『金閣寺』は昔読んだことがあるが、そのときは全く良さが分からず、ほとんど頭に残っていない。
平野氏の解説を見てみると、やはり三島、あるいは主人公の溝口の心の屈折がよく理解できなかったのが、過去に
理解できなかった原因なのだろうと思う。それと、金閣の美ということにひっかかったのも原因だろう。
金閣が日本的美の典型だとも思えないからだ。
平野氏の解説を読んだうえで小説を再読してみると、『金閣寺』には複数のテーマが複雑に縒り合わされていることがわかり、
それらを念頭に置いて読むと、心に響くのだということがわかった。
それらは、三島(or溝口)の屈折した心と社会からの疎外感、その一方の誠実さ、
戦前・戦中から戦後への転換に関するひっかかり、戦後社会の生ぬるさ、
美とは何かという芸術論、行為と認識の相克、などである。
講師の平野氏は、金閣を天皇制の象徴とみなすという読み方を紹介していた。天皇制であっても国体であっても良いのだが、
戦前・戦中の権威だと思って読むと理解できるようになる部分が多い。すると、「金閣を焼かねばならぬ」は、
天皇を殺さなければいけない、あるいは、何か戦前・戦中に何かの形で区切りを付けるということである。
戦前・戦中から戦後への価値の大転換の中で、自分を欺いて適応することができなかったとすれば、
そういう想念に行きついても不思議はない。「金閣の美」ということは実はあまり重要ではなさそうだという気がする。
解説によれば、「創作ノート」にこの小説の主題が書いてあって、その一つが「美への嫉妬」ではあったようだが、
これはモデルとなった林養賢の言葉から持ってきたものだとのこと。だから、三島は、屈折した心を溝口に託し、
それをさらに林養賢に重ねるために文学的修辞を駆使して「金閣の美」を描いたのだと思う。しかるに、
本当に問題だったのは、小説の主題として並べて書かれてあった「絶対性を滅ぼすこと」の方だったと思う。
金閣を美の典型だと考えるのは無理があると思うし、三島の美的感覚に合うという感じもしない。
金閣を焼くということにはもう一つ意味が込められている。それは、世界を変えるには、
認識ではなく行為によらなければならないという考えだ。これは、後の三島の自決に通じる。
この世界を変えるというのにも二重の意味がありそうで、その一つは、自らの心の鬱屈を開放すること、
そして、先述の価値の転換に区切りを付けることだ。
そういうわけで、だいぶん『金閣寺』がわかるようなった。溝口の社会からの疎外感の強烈さを感じること、
戦中から戦後への社会の不整合な移行に違和感を感じること、そして「金閣の美」を忘れてしまうことが基本的に重要である。
その中で、社会とのかかわりを何とか取り戻そうとした溝口が行き着いた先が放火であり、その結果、
溝口はようやく生きる希望を取り戻す。このロジックが肝だということが分かった。
三島の心の屈折ということで、解説を読みながら初めてちゃんと認識したことは、三島の年齢が昭和の年号と同じ
ということだ。これの何が重要かと言えば、敗戦の年が 20 歳ということで、一つには、運命がちょっと違えば、出征しないと
いけなかったということだ。三島の場合は、風邪を肺浸潤と誤診され、出征を免れたようだが、これが彼のコンプレックスとなる。
もう一つは、20 歳の時に社会が大きく変わってしまったことで、誠実な性格の人は適応に苦しむことになる。
文壇デビューは 16 歳のときの『花ざかりの森』で、これはまだ戦中である。それから敗戦を経て 24 歳の『仮面の告白』で
戦後文壇にデビューする。この間、心の苦闘があったことが想像される。こういったことも、三島の華麗な文体の中に折り畳まれている。
『100分de名著』の今号は電子書籍になっていない。三島由紀夫の著作が全く電子書籍になっていないところから見て、
おそらく遺族が電子書籍にするのを認めていないのであろう。旧著作権法なら保護期間が 50 年なので、今年は著作権が
切れていたはずで、青空文庫などでも読めていたはずだし、今号も問題なく電子書籍になっていたであろう。
著作権法の改悪によって、そのような文化の享受ができなくなったのは残念なことである。三島くらいの有名人なら
70 年経っても忘れられることはないだろうが、もうちょっと有名でない人なら、70 年も経つと忘却されてしまう。
以下、いくつか印象的な部分などを引用を交えてまとめる。
溝口の疎外感
主人公溝口の屈折した疎外感を強く感じさせるのは、言ったことを素直に受け止められて主人公が爽快感を感じる場面である。
素直に応対されるということが大きな転機になるというのが、溝口のこれまでの孤独や鬱屈を表すと同時に、その相手は、社会の中の
