吉本隆明を読もうと思ったことはあまりなかった。
解説を読んでの感想は、吉本の議論は、国家を論じるにはあまりにも文学的に見えるということだ。
吉本は、国家を合理的に発生したものではないととらえた。それは良いのだが、それを裏付ける論理が
『古事記』や『遠野物語』を引用したあまり合理的なものではないのが、意味が分からない。
たとえば、スサノオの原罪意識の話はこじつけにしか思えない。
国家が共同幻想であるにしても、もうちょっと論理的に根拠を示すことができるのではないだろうか。
「共同幻想」に対抗する芯のようなものを持っていないといけないというのは、その通りだろう。
敗戦の思想的混乱を見てそう考えるというのは、非常に理解しやすい。とはいえ、それに対抗する考えは
日常生活を地道に送ることから立ち現れるということは、心情的には美しいストーリーであるとも言える一方で、
実際的はそれでは弱いということも確かだと思う。私は、共同幻想に対抗するには、
当たり前だけど地道で丹念な思考と広汎な情報がやはり必要だと思う。文学だけで片が付くものではない。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 焼け跡から生まれた思想
今回は序文を徹底的に読み込む。
- 『共同幻想論』
- 1968 年刊行
- 国家とは何かを論考した本
- 国家を究極の人間関係と捉える
- 『古事記』や『遠野物語』に遡って考えようとした
- 国家は共同の幻想である
- 個人幻想、対幻想、共同幻想
- 個人幻想…一人で見る幻想
- 対幻想…一対一の関係で見る幻想
- 共同幻想…集団で見る幻想
- ということで、本書は関係性に関する考察
- 吉本隆明の生涯
- 1924 年、東京で船大工の家に生まれる。
- 東京府立化学工業高校から米沢高等工業学校に進んで応用化学を学ぶ。
- 戦争中は、富山でロケットの燃料作りに従事する。
- 戦前軍国少年だった吉本は、敗戦による価値観の転倒に衝撃を受けて思索を始める。
- 戦後は町工場を転々とする中、労働運動に明け暮れる。
- 1956 年『文学者の戦争責任』で、詩人たちの戦争責任を問う。
- 共同幻想
- いわゆる「空気」のこと
- 最近の例では、自粛警察がそういう例
- 「信じる」という問題
- 戦前、自分はなぜ戦争遂行が正しいと信じたのか?なぜ天皇は現人神であると信じたのか?
- 関係の絶対性
- マタイ伝の論考『マチウ書試論』。マタイは自分の正義感を世界全体に広げようとしたのではないか。
- 正しさは他人との関係の中で決まってゆく。人間関係は絶対的に大切である一方、絶対に自分の考えを束縛してしまう。
- 共同幻想と個人幻想の間のバランスが大切。共同幻想は個人幻想によって精査されなければならい一方、個人幻想も独善にならないように共同幻想に照らしてみなければならない。
- 人はいろいろなことを信じてしまう。人は正解に飛びつきたがる。
第2回 「対幻想」とはなにか―国家とは、エロス的関係である
- 『共同幻想論』の構成
- 「禁制論」
- 「憑人(つきびと)論」「巫覡(かんなぎ)論」「巫女論」
- 「他界論」「祭儀論」
- 「母制論」「対幻想論」「罪責論」
- 「規範論」「起源論」
- 最初から読まない方が良い。「対幻想」について書かれている「母制論」から読むのが良い。
- エンゲルスの国家論
- 吉本は、エンゲルスの国家論『家族・私有財産・国家の起源』を強く意識している。
- エンゲルスによれば、人間は昔「集団婚」だった。この中ではだれとでも性交をした。だから嫉妬もない社会だった。このころは母権制だった。
それは、父親がだれかは分からないが、母親ははっきりしているから。
- やがて家畜や財産が増える時代になると、男性の地位が高まり、家畜や財産を男性が所有するようになる。
そして女性も男性が従える「一夫一婦制」になる。さらには、階級や差別ができる。
- 階級と差別に蓋をして秩序を保つために国家ができた。
- 吉本の国家論
- 吉本も母権制から出発するが、集団婚はなかったとする。
- 対幻想は、感情を伴った幻想。それが共同幻想へ、やがては国家の誕生につながる。
- 対幻想=エロス的関係(疑似的性的関係)
- 対幻想を『古事記』に探る。
- イザナギからアマテラス、ツクヨミ、スサノオが生まれた。スサノオは海を統治するように言われたが、
スサノオは母のところに行きたいと泣き暮らした。スサノオはイザナギに怒られて、アマテラスに別れを言いに来る。
アマテラスがスサノオを警戒しているので、「誓約(うけひ)」が行われる。これが国生みにつながる。
- スサノオとアマテラスの誓約が対幻想であって、ここに母権制が誕生する。
- これに祭儀が加わり、巫女が加わり、共同幻想へ国家へと発展する。
- 対幻想が共同幻想へ変化する契機は、「対幻想」の時間性(=妊娠期間)と「共同幻想」の時間性(=穀物収穫サイクル)のずれ。
- 死と共同幻想
- 死は体験できないから、共同幻想である。これを『遠野物語』の鳥御前の話で説明する。
- 鳥御前が山で赤ら顔の男女に会って、怪しいと思い斬りかかった。しかし、男に蹴られて谷に落ちて死んだ。
- これは冷静に言えば、鳥御前が足を滑らせて谷に落ちて死んだというだけの事。しかし、それを「祟り」といった共同幻想のうちに
組み込むことで、綜合的に死ぬことができる。赤ら顔の男女は共同幻想。怖れも共同幻想。
