ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟

著者亀山 郁夫
シリーズNHK 100分de名著 2019 年 12 月、2021 年 11 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2019/12/01(発売:2019/11/25)
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読了2019/12/31, 2021/11/23

「100分de名著」と平行して小説自体も読もうと思ったが、超長編なので、当然ながら小説の方はなかなか読み終わらない。 なので、2022年、「100分de名著」のサマリーだけでまとめておくことにした。放送は、2019 年と 2021 年の2回あった。 放送が終わってからしばらく時間が経ってしまったので、感想は無しにする [2022/04/02 記す]。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 過剰なる家族

作品のテーマは「父殺し」

小説の舞台と登場人物

舞台は、1866年、田舎町スコトプリゴニエフスク。

カラマーゾフ家

カラマーゾフ家の料理人スメルジャコフ:潔癖でシニカル。父フョードルが神がかりの女性に生ませたという噂がある。

背景

ドストエフスキー個人の背景(2つのトラウマ)
父親のミハイルは 1839 年、ドストエフスキーが 17 歳のときに殺害されている。農奴たちに殺害されたのかもしれない。
28 歳のとき (1849 年) に社会主義活動で逮捕されて死刑判決を受ける。皇帝の恩赦で死刑は免れる。しかし、その後も権力からの監視が続く。 序文からすると、ドストエフスキーはこの経験を基にした「第二の小説」も構想していたと考えられる。
時代背景
1861年の農奴解放に伴い、犯罪と拝金主義が蔓延。
小説の雑誌連載が始まった 1879 年の前後は、革命の機運が高まってテロが相次いで起きていた。

小説の構成~4つの層

小説を4つの層に分けて考えると良い。

  • 象徴層:ドラマを支配する複数の原理の対立とその解決。イワンとアリョーシャが主役。父殺しは神殺しや革命へとつながる。
  • 歴史層:作者の歴史認識を示す部分
  • 物語層:ストーリーの筋の部分(父殺し)。主役はドミートリー。
  • 自伝層:作者の人生と関わる部分

以下、物語を追ってゆく。

第1部第2編「場違いな会合」

ある日、ゾシマ長老を含めて父と息子たちの会合が行われる。問題はおもに財産分与に関することだった。 さらに愛憎をめぐる人間関係は複雑である。ドミートリーと父フョードルはグルーシェニカという女をめぐって争っている。 ドミートリーには婚約者カテリーナがおり、彼女にイワンは心を寄せている。 フョードルがゾシマ長老に息子たちを紹介するとき、ドミートリーは悪人として、イワンを善人として紹介する。 その紹介のときに引用したシラーの『群盗』には、「父殺し」の問題が出てくる。

第1部第3編「女好きな男ども」

料理人スメルジャコフの出自の物語が紹介される。そこで「焼きごて」という言葉が出てくる。 「焼きごて」はロシア語で「ぺチャーチ」という。この「ぺチャーチ」には「去勢」の意味がある。 スメルジャコフは、去勢派と関わっていたことが小説中で暗示されている。去勢派は、キリスト教の異端で、 みずからの性器を除去した。去勢派は、信仰とお金を結びつけた宗派で、皇帝に批判的だった。

スメルジャコフの父親は、フョードルだったかもしれないという噂がある。母親は、 リザヴェータ・スメルジャーシチャヤという綽名の神がかりの女。

第2回 神は存在するのか

第2部第4編「錯乱」

アリョーシャが歩いていると、小学生達がいた。彼らは石の投げ合いをしている。 石が当たった向こう岸の少年をアリョーシャが追うと、少年はいきなりアリョーシャの指を噛む。

その少年イリューシャの父はスネギリョフという二等大尉で、以前ドミートリーに侮辱されていた。 スネギリョフは落ちぶれていて貧しかった。イリューシャは父親思いで、父親に将来はお金持ちになると語る。

第2部第5編「プロとコントラ」

プロ=アリョーシャ、コントラ=イワン

イワンは無神論でアリョーシャをやり込める。イワンは言う。神がいるなら、なぜ子どもの虐待が起こるのか? 虐待の例をたくさん挙げて、イワンは「こいつらを銃殺にすべきか?」と言ってアリョーシャを問い詰める。 アリョーシャは思わず「銃殺にすべきです!」と言う。イワンは「おまえの心の中にも悪魔のヒヨコがひそんでる」と言って勝ち誇る。