良質の部分の象徴となっている。それはおそらく三島の少年時代の心の屈折の反映でもあるのだろう。
まず、鶴川という徒弟仲間で育ちの良い少年が、溝口の吃音をからかいもせずさらっと受け流してくれた場面である。
鶴川はえもいわれぬやさしい微笑をうかべた。そしてこう言った。
「だって僕、そんなことはちっとも気にならない性質(たち)なんだよ」
私は愕(おどろ)いた。田舎の荒っぽい環境で育った私は、この種のやさしさを知らなかった。
私という存在から吃りを差引いて、なお私でありうるという発見を、鶴川のやさしさが私に教えた。
私はすっぱりと裸かにされた快さを隈なく味わった。[p.56]
それまで、自分を受け止めてくれる人が周囲にいなかったというのが溝口の悲劇である。
放火の直前、溝口が禅海和尚に自分を受け止めてもらったと感じる部分も印象的である。
「私を見抜いてください」ととうとう私は言った。「私は、お考えのような人間ではありません。
私の本心を見抜いてください」
和尚は盃を含んで、私をじっと見た。雨に濡れた鹿苑寺の大きな黒い瓦屋根のような沈黙の重みが私の上に在った。
私は戦慄した。急に和尚が、世にも晴朗な笑い声を立てたのである。
「見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらわれておる」
和尚はこう言った。私は完全に、残る隈なく理解されたと感じた。私ははじめて空白になった。その空白をめがけて
滲み入る水のように、行為の勇気が新鮮に湧き立った。[p.311]
ここの解釈が文字通り読むと難解である。
ここは講師の平野氏の解釈に沿って読むと理解できる。まず、禅海は理想的な父性像であると見る。
溝口は両親との間に溝を感じていたし、三島も父親との間に軋轢があったとされている。
そんな中で、禅海は、ようやく現れた「父親」だったのだ。
次に、平野氏によれば、「みんなお前の面上にあらわれておる」は、溝口の放火計画を見抜いたという意味ではない。
本質と表面的な現れは一体だという禅海の信念を表現していると見るべきである。すなわち、まだ放火をしていなければ
そのような人間なのだし、放火をすればそのような人間になるということだ。行為と本質は一体であるということで、
そこで、溝口が悩んでいた外面と内面の乖離が解決される。少なくとも禅海和尚は、溝口が、自分の内面を隠すことに
大きな苦しみを感じていることは見抜いたに違いない。そこで、それは心配することではなくて誰もが感じることであり、
プラグマティックに明朗に自分は外に現れているものだけを見るのだと言ってあげたのだと思う。
いずれにせよ、溝口は、外面と内面の間のねじれという悩みから解放されて「空白になった」。そこで、
放火という行為をすることで自分が変わることができるという勇気を得た、ということだ。
禅海和尚の言葉を聞いて放火の決心がついたというのも皮肉ではある。禅海がもっと早く現れていれば、
溝口の運命も変わったかもしれないが、小説のドラマがここにある。
ここは、小説最後の言葉「生きようと私は思った」に接続する。
金閣寺が象徴するもの
金閣寺を天皇制やら旧体制の象徴と見るというのも一つの見方だけど、それだけでは説明できない部分もある。
それは、金閣のイメージが溝口の男女関係を邪魔するところだ。それは2回ある。まず、第一の場面。
そのとき金閣が現れたのである。
(中略)
下宿の娘は遠く小さく、塵のように飛び去った。娘が金閣から拒まれた以上、私の人生も拒まれていた。
隈なく美に包まれながら、人生へ手を延ばすことがどうしてできよう。美の立場からしても、私に断念を要求する権利があったであろう。
一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で人生に触れることは不可能である。
[pp.159-160]
ここで「美」が出てくるのは、私には不可解なのだが、古い因襲的観念のようなものだと思えば、理解可能になる。
絶対的に思えるものが欲望を阻むという心持は、三島が同性愛者だったことをも踏まえれば、理解できるものになる。
三島は、文学的修辞を用いて、絶対的に感じられる観念を「金閣の美」と重ね合わせてみせたのだと思う。
次に、第二の場面。ここは現れ方が少し違う。
私の言おうとしていることを察してもらいたい。又そこに金閣が出現した。というよりは、乳房が
金閣に変貌したのである。
私は初秋の宿直(とのい)の、台風の夜を思い出した。たとえ月に照らされていても、夜の金閣の内部には、
