チェコの民主化を象徴する人物として、ヴァーツラフ・ハヴェルの名はもちろん知っていたものの、
彼がどういうものを書いていたのかとか、なぜ大統領になったのかは知らなかった。
この解説を聞いて、彼の深い思索と勇気ある行動がその背景にあることを知った。
紹介されている社会に対する考察は、もちろんかつてのチェコ社会に対するものだが、
そのまま今の日本にも当てはまることも多い。たとえば、オートマティズムは、昨今流行している忖度とか空気を読むとかいうことだから、
今の日本社会にもあてはまる。イデオロギーは、よりどころとなる宗教的信念のことだから、
左右両方の言論空間(ネトウヨとか一昔前の社会党みたいなもの)にあてはまる。
つまりは、こういった考察は、人間社会の一般的な性質に対する考察になっている。
この作品が名著たる所以である。
ハヴェルのことばには、いつも「ためらい」があったそうだ。
政治家は「ぶれない」べきだというような言説が広く行き渡っているが、迷ったりためらったりしてはなぜいけないのだろう?
テレビで評論家たちはなぜいつもあんなに断言できるのだろう?
このために、政治が間違った方向に行っても止められなくなっている。
迷いためらうことを許容する言論空間が欲しい。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 「嘘の生」からなる全体主義
背景
- 20世紀のチェコの歴史
- 1918年、ハプスブルグ帝国から独立
- 1939年、ナチスドイツの保護領になる
- 1948年、共産党が権力を握る
- 1968年、プラハの春とその後の「正常化」
- 1989年、チェコのビロード革命
- ヴァーツラフ・ハヴェル
- 1936年、資産家の家庭で誕生。
- 共産党政権下で、ブルジョア出身ということで進路が阻まれる。人文系に進学したかったが、工科大学に進学せざるをえなくなる。
- 1970年代、反体制ということで何度も拘束される。
- 1978年、『力なき者たちの力』を著す。
- 1989年、ビロード革命、大統領に選出される。
冒頭
- 冒頭の一節
- 東ヨーロッパを幽霊が歩いている。西側で「ディシデント」と呼ばれる幽霊が。
- 解説
- ディシデント=反体制派、異端派
- ここは『共産党宣言』のパロディー。
ポスト全体主義
ハヴェルは、当時の東欧社会をポスト全体主義と呼んでいる。これは古典的な独裁とは異なり、
19世紀の労働運動からつながる土壌があるものだ。その根幹となるのが「イデオロギー」である。
イデオロギーは、宗教のようなもので、さまよえる人々に故郷を与える。しかし、それによって、理性、良心、責任が失われる。
青果店の店主のたとえ話。当時のチェコスロヴァキアでは、店の経営も国家システムに組み込まれていた。
そこで、店主は「全世界の労働者よ、ひとつになれ!」というスローガンを店頭に置いた。
その意味を考えてみよう。イデオロギーは、本当の気持ちを隠す記号であり、世界と関係を築いているという口実になっている。
しかし、スローガンは空虚であっても、周囲に影響を与える。みんなやっているからということで、皆が同じスローガンを掲げる。
そして、スローガンを受け入れることで、権力を認めることになっている。
ハヴェルは、このような行動を「オートマティズム」と呼んでいる。
「オートマティズム」とは、体制から要求されていることを自ら察知し盲目的にやってしまうことである。
言い換えると、「忖度する」とか「空気を読む」ということである。
人々は自主的にイデオロギーの中に埋もれる。倫理的なものと引き換えに、物質的な安定を得る。
それは、同調圧力とも言い換えられる。
第2回 「真実の生」を求めて
嘘の生から脱する
嘘の生から脱するには、たとえば、青果店の店主ならスローガンを飾るのをやめる。つまり、「ゲームの規則」を破る。
すると、ゲームがゲームにすぎないことが明らかになる。ハヴェルは、こういったことを「真実の生」の試みと呼んでいる。
「真実の生」は見えないところで広がる。細菌兵器のような力を持っている。
「プラハの春」の挫折を経て「憲章七七」へ
1968年 1 月、ドゥプチェクが第一書記となり、改革を始める。これは「プラハの春」と呼ばれる。
しかし、ソ連がこれを容認しなかった。1968 年 6 月、ワルシャワ条約機構軍が派遣され、改革は挫折した。
その間、人々は束の間の連帯を感じた。
1977年、挫折の反省から「憲章七七」が生まれた。これは、ヘルシンキ宣言を守ることを要求している。
ポスト全体主義には、合法性で抵抗する。「憲章七七」の後で、ハヴェルは、何度も拘留された。