幼児虐待のような不幸が起こることには、ドストエフスキーは大きな関心を寄せていた。 現実に対する怒りも人間的だとドストエフスキーは感じていただろう。

イワン創作の物語詩『大審問官』が出てくる。大審問官(異端審問を司る人)が、「人はパンのみに生くるものにあらず」の言葉に反して、 天上のパンより地上のパンが大事だと主張する。これは、アンチ・キリスト宣言である。それに対して、イエスは大審問官にキスをして去っていった。 このキスは、イワンから見れば、イエスの敗北宣言である。しかし、イワンは、キリストの後姿を見送る大審問官の心が 一瞬燃え上がったと描写した。つまり、イワンもほんの少しの迷いを感じていたのだ。

イワンの無神論は「神がいなければすべてが許される」というアナーキズムである。アリョーシャは絶望する。 が、アリョーシャはイワンに静かにキスをした。アリョーシャはイワンの中に残っている信仰のかけらを信じたのだと考えられる。

第2部第6編「ロシアの修道僧」

ゾシマ長老が亡くなる。アリョーシャは、ゾシマの一代記を書く。テーマは「全体の救い」に対する「個の救い」。 ゾシマ長老が説くのは、傲慢を捨てること、罪を赦すこと。

第2部第5編「プロとコントラ」の終わりの場面

スメルジャコフは、明日何か起こるとイワンにほのめかす。その夜、イワンは、父親のフョードルの部屋の物音に耳をそばだてて、なかなか眠れない。 翌朝、イワンは、チェルマシニャー(ドストエフスキーの父親が農奴に殺された場所)に行くとスメルジャコフに言う。 なお、スメルジャコフの語源は、「スメルド(農奴)」である。

その夜、フョードルが殺された。イワンは、ドミートリーが父親とグルーシェニカが結婚するのを阻止しようと父親を殺す可能性があることを知っていた。 それなのに、イワンは何もせず父親の殺害を黙過した。それは遺産が入る可能性があるからだった。後に、イワンはこの行為を卑劣だったとみなすことになる。

第3回 「魂の救い」はあるのか

第3部第7編「アリョーシャ」

ゾシマ長老の遺体からすみやかに腐臭がしてきた。ロシアには、聖人の遺体は腐らないという伝説があったので、アリョーシャはショックを受けた。 アリョーシャはカナの婚礼(「ヨハネによる福音書」にある場面で、イエス・キリストが水を葡萄酒に変える)の夢を見る。夢の中でゾシマ長老に自分の仕事を始めなさいと言われる。 アリョーシャは眼が覚めると嬉しくなって大地を抱き締めた。これにはドストエフスキーの土壌主義(大地と宇宙と生命が一体になる)が反映されている。

伊集院「腐敗とは大地に還ること。長老は大地になったと考えることで腐臭を克服したのではないか。」

第3部第8編「ミーチャ」

ドミートリーはカテリーナに借りた3000ルーブルを必死で返そうとしていた。彼の考えでは、お金を返さないのは卑怯者ということになる。 しかし、誰もドミートリーに金を貸してくれなかった。

彼は愛するグルーシェニカの家に行ったが、彼女はいなかった。彼は台所にあった小さな銅の杵をつかんでポケットに入れた。 彼女は父親フョードルのところに行っているに違い無いと思って、彼は父の家に行ったが、フョードルは一人だった。 ドミートリーには父親に対する憎しみが湧いた。その帰りに、ドミートリーは「父殺し!」と叫んで飛びついてきたグリゴーリーを杵で殴ってしまう。

次に、グルーシェニカは昔の恋人のところに行ったかもしれないと思い、ドミートリーはそこ(モークロエ)に向かった。 ドミートリーはグルーシェニカとドンチャン騒ぎを始める。突如警察がやってきて、ドミートリーはフョードル殺しの容疑者として逮捕される。 理由は、フョードルの部屋から3000ルーブルがなくなっていてかつドミートリ―が豪遊していることと、 グリゴーリーが生きていて事件現場にドミートリ―がいたことを証言したことであった。

亀山「どんちゃん騒ぎはドストエフスキー文学の特徴。ドストエフスキーならではのカーニバル感覚。」

第3部第9編「予審」

ドミートリーに罪を引き受けようという気持ちが生じる。そのきっかけは餓鬼の夢。フョードルの死に関して無実だと言いながら、 罰を引き受けると言う。無実であっても、父を殺したいと思ったから、罰を受けると言う。

亀山「ドミートリ―は夢によって世界に存在する不幸に気づき、自己犠牲に目覚めた。 アリョーシャも、以前夢の中で復活した。ドミートリ―とアリョーシャをパラレリズムで描いている。」