あの蔀(しとみ)の内側、板唐戸の内側、剝げた金箔捺(お)しの天井の下には、重い豪奢な闇が澱んでいた。
それは当然だった。何故なら金閣そのものが、丹念に構築され造形された虚無に他ならなかったから。
そのように、目前の乳房も、おもては明るく肉の耀(かがや)きを放ってこそおれ、内部は同じ闇でつまっていた。
その実質は、おなじ重い豪奢な闇なのであった。[p.193-194]
ここでは、金閣の中身は闇とか空っぽ(虚無)というテーマが出現する。旧体制も女性の美も仮構だと言いたいかのように。
表面的にはいかに華美でも中身は空っぽだと思った瞬間に、立ち現れたのは、「恍惚感」とされている。
修行僧として、何か気が抜けたようなほっとした感じを味わったのだと思う。やがてその感情は反転し、
数ページ後には、溝口は金閣に対する呪詛を口にする。
上の2回の出来事とそのほかの出来事を受けて、まとめのように、生の活き活きとした営みが、醒めた冷酷な目によって阻まれる
ということが、蜜蜂と菊の比喩で描かれる場面がある。ここは第一の場面の言い換えに近く、金閣が旧弊の硬直した見方であると考えることで
理解できるものになる。
蜜蜂はかくて花の奥深く突き進み、花粉にまみれ、酩酊に身を沈めた。蜜蜂を迎え入れた夏菊の花が、それ自身、
黄いろい豪奢な鎧を着けた蜂のようになって、今にも茎を離れて飛び翔(た)とうとするかのように、はげしく身をゆすぶるのを
私は見た。
私はほとんど光りと、光りの下に行われているこの営みとに眩暈を感じた。ふとして、又、蜂の目を離れて私の目に還ったとき、
これを眺めている私の目が、丁度金閣の目の位置にあるのを思った。(中略)
……私は私の目に還った。蜂と夏菊とは茫漠たる物の世界に、ただいわば「配列されている」にとどまった。
蜜蜂の飛翔や花の揺動は、風のそよぎと何ら変わりがなかった。[p.201]
公案「南泉斬猫(なんせんざんみょう)」
公案「南泉斬猫」の解釈が幾通りか出現する。そのたびごとに違う解釈が披露され、物語の進行と絡み合うさまが見事である。
「南泉斬猫」は、おおむね以下のような話である。南泉和尚の寺に仔猫が現れた。東西両堂の人々が自分たちのペットにしようと
争った。すると、和尚は仔猫を斬る姿勢を取り、何か言うことがあるものはないかと問うた。誰も何も言いださなかったので、
和尚は仔猫を斬り捨てた。日暮れになって、高弟の趙州が帰ってきてその話を聞くと、はいていた履(くつ)を脱いで、頭上にのせて
出て行った。和尚は、お前が居れば猫の子も助かったと嘆いた。
[解釈1 老師の講話, p.84] 猫の仔は妄念の象徴で、南泉和尚は、それを非情にも斬った。趙州が泥にまみれた履を頭に載せたのは、
寛容ということである。
この解釈1は、パッとしない解釈で、物語進行上も、老師の凡庸さを表すものとして用いられている。
[解釈2 柏木の話, pp.183-184] 猫は美の塊。美は、外部存在であるが、人の内部に影響を与える。
猫を斬ると、美を殺したかのように見えるが、美は死なない。趙州は、美の痛みに耐えるしかないとしたのだ。
柏木は、尺八や活け花の名手であった。と同時に、ニヒルな悪人でもあった。
柏木を深く知るにつれてわかったことだが、彼は永保(ながも)ちする美がきらいなのであった。
たちまち消える音楽とか、数日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはそういうものに限られ、
建築や文学を憎んでいた。彼が金閣へやって来たのも、月の照る間の金閣だけを索(もと)めて
来たのに相違なかった。[p.176]
美と悪徳は表裏一体という想念は、三島はその後もたびたびテーマにしているようである。たとえば、
『不道徳教育講座』(読んでないけど)という著書があったり、『サド侯爵夫人』みたいな戯曲があったりするのは
その表れだろう。三島自身は、お行儀の良い人だったようなので、逆説的な憧れということだと思う。
[解釈3 柏木の話, pp.274-275] 猫は美の象徴。両堂の僧は、認識によって美を無害化しようとした。
南泉は、猫を斬るという行動によって無害化した。趙州は、やはり認識によって無害化しようとしたのだが、
この認識は個々人の認識ではなく、人間一般の認識だ。そのような認識と美との相互作用から芸術が生まれる。
ここに至って、南泉斬猫の公案は芸術論になる。おそらく三島も生きづらさを抱えていて、それを芸術に昇華させたものが
この『金閣寺』なのであろうし、それが含んでいる毒を意識していたのであろう。しかし、その芸術への昇華という概念に
疑問を感じて、やはり行為しか現実を変えられないという想いが、その前後にある溝口の言葉「世界を変貌させるのは