ハヴェルは、「憲章」のような動きについて、「構造は、開かれ、ダイナミックで、小さいものとなることができる」
と述べている。ゆるやかで柔軟な組織を想定している点が、ハヴェルの新しいところ。
「憲章七七」には、1980年台後半には1000人の人が署名した。
「憲章七七」では、個々人の責任も求めている。理性や良心を失わないこと。
慎ましい仕事
1974年、ハヴェルは、ビール工場で働いた。その体験をもとに戯曲「面接」を書いた。
その戯曲では、戯曲家のヴァニェクが、ビール工場の上司に自分についての密告文を書くように頼まれる。
チェコスロヴァキア初代大統領のマサリクは、「世界は、慎ましい仕事によって維持されている」と述べた。
ハヴェルは、これを引用して、慎ましい仕事をしている人が「ディシデント」とならざるを得ない状況だと書いている。
第3回 並行文化の可能性
今回は、文化・芸術の観点から「真実の生」を考える。
アンダーグラウンド芸術
「正常化」の後で、チェコでは英語の歌が禁止される。それでも迎合しなかったミュージシャンがいた。
ロックバンドのプラスチック・ピープル (The Plastic People of the Universe) だ。
彼らに対する締め付けは徐々に厳しくなり、1976年に結婚式で演奏したことで当局は彼らを逮捕する。
ハヴェルは、プラスチック・ピープルの芸術監督イヴァン・イロウスと出会って、支援することにした。
ハヴェルは、アンダーグラウンド音楽が攻撃されることは、哲学や愛さえも語れなくなることにつながるだろうという危機感を感じる。
プラスチック・ピープルの裁判は、やがて「憲章七七」へとつながった。
並行構造
「並行構造」は、思想家のヴァーツラフ・ベンダが作った言葉で、多様な文化のあり方を表現している。
並行構造の実践としては、サミズダート(地下出版)とか演劇の「自宅劇場」での上演とかがある。
今日の社会で言われていることだと、サード・プレイス(家でも職場でもない居場所)がそれにあたるだろう。
「政治と良心」(1984年)より
近代の政治家は国家の部品であり、罪を担うことがない装置である。
彼らは常套句を使って責任を取らない。権力はアプリオリに無罪である。
全体主義は、実際には何よりもまず、合理主義の当然の帰結を拡大して見せる凸面鏡である。
合理主義自体が深いところでもつ志向が、グロテスクに拡大された像である。
第4回 言葉の力
大統領としてのハヴェルの言葉には「ためらい」がある。
さらに、政治家が使わないような「人間性」「倫理」「真実」「愛」といった単語を使う。
今回は、文学者としてのハヴェルを見てゆく。
詩人ハヴェル
ハヴェルは視覚詩を書いた。文字群を空間に配置する。たとえば、
「戦争」という詩では、平和 (mír!) という言葉が連呼されていくうちに、
そこについた感嘆符がやがて爆弾のように変容する。
戯曲家ハヴェル
- 戯曲『ガーデン・パーティー』
- 言葉の機能不全が描かれる不条理劇。勿体ぶっているな内容のない表現が並べられる。
- 戯曲『通達』
- 架空の人工言語「プティデペ」をめぐる不条理劇。翻訳されねばならないが翻訳されないコミュニケーション不全。
- 言語の儀式化
- こういった戯曲では言語の儀式化が描かれている。当時は「プラハの春」の前で、
ハヴェルは、言葉の内容よりもどういう言葉を用いているのかの方が重要になっている、と憂えている。
- ハヴェルはなぜ戯曲を使ったか?
- 演劇と社会の関係について、ハヴェルは次の3つの領域の存在を論じている。
- ①演者と観客の間の実存的な絆を生む。
- ②劇場に通うことで自分とは違う生き方を意識するようになる。
- ③演劇が社会の精神に介入すると社会を変える
大統領ハヴェルの言葉
大統領としてのハヴェルは嘘をつかないことに努めた。1990 年の年頭挨拶では
「我が国土は繁栄していません。」と述べた。彼はわかりやすいキャッチフレーズに依存しなかった。
彼が大統領の間に、チェコとスロバキアが分離したり、NATO加盟をしたりというようなことがあった。
ハヴェルがNATOによるユーゴ空爆を支持したことには批判もある。
問いを投げかけるハヴェル
『力なき者のたちの力』は以下のように結ばれる。
つまり、「明るい未来」は、じっさい、そしてつねに、遠い「あそこ」のことでしかないのだろうかという問いかけである。
もしもそれが正反対で、すでに昔からここにあり、ただ私たちが盲目で弱いがために自分たちの周囲、自分たちの内部を見たり
発展させることができないだけであればどうなのだろうか?