ブルデューが有名な社会学者らしいということは知っていたが、何をした人かは知らなかった。
一言で言えば、社会的な環境がいかにわれわれの性向を縛っているかを暴いてくれているようだ。
番組では、講師と聞き手(伊集院光)の話がよく噛み合っていて、楽しく見ることができた。
趣味でもなんでも、われわれはいつも何か闘争をしているんだなということを反省させてくれし、
自分が無意識のうちにある型にはまっているのだということも意識させてくれる。
原著が引用されているところからその片鱗がわかる通り、もともとは難解な書き方がなされているらしい。
もっとも、この解説で紹介されているところによると、「フランスのインテリのあいだには、どちらがより難しいことを言ったかを
競うような側面が」あるそうだ(番組では、お約束のネタなんだろうと言っていた)。
実際フランス哲学は書き方が難しいし、フランス哲学を研究している日本人もそれに影響されてひねくれた言い回しをよくする。
とはいえ、本書の解説の岸氏自身はフランス哲学研究者ではないので、わかりやすく書いてあってありがたい。
題名がカタカナで『ディスタンクシオン』としてあって、和訳していないのが不思議である。
『社会階層の差異』とかなんとかもうちょっと分かるように翻訳すれば良いのにと思う。
むろん、これは本書のせいではなく、最初に翻訳した人のせいである。
最初に翻訳した人はフランス文学者だから、「ディスタンクシオン」も翻訳するよりカタカナの方が
難解に見えるということでそうしたのであろう。しかし、
カタカナで書かれると何の本だかわからないので、販売戦略上もまずいと思うのだが。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 私という社会
『ディスタンクシオン』基本情報
- La distinction = 区別、差異、卓越
- Critique sociale du jugement = 社会的判断力批判
- 1979 年刊行、邦訳は 1990 年
- テーマは、文化の経済、個人的な趣味と社会階級との結びつき
趣味と経済環境や階級・学歴との間に相関が出てくる。
趣味というのは各自自由に決めているようでいて、ある趣味に出会うかどうかは社会構造が決めている。
このことから自由について考察を深めることができる。
著者ピエール・ブルデュー
- 1930 年、フランス南西部の農村のダンガン村に生まれる
- École normale supérieure で哲学を学ぶ;農村出身で最高学府に入る
- 1955 年からのアルジェリア出征をきっかけに社会学の研究に転ずる;アルジェリアの社会を調査し、
アルジェリアの農村とフランスの農村との共通点が多いことに気付く
- 1981 年、Collège de France の社会学講座教授
- 2002 年、死去
ブルデューは民衆を理想化しない。
ブルデューは、個別の地道な調査をすると同時に、全体を俯瞰するマクロな視点も持っていた。
趣味と社会階層
- たまたま選んだはずのライフスタイルはパターン化していることが多い。それはなぜか?
- 趣味の好みは教育水準と出身階層によって規定されている。
- 芸術作品の素晴らしさを受け止められるのは、その下地があるから。=「眼」は歴史の産物である。
- ブルデューは、綿密なアンケート調査を行い、それを元にして上のような理論を作った。
ハビトゥス habitus
- habitus は、傾向性のこと。それは、私たちの中に刻み込まれた行動の原理である。
- どんな絵が好きですか?という問いに対する答えは、1970 年代のフランスでは印象派が圧倒的だった。
ブルジョワジーならルノワールだとと答えるだろうし、教師ならマネやゴヤと答える。
人々の行動には統一性があり、それを指す言葉が habitus。
- habitus は学校や家庭で作られる。habitus は時代によっても変わる。
- 私達は habitus によって好みを決める。逆に言えば、habitus は私たちを分類する。
habitus が私たちを分類した結果、同じ habitus を持つ集団(クラスター)が形成される。
- 自由とは、型の中でどれだけ自由に振舞えるかということ。
第2回 趣味という闘争
界(場) champ(field)
- 界とは、相対的に自律した内部に独自の規則をもった社会空間のこと。
それは、文化的・象徴的な「賭け金」を競って何らかの闘争をしている空間である。
- 文化に対する判断を行うのは、勝つため。作品は、規範を押し付ける。
自分の habitus が上になるように価値観を押し付ける。
- 象徴闘争=好き嫌いの判断は、自分の habitus の優位性を押し付けること。
趣味は、他者の趣味を否定することで規定される。
- 何かを好きになるときにはコミットメントを生じる。何かを好きになるときは、何か別のものが嫌いになる。
- 趣味は、ほかとの関係で成り立つ。芸術をめぐる闘争は、ひとつの生き方を相手に押し付ける。
- 界には、内部に独自の評価基準やルールがある。
- 皆、自分が勝てるゲームをやりたがるので、どのゲームを価値とみなすか自体が闘争の「賭け金」となる。
どこで勝負するかということ自体が闘争。
趣味、趣向の位置づけ