行為なんだ。それだけしかない」(p.273) や、「美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」(p.275) といったことばに
反映されているのだと思う。
華麗な文章術
華麗な文章術で、陰鬱な事柄も猥雑な事柄も金色に彩るのが三島らしさである。たとえば、上にも挙げたところで菊と蜜蜂の比喩がある。
溝口が、寺の裏手で菊に蜜蜂がやってくるのを見ながら、性的な隠喩を重ねている。
私は蜂の目になって見ようとした。菊は一点の瑕瑾もない黄いろい端正な花弁をひろげていた。それは正に小さな金閣のように美しく、
金閣のように完全だったが、決して金閣に変貌することはなく、夏菊の花の一輪にとどまっていた。そうだ、それは確乎たる菊、
一個の花、何ら形而上学的なものの暗示を含まぬ一つの形態にとどまっていた。それはこのように存在の節度を保つことにより、
溢れるばかりの魅惑を放ち、蜜蜂の欲望にふさわしいものになっていた。形のない、飛翔し、流れ、力動する欲望の前に、
こうして対象としての形態に身をひそめて息づいていることは、何という神秘だろう![p.200]
菊の美しさを、女性の美しさよりも蠱惑的に(そもそも『金閣寺』ではあまり女性の美しさは描かれない)
描いていることが印象的である。
どうでもよいけど
p.114 に「(大谷)大学のグラウンドを隔てて、西の空にたたなわる比叡山に対している。」とある部分がある。
けれど、大谷大学から見て比叡山は東にあるのに「西の空」とはどういうことだろうか?
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 美と劣等感のはざまで
『金閣寺』は、華麗なレトリックで主人公の暗い内面が描かれているのが魅力。
『金閣寺』基本情報
- 昭和 31 年、「新潮」に連載された。
- 昭和 25 年に起こった金閣寺放火事件を題材にしている。しかし、主人公の心理は三島の創作。
- 一人称告白体の小説。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 主人公の溝口は、孤独な少年。生まれつきの吃音で、身体が弱く、運動が不得意。
- 溝口は、子供の時から父親から金閣は美しいと聞かされていた。
- 溝口は、海軍病院に勤める看護婦の有為子に惹かれる。溝口は、彼女の前に突然立ちはだかるが、
「何よ。へんな真似をして。吃りのくせに。」と面罵される。
- 溝口は、有為子の死を願う。有為子は恋人の脱走兵を匿って追及され、恋人を裏切ったため恋人から射殺される。
殺される直前の有為子の顔は非常に美しかった。
- 溝口は、父に連れられて金閣寺に行く。しかし、実際に見た金閣は美しくなかった。
|
- 美しいものが主人公を拒絶し、その存在を主人公が破壊するというモチーフが
ソナタ形式のように何度か繰り返される。美しいものは滅びる直前に最も美しくなる。
- 「心象の金閣」が絶対的な存在になってゆく。
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- 父親が亡くなって、溝口は金閣寺の徒弟になる。
- 溝口は、金閣寺に修行に来ていた鶴川という青年に出会う。鶴川は溝口の吃音を気にしなかった。
鶴川は、溝口の友となる。
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- 「創作ノート」によれば、『金閣寺』の主題は「美への嫉妬」「絶対性を滅ぼすこと」
- 「絶対性」の一つの解釈は、天皇のこと。金閣は天皇を象徴しているのではないか。
- 三島は、40 歳以前は政治的な言動をしていなかった。三島は、このころは天皇主義者ではなく、
天皇と訣別して戦後社会に溶け込もうとしたと考えられる。
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- 溝口は、空襲が京都に来ると考えると、金閣も自分も焼き滅ぼされる、ということに気付いた。
溝口は、金閣と自分が一体化するという考えに陶酔した。
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- 溝口は「共滅願望」を抱いていた。孤独の中で、金閣をはじめ皆と一緒に滅びることで、一体感が得られると感じていた。
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第2回 引き裂かれた魂
三島由紀夫の前半生