- 吉本にとっての「国家の起源」
- 国家の出発点は非合理なものだと考えたのが重要。
- 国家は感情を揺さぶる。それはもともと国家が非合理なものだからだ。
第3回 国家形成の物語―刑法の成立
今回は主に「罪責論」「規範論」を読んでいく。罪の意識が国家の形成にとって重要。
前回は、母権制の原始農耕社会の成立までを見てきた。今回は、父権制の部族社会の成立を見てゆく。
- アマテラスとスサノオ
- スサノオは高天原で乱暴狼藉を働く。それを見たアマテラスは岩屋に閉じこもる。
- 困ったほかの神々は、一計を案じて天岩戸を開かせる。
- スサノオは、原罪を背負って根の国に追いやられる。
- 原罪の役割
- ニーチェは、祖先に対する疚しさの意識が、神を生み出し、善悪の基準を作ることになったと考えた。
- スサノオは原始農耕民の象徴、アマテラスは大和朝廷の象徴。
- スサノオは農耕民なのに海を統治せよと言われる。それで困惑したことを「泣いた」と描く。
これは、他の集団を支配させられるということだろう。それを拒否したので追放させられた。
そのことから、疚しさ=罪の意識が発生する。
- スサノオは、原始農耕社会と大和朝廷の間で引き裂かれる。
- 原罪の意識は、原始農耕民に受け継がれる。大和朝廷は、原罪を農耕民に負わせる。こうして共同幻想が生まれる。
- 支配される集団は、支配されることを納得するために罪の意識を植え付けられる。
- 疚しさを浄化するためにお祭りが生まれる。
- 垂仁天皇の挿話
- サホ姫は垂仁天皇の皇后。一方で、サホ姫は実の兄のサホ彦と愛し合っていた。
- サホ姫は垂仁天皇を殺そうとするが、どうしてもできず、サホ彦の元に逃れる。そして、サホ姫とサホ彦は天皇軍の襲われて死ぬ。
- サホ姫は兄との対幻想と大和朝廷との共同幻想の間に引き裂かれる。サホ姫は、天皇との間の子供を天皇のもとに残す。
- この挿話は母系から男系へ、対幻想から共同幻想への移行を象徴する。
- サホ姫を最後の犠牲者として大和朝廷が確立してゆく。
- 禁制から法への移行
- 母権制の時代は「禁制」がある。父権制の時代にはそれが「法」に移行する。その間に「規範」の時代がある。
- 「禁制」の時代、罪を補償するのは祓い清めである。これに対して、「法」の時代、罪を補償するのは個人への罰である。
- 罪の内容として、国つ罪(原始的な共同体における罪)と天つ罪(農耕社会における罪)の2種類がある。
「国つ罪」は、近親相姦や獣姦。「天つ罪」は、田んぼの破壊、家畜の皮剥ぎ、神殿を糞便で汚すこと。
- スサノオは高天原で「天つ罪」を犯す。その結果、スサノオは追放されて祓い清めが行われる。
これは、移行期の「規範」の時代を表している。
- 仲哀天皇の挿話
- 仲哀天皇の妃のオキナガタラシ姫が神の宣託を受ける。天皇が逆らったので、天皇は死ぬ。
- 皆は驚いて、ほかの「国つ罪」や「天つ罪」も探し集めて、国を挙げて大祓(おおはらえ)を行った。
- これも「規範」の時代を表す挿話である。
- 刑法の誕生
- 推古朝の時代までには刑法が確立していた。これにより、国家が誕生する。
第4回 「個人幻想」とはなにか―人間関係の相対化の方法
- 芥川龍之介『歯車』
- この作品は、芥川の私小説。
- 主人公の小説家は、知人からレインコートを着た幽霊の話を聞く。さらに、知人から自分の分身に出会ったと聞く。
主人公はそれらに死の予兆を感じ、歯車の幻覚を見るようになる。そのようにして主人公は追い詰められてゆく。
- 芥川は、出身の中産下層階級にもインテリの世界にも居場所を見いだせなかった。
- 芥川の悲劇は、一切の幻想からの解放を求めた点にある。それで居場所がなくなった。
- 『遠野物語』にも分身が出てくる夢が出てくるが、こちらの方は三途の川という村に共通する幻想(共同幻想)に基づいており、
主人公は死なない。
- 個人幻想
- 吉本は、「個人幻想」に「共同幻想」に対抗する力を見出そうとしている。
- しかし、吉本は『共同幻想論』では「個人幻想」がいかなるものかを明らかにしていない。
そこで、以下では、講演などを頼りにそれを考えてゆく。
- 沈黙の意味性と日常
- 吉本は、大衆から遊離し欧米の知識で頭をいっぱいにしているような知識人を評価しない。
一方で、芥川のような知性に誠実な人物は自死に追い込まれる。
これに対して、大衆は自分の生活圏にしか関心を持たない。
- 吉本は、大衆に「個人幻想」と「自立」の拠点を探る。
- 大衆の「沈黙の意味性」が差し出す裂け目が重要。
「沈黙の意味性」というのは、ふだん黙々と働いている人々が感じる違和感を大事にするということ。その違和感に気付くことが「裂け目」。
- 「沈黙の意味性」を理解するのが思想家。理解しないのが啓蒙家。啓蒙家は大衆をマスとして扇動しようとする。
- 夏目漱石『思ひ出すことなど』によると、日常生活は緊張の連続。そのような困難を乗り越え続けることが平凡な人生。
そうしたたゆみない日常にこそ自立の根拠がある。
- コロナ禍に遭うと、日常がいろいろな努力に支えられていることに気付く。それに気付くことが「裂け目」。それが自立の根拠になる。
- 「大衆の原像」とは、日常生活を維持することの大切さ、しんどさ、危うさを示すことば。
- 当たり前のことが非凡であることに気付くことが「個人幻想」で、そのことが「共同幻想」に対抗する力になる。