- ブルデューは、社会階級を縦軸に、文化資本を横軸に取った空間に趣味を位置づけた。
労働者階級だと、ビール、テレビ、スポーツ観戦、釣り、サッカーなど。
中・上流階級は左右に分かれていて、左の文化資本は高いけどそれほどお金のない人々は、
ル・モンド、バッハ、ブーレーズ、ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトワール(雑誌)など。
右の文化資本は低いけどお金のある人々は、絵画コレクション、ゴルフ、乗馬、ル・フィガロ、シャンペンなど。
- ブルデューは、人間の行為には切実なコミットメントがあると考えた。
- 趣味自体に意味は無いが、他との関係の中で意味を持つ。その中で、分類が起こる。
界における立ち位置と実践感覚
- あるものを理解することは、対象が属する界の全体を理解すること。
たとえば、映画が好きというのは、たとえばスピルバーグの映画界における立ち位置を知ること。
- 文化的能力は、社会的な界において獲得される。
- 趣味を語るときには、多くの場合、ポジションを語っている。キャラの立て方とか。
- 人は、異なる界でも、同じポジションを求めたがる。サブカルが好きな人は、映画でも音楽でもサブカル的なものが好き。
第3回 文化資本と階層
文化資本 capital culturel
- 趣味・嗜好も、投資されるものだし、利益をもたらすものでもある。
- 文化財・教養・学歴・文化慣習・美的性向などが文化資本。
- 美的性向は、環境や階級と深い関係にある。
- 映画監督に関する知識は、学歴が高い人ほど多い。
- 美的性向とは、形式を受け取る能力。絵画で言えば、描き方、線や色彩のスタイルを理解する知識や態度のこと。
- 美的性向は、実践感覚。スタイルが大事だということを体感としてわかっていることが必要。
- 美的性向は、世界への距離を前提としている。=作品に対して禁欲的に接して、内容よりも形式に注目する。
自分の感覚から距離を取って方法・形式だけを眺める態度。これは、学校的 habitus。
- そのような「構え」があることが、学校や世の中で有利に働く=利益をもたらす⇒資本だと考えられる。
文化的再生産論
- 文化的再生産論=出身階層に傾向づけられる性向が階層を再生産するという社会学的な見方
- 義務教育は階級のシャッフルをするのが目的のはずだった。にもかかわらず、親の年収や階級と、子供の学力が相関している。
そのメカニズムを説明しようとブルデューも考えた。
- ブルデュー曰く、学校は解放をもたらすものと考えられていたが、一方で社会的不平等を再生産することがわかった。
- 学校教育で序列が固定化され、格差が再生産される。
- 文化的再生産論の金字塔として、ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども(Learning to Labour)』(ちくま文庫)がある。
労働者階級がなぜ親の世代と同じ道を歩くのかを解明した。労働者階級の子どもたちは、自分から好き好んで学校からドロップアウトし、
低賃金労働者になってゆく。
- ドロップアウトするのは、自己責任ではない。社会学は個人のせいにはしない。世界で得をしている人は、自己責任論理になりがち。
- 文化資本の身に付け方には、家庭環境が影響してしまう。
- habitus や文化資本は、固定的なものではなく、人生経験によって変化する可能性もある。
- 文化的再生産はどのていど決定論的なのか?
第4回 人生の社会学
社会的分割
- どうやって人は分断されてゆくのか。それは無理矢理されているわけではない。
- 自分と他者を区別する境界感覚は、内面的に自然なこととして受け取られる。そうして社会が規定している秩序を自ら進んで受け入れる。
差異・格差・分断は自然化される。
- ブルデューを読むことは、他者を理解するきっかけになる。
- 岸氏は「他者の合理性」という概念を考えている。その人がその人である理由がある。
- 社会学では、「自分があの人だったら」ということを徹底的に考える。
- 岸氏は、打越正行(2019)『ヤンキーと地元』に注目している。沖縄のヤンキーな若者たちのエスノグラフィー。ドラマにしない、責めない。
- 岸政彦・打越正行・上原健太郎・上間陽子『地元を生きる』は、ヤンキーの生き方を淡々と描いている。
ブルデュー『世界の悲惨』
- フランスの52人へのインタビュー。ベストセラーとなり演劇にもなった。
- ブルデューのグループは、社会に存在する摩擦や不安を丹念に聞き出した。
- 岸氏はイッセー尾形『都市生活カタログ』が好きだった。他者の生活史への深い理解がなされている。
- 人の生活を描くと「かわいそう」か「たくましい」かのどちらかになりがち。ブルデューはその両方を拒否した。
- ブルデューは、幻想に逃げず現実を直視することで、希望を持つ。
- 世の中の仕組みを考えるのが社会学の仕事。ジャーナリズムとは違う。
他者の理解
- 他者を理解することは、その人の habitus を理解すること。そこにどのような合理性があるかを理解すること。
- habitus とは身体化された必然である。育ってきた環境が体に刻み込まれる。
- ブルデューを読むと、自分という牢獄からの解放感が得られる。