- 1925(大正14)年生まれ。本名は平岡公威。
- 昭和16年、『花ざかりの森』でデビュー。
- 戦時中に青春時代を過ごした。20歳の時終戦。
- 戦後は行き詰まりを感じる。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 昭和 20 年、敗戦。空襲で金閣とともに滅びることを夢見ていた溝口だが、その夢は潰えた。
- 「金閣と私との関係は絶たれたんだ。」敗戦は、溝口に絶望をもたらす。
- 敗戦の日、金閣の美はいよいよ輝いた。
|
- 溝口の共滅願望は絶たれた。
- 「心象の金閣」は「観念の金閣」に変わってゆく。「観念の金閣」が溝口の邪魔をするようになる。
- 終戦による価値の転換に、三島も戸惑っていた。戦時中は、死ぬことを覚悟していた。
- 三島が終戦前に属していた日本浪漫派は、戦後に全否定された。
|
- 溝口は米兵の案内をさせられる。米兵は連れていた女の腹を踏むように溝口に命じる。溝口は迸る喜びを感じた。
- 昭和22年、溝口は大谷大学に進学。そこで柏木に出会う。柏木は、足が不自由だった。柏木はその障碍をも武器にして
不敵に生きる男だった。
- 溝口が女性と二人きりになった時、金閣が現れた。金閣が邪魔をして、女性との関係は絶たれた。
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- 溝口は、米兵が連れてきた女を踏みつけたことで、悪に触れた。
- 金閣の美が、目の前の女性を無価値なものにしてしまう。
- 柏木は、悪魔的なニヒリスト。
|
- 鶴川が交通事故死したという知らせによって、溝口は衝撃を受け、夜の金閣で独り過ごした。
- 柏木と溝口は、「南泉斬猫」という公案をめぐって語り合う。
柏木は、公案に出てくる猫は美の象徴だったと解釈する。
- 柏木は、溝口に自分の生け花の師匠を紹介する。ところが、またもや金閣が出てきて、溝口は女性から隔てられた。
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- 柏木による「南泉斬猫」の解釈。美は魔力を秘めている。その魔力を失わせるには、殺すのが一つの方法(行為による否定)。
もう一つの方法は、認識を変えることで、美と折り合いを付けること。
- 美への認識を変えれば、金閣を焼かなくても良かったのではないか。しかし、一方で、これは金閣だけの問題ではなく、
戦争体験と天皇とも重なっていた。
- 戦後社会は、認識を象徴天皇制に変えることで、天皇制を潰すことなく受け入れた。
- 三島はやがて天皇主義者になるが、30代の三島は、絶対という観念が自分を拘束してしまうと感じていた。
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第3回 悪はいかに可能か
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 昭和24年の正月のある日、溝口は、新京極で偶然老師を見かける。老師は女と車で去って行った。その後、老師は叱責もしなかった。
- 溝口は、老師の憎悪の顔を見たいと思った。溝口は、老師と一緒にいた芸妓のブロマイドを新聞に忍ばせてみた。
ところが、写真は机に戻されていただけだった。
- 溝口は問う「悪は可能であろうか。」
|
- 老師は、戦後社会に適応しているようにも見えるが、芸妓と遊んだりしている。三島は、老師を戦後社会の象徴として描いていると考える。
戦後社会は、何でもありで腐敗している。戦後社会は、事なかれ主義で手ごたえがない。
- 溝口は、老師と真っ当な関係を結びたいと思っているが、受け流されてしまう。
溝口は、老師に憎しみを抱くようになる。
- 何でもありになった相対的な社会の中で、悪は可能だろうか?溝口は、社会からの本格的なリアクションを求めている。
悪でなければ、社会は強く反応してくれない。
|
- 溝口は、大学を休みがちになる。寺でも白い目で見られるようになる。
- 溝口は、後継にする気はないと老師に言われる。金閣の住職になる道は絶たれた。翌朝、溝口は、寺を出奔する。
- 溝口は日本海に向かった。そのとき「金閣を焼かなければならぬ」という想念が膨れ上がった。
|
- 溝口は、日本海で、過去からの時間を構成し直す。自分の中で絶対的である金閣との関係を絶とうと考えるようになった。
金閣を焼くことで、やっと安心して戦後社会を生きていけると感じた。
|
- 溝口は、旅館で思索に耽る。なぜ老師ではなく金閣を滅ぼすのか?老師のような人はたくさんいる。
