は、
総領事が故郷に帰ってきてやがて死に行くことと呼応する。
あるいは、大江が文学においてたびたび四国の故郷へ立ち戻ることとも呼応する。
- ギー兄さんは、死の恐怖から魂の問題をずっと考えている。
ギー兄さんはカジ少年に語りかける。「一瞬よりはいくらか長く続く間」が、生きたしるしとして人生に刻まれるのだと。
- K伯父さんは、一瞬を永遠ととらえたという確信が喜びだと語る。
- オーバーは、土地の伝承とが魂のつながりと関係していると語る。
- こうした言葉は、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャの言葉とも呼応する。
「少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。」
- 「燃えあがる緑の木」の教会の祈りは集中することである。それは、シモーヌ・ヴェイユの言葉と響き合っている。
「注意力とはもっとも純粋なかたちの祈りにほかならない」
「私たちの注意力の努力が、幾年かどんな結果ももたらさないと感じられる時も、ある日、それらの努力に正確に対応した
光があふれ出して魂をみたすだろう。」
- 大江は、宗教に救済を求めていないのかもしれない。魂に集中することそのものが重要。
第4回 一滴の水が地面にしみとおるように
ギー兄さんによる魂の模索は続く。
物語の進行
物語の進行 | 解説 |
総領事の葬儀で、ギー兄さんは「死者とともに生きよ」という言葉を手がかりに説教をする。
葬儀の日、屋敷の周辺から礼拝堂の内部まで薔薇の香りが瀰漫。 |
- 死者とともに生きるということは、誰もがしばしば感じること。
- 薔薇の香りは、イェーツの手紙にあるイメージ。
- 『カラマーゾフの兄弟』では、ゾシマ長老の柩から腐臭が漂う。そのとき、アリョーシャは、
兄イワンが虐待される子供のことを語ったことを思い出す。
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教団では路線対立が起こっている。
伊能三兄弟は農場経営に全力を注ぎ、武闘訓練を始める。
亀井さんは森と神話に基づく活動をしようとしている。亀井さんは、教会の分裂を懸念する。
アサさんはサッチャンに対して、ギー兄さんを追い詰めているのはサッチャンじゃないかという。
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これはオウム真理教事件より先に書かれているが、オウム真理教を髣髴とさせる。
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ある日、ギー兄さんは、説教を始めようとするが、しゃがみ込む。
亀井さんらは、それでもギー兄さんを支持するが、サッチャンは失望して教会を出て行く。
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ギー兄さんの危機は、サッチャンにとってもアイデンティティーの危機。 |
K伯父さんの伊豆の別荘で、サッチャンはK伯父さんに勧められた矢内原忠雄『アウグスチヌス「告白」講義』を読み耽る。
サッチャンは、隣人の芸術家の助手のマユミさんと親しくなり、奔放な性生活を始める。
そして、ついには売春に手を出す。外交官とマユミとサッチャンの3人での性生活が始まる。
あるときサッチャンは外交官に、自分はエイズの人とつきあっていたと思いつきで言ってみた。
外交官は怒って醜さが露わになったが、サッチャンは、それは自分の醜さを「移し植え」たものだと感じた。
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- アウグスチヌスは、一旦堕落を通り抜けてから、新たに生まれ変わる。
- サッチャンは、まず、アウグスチヌスの情欲と肉欲に感応した。
- 「移し植え」はシモーヌ・ヴェイユが使った言葉。
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ギー兄さんは三人組に襲われて、両膝を砕かれる。
ギー兄さんが負傷したとの報を受けて、サッチャンは後悔する。
サッチャンは、聖書の「わたしが担い、背負い、救い出す」という言葉を思い出しながら、教会に戻ることを決意する。
ギー兄さんは、自分の命よりもあなたの命が大切だと言うために生まれてきたのだと語る。
ギー兄さんは、かつて学生運動で自分自身が襲撃隊に加わったことがあると語る。
ギー兄さんは、自分は「救い主」が現れるまでの繋ぎ役の一人だと言う。
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- ギー兄さんは、かつて暴力を与え、今は暴力を受けたことで、それらを包括的に考えようとしている。
- サッチャンとギー兄さんは支えあう関係になる。
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教団は、阿川原子力発電所に行進する。
祈り=集中を行うと、原発が事故を起こして止まる。
僧侶の松男さんらは、巡礼団を作り、日本全土へと旅立つ。
伊能三兄弟は親衛隊を作る。
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- 阿川原子力発電所は、もちろん伊方原子力発電所がモデルであろう。
- 小説は福島原発事故より前に書かれたものだが、福島原発事故を髣髴とさせる。
- 大江は、反原子力運動をしている。
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教団の路線対立に対して、ギー兄さんは「本拠」という考え方が間違っていたのではないかと示唆する。
「それぞれ自分ひとりの場所で「救い主」と繋がるよう祈るべきなのだ。」
ギー兄さんとサッチャンは、テン窪の小島の大檜に火をつけ燃やす。大檜は教会のシンボルでもあった。
ギー兄さんは巡礼団に加わる。
ギー兄さんは、かつて敵対していた革命党派の集団から投石を受け、絶命。教会は解散。サッチャンは妊娠していた。
残された人は行進する。「Rejoice!(喜びを抱け)」
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- ギー兄さんは、土地に縛り付けられないことを望む。
- 文学も他の作品などとのいろいろな繋がりによって伝えられる。
- 大江は、自分がやがて死ぬことを息子の光さんに教えたかった。死んでも、もし生まれ変わったら息子と共にあると。
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