亀山「「プロとコントラ」では虐待を受ける子供が出てきた。このとき、イワンは、子供の不幸を神が黙過しているということから、 世界の否定に走った。それに対して、ここでドミートリ―は、苦しんでいる餓鬼に代わって罪を引き受けたいという世界の肯定へと向かう。」

第4部第10編「少年たち」

第2部でアリョーシャと知り合った小学生たちのうち、とりわけコーリャ・クラソートキンにフォーカスが当たる。 コーリャは、書かれなかった「第二の小説」で中心的な役割を果たすはずだったと考えられる。「第二の小説」では、 アリョーシャと少年たちが皇帝暗殺(第二の父殺し)へと向かう。コーリャは社会主義者を名乗り、冷酷なところがある。 イリューシャは、肺病になって治る見込みがない。

第4回 父殺しの深層

犯人は誰か

フョードルが殺された時
  • ドミートリーは、グルーシェニカを追いかけモークロエへ。
  • イワンは、チェルマシニャーに行くと言っていたが、実際はモスクワに向かう。
  • アリョーシャは、ゾシマ長老の死から立ち直る夢を見る。
  • スメルジャコフは、癲癇の発作で寝込んでいる。

第4部第11編「兄イワン」

スメルジャコフは、イワンは父を見殺しにしたと言う。 スメルジャコフは、イワンがフョードル殺害実行を黙認したということは、殺害したも同然だと言う。 イワンは、父の死を望み、予感していた。スメルジャコフはイワンを尊敬しており、イワンの気持ちを忖度して フョードル殺害を実行したのだった。

アリョーシャは、イワンに向かって「父を殺したのはあなたじゃない」と繰り返す。 これは、父殺しの責任の一端がイワンにあると暗に言っていると解釈できる。

アリョーシャの言葉がきっかけとなって、イワンはまたスメルジャコフに会いに行く。 スメルジャコフは、イワンに対し、あなたの命令に従ってフョードルを殺したのだと言った。あなたが主犯だと言った。 スメルジャコフは、3000ルーブルをイワンの前に出した。それは、スメルジャコフがフョードルの寝室から盗んでいたものだった。 ショックを受けたイワンは「ひょっとしたら、おれも有罪かもしれない」と言う。

その夜、スメルジャコフは自殺する。それは、イワンとの繋がりが幻想であったことに気づいたからかもしれない。

4つの層での父殺し

  • 物語層では、イワンがスメルジャコフを唆して、スメルジャコフがフョードルを殺した。ドミートリーは父を憎んでいたし、 アリョーシャも父殺しを黙過したとも言える。
  • 歴史層においては、スメルジャコフが犯人。スメルジャコフは、ずっと差別を受けてきており、ロシアを憎んでいた。 彼が嫌うロシア的な放縦さの象徴がフョードルであった。
  • 象徴層においては、万物調和を否定するイワンが父殺し。
  • 自伝層においては、イワン=ドストエフスキーが父殺し犯。 フョードルはドストエフスキー自身の名前。この名前は、自分に対する懲罰の意味を込めたのだろう。スメルジャコフは、スメルド(農奴)につながる。 ドストエフスキーが農奴を唆して、農奴がドストエフスキーの父ミハイルを殺したという構図が浮かび上がる。

第4部第12編「誤審」

裁判では、イワンは、自分がスメルジャコフを唆し、スメルジャコフがフョードルを殺したのだと証言した。 しかし、イワンの証言は聞いてもらえず、ドミートリーはシベリア流刑となる。

エピローグ

イリューシャが病気で死ぬ。アリョーシャによる追悼の言葉に、コーリャは「カラマーゾフ万歳!」と叫ぶ。 これは、書かれなかった第二の小説への導入だと考えられる。1866年4月にはアレクサンドル二世暗殺未遂事件が起きている。 犯人は、ドミートリー・カラコーゾフ。「カラマーゾフ万歳!」は、革命派たちへの気遣いかもしれない。 第二の小説は、革命派と皇帝派との和解を目指していたのだろう。

亀山氏が空想する「第二の小説」

アリョーシャは、カラマーゾフ派を始める。コーリャ・クラソートキンは、社会主義者で、優しさと冷たさを併せ持つ。コーリャは革命結社を組織する。 コーリャは皇帝暗殺を企てたことで逮捕され死刑判決が下されるが、恩赦によりシベリアに送られる。 アリョーシャは人知れず死に、その犠牲の上で、革命派と皇帝派が和解するのではないか。