一方、金閣を消滅させれば、世界の意味は確実に変わるだろう。
- 柏木にした借金のことで、溝口は、老師から金閣を追い出されそうになる。
- 溝口は、柏木から鶴川の死の真相を聞かされる。鶴川は、恋の悩みで自殺したのだった。
- 柏木は、認識だけが世界を変えると言った。溝口は、世界を変えるのは行為だと言い返した。
- 溝口は、大学の授業料を手に遊郭に向かった。そこで初めて女性と関係を持った。
- 昭和25年6月、朝鮮戦争が始まって、溝口は破滅への予感を強めた。そこで、自分の行為を早めようと考えた。
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- 「金閣のように不滅なものは消滅させることができるのだ。」もともと金閣は不滅ではないはず。
金閣は、戦争を境に全く意味が変わってしまったものの象徴。
- 老師は、戦後社会そのもの。老師的な人は、戦後社会にいくらでもいる。
- 柏木は、溝口が抱いていた理想的な鶴川像を壊した。柏木は、認識一つで世界は変わるのだと言った。
- 伊集院氏の疑問「行為と認識は絡み合っているのではないか?認識が変われば行為も変わる。」
平野氏の答え「自分の認識が変わっても、社会的に見ると世界が変わるわけではない。溝口の根っこにあるのは、
社会からの疎外感。だからいくら自分の認識が変わって社会が変わって見えても、社会から見れば、
溝口は孤立している。やはり、溝口は、社会に影響を与えたい。そこで、行為しなければ社会は変えられないと考えるに至った。」
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第4回 永遠を滅ぼすもの
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 溝口は放火の準備を進める。睡眠薬と小刀も購入。
- 6 月 29 日の夜、金閣寺の火災報知器が故障。7 月 1 日、決行は今夜と決める。
- 禅海和尚が訪ねてくる。溝口は、禅海の素朴な人柄にうたれる。気持ちがすっきりして、いよいよ行為を決意する。
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- 溝口は生きるために金閣を焼こうとしているのだが、それは死の準備をしているようだった。屈折した自尊心の反映。
- 禅海和尚は、ようやくたどりついた理想的な父性像。小説の中では、やや唐突に出てくる。そうしてまでも三島は登場させたかった。
- 溝口は、自分の内と外が分離する疎外感に苦しんでいた。ところが禅海は、お前は外に表れているままの人間だと言った。
そこで溝口は、自分は行動すればその行動をしたような人間になれるのだと勇気づけられた。
- 禅海の登場は遅すぎたのかもしれない。もしもっと早く登場していれば、あるいは溝口を別の方向に導いたかもしれない。
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- 夜半、溝口は放火の準備をする。溝口の眼前に金閣の美が立ち上がる。虚無が美であった。溝口は少し逡巡するが、火を放つ。
- 溝口は三階で死のうと思ったが、扉が固く閉ざされていたので、金閣を出て、左大文字山の山頂に向かう。
- 溝口は、煙草をのんで「生きようと私は思った。」
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- 金閣の美を壮麗に描写。「虚無がこの美の構造であった。」金閣は建物なので中身は空っぽ。
- 金閣と一緒に死ぬというエンディングだと耽美的になるが、やはり三島は戦後社会を生きたいのだと思ったのだろう。
- 実際の犯人の林養賢は自殺未遂。でも、三島はやはり生きたいと考えた。
しかし、戦後社会を生きることを、牢屋の中で生きるというイメージで捉えた。
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三島のその後
- 1959 年、『鏡子の家』を発表。戦後社会をどう生きるかを考える作品だった。しかし、文壇では評価されなかった。
- 40 代になって 10 代の経験に回帰。「楯の会」を結成。1970 年、自決。
- 三島はずっと右翼なわけではなかった。三島は、戦後社会と適応しようとしていた。しかし、だんだんと戦後社会に失望していった。
彼は戦争体験を無いことにはできなかった。
- 三島には、生が充実していないといけないという切迫感がある。
- 三島は、戦争経験をずっとひきずっていた。彼の誠実さがそこにある。