フランツ・ファノン 黒い皮膚・白い仮面

著者小野 正嗣
シリーズNHK 100分de名著 2021 年 2 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2021/02/01(発売:2021/01/25)
入手電子書籍書店 honto で購入
読了2021/02/23
参考 web pages『黒い皮膚・白い仮面』結論部分の抄録

人種差別がもたらす自己疎外は常に痛ましい。白人から差別される側なのに、白人に同化したい願望があるという ここで描かれている黒人の問題は、これほど大きくはないけれど日本人にもあるということは自覚される。 そうでなければ、こんなに髪を金色に染めたがる人が多くはならないだろう。 同時に、日本人は差別する側でもある。実習生のような名目で日本にいる外国人労働者の問題には、 ここで描かれているような差別構造が内在している。

私は、これまでフランツ・ファノンを知らなかった。 『黒い皮膚・白い仮面』は、若き Fanon の心の叫びのようなものらしい。引用されている部分だけ見ても、 論理的な論考というよりは、詩のような言葉で思いをぶつけている感じである。 最後の一節がそれを象徴している。

Mon ultime prière:
Ô mon corps, fais de moi toujours un homme qui interroge!
私の最後の祈り、おお、私の身体よ、いつまでも私を、問い続ける人間たらしめよ!

ここで、corps と言っているのが、外見が差別の源となり続けると同時に、 その外見がファノンを差別を考え続けなければならない思索の人たらしめる源になっていることを反映している。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 言語をめぐる葛藤

著者フランツ・ファノン Frantz Fanon

『黒い皮膚・白い仮面』基本情報

本の内容とファノンの生涯

マルティニークの社会
マルティニークの子供たちは、白人の書いた本を読んだり、白人の映画を見たりする。 そこで、自分たちはニグロ(=アフリカの黒人)ではないと思い込む。
白人-混血(ムラート)-黒人という階層化がある。
人々はフランス人になりたいと考えるようになる。
クレオール語が蔑まれ、フランス語が「正しい」言語だとされる。
フランス語にかかわるものが本物だと思うようになる(文化的強制)。
自由フランス軍
第二次世界大戦中、ファノンは、自由フランス軍に参加する。
自由フランス軍で多くの死者を出したのはセネガル人だった。アンティル人は黒人の中でも優遇されていた。 しかし、フランス人から見れば、セネガル人もアンティル人も黒人だったので、差別を受けた。 ファノンは大きなショックを受けた。彼は、「自由・平等・博愛」の嘘を見てしまった。
フランス留学
1946 年からフランス留学。
フランスの子供から、ニグロだから怖いと言われた。
「すでに白人のまなざしが、それだけが真のまなざしである白人のまなざしが私を解剖する。」 他者のまなざしによって自分の存在を規定されてしまうことに衝撃を受ける。
フランス語とクレオール語
ファノンは、正しくフランス語を使うことが差別なく対等にふるまうことだと考えていた。
ファノンが生きていた当時、クレオール語に書き言葉は無かった。書き言葉としてはフランス語を選ぶよりなかった。

第2回 内面化される差別構造

結婚による乳白化願望
黒人は「白くなりたい」と考えている。
マヨット・カペシア『わたしはマルチニック娘』の中のマヨットという少女は、白くなりたいと思っている。 マヨットは白人と結婚したいと願う。マヨットは、フランス将校のアンドレと恋仲になる。マヨットはアンドレの子を身ごもったものの、 やがてアンドレはマヨットを捨てる。
ファノンは、マヨットのような考え方は黒人の劣等感の裏返しだと批判する。
ファノン自身は、フランスの白人女性と結婚している。自分の心の中にも矛盾があったのではないか。
乳白化願望のもたらす悲劇
ファノンの死の9年後に書かれた『青い目がほしい』(アメリカの作家トニ・モリスンの長編小説)には、 「乳白化」願望という自己疎外がもたらす悲劇が描かれている。
言語による乳白化願望
黒人を描いた「バナニア」というチョコレート飲料の広告には、片言のフランス語が書かれていた("Y'a bon Banania")。 黒人にはちゃんとフランス語が話せないというステレオタイプがあった。
黒人はフランス語を正しく話したいと思っている。
黒人に対して、子供を相手にするようなフランス語で話しかける白人がいる。どんな話し方をするかは、相手をどう見ているかを反映している。
植民地政策の遺した傷
白人が黒人を差別してきたので、黒人は白人になって人間性を取り戻したいと願うようになる。
黒人差別を生む社会構造を変革しなければならない。
精神分析家オクターヴ・マノニは「植民地化される人たちには、無意識のうちに支配に従属したいという欲望がある」と考察した。 ファノンは、これをもちろん否定する。マノニの考察は、支配する側の論理である。

第3回 「呪われたる者」の叫び

理性に基づく差別
白人は、科学をもって黒人を差別した。黒人はもともと劣っているのだとした。
たとえば、Octave Manoni は、マダガスカル人にはもともと「劣等コンプレックス」や「依存コンプレックス」があるとした。
差別は、集団にネガティブなイメージを与える。
自分たちと違うものに対する恐怖から差別が生まれる。
ネグリチュード
ネグリチュードとは、ニグロであることを受け入れる運動。
Aimé Césaire エメ・セゼールは、黒人であることは素晴らしいとした。セゼールがフランス留学をしていたとき、 アフリカからの留学生が黒人の文化や芸術の価値を主張しようとしていたのに衝撃を受ける。 そこで、内なるアフリカを「ネグリチュード」と名付けた。
ファノンは、セゼールの詩に奮い立った。
フランス語によって黒人が互いに交流することができて、ネグリチュードという運動が生まれた。
ネグリチュードは、非合理、非知性、リズムのようなことを強調した。
呪われたる者
サルトルによると、人は他者のまなざしによって規定される。差別する白人なしには、ネグリチュードはあり得ない。 ネグリチュードは、人類が本当に平等になるまでの途中段階でしかない。
ファノンは知性的な人なので、黒人の優位性を不合理性の中に求めるようなネグリチュードの中に自分を位置づけるのが難しかったのではないか。 ネグリチュードでは、黒人は理性や知性の領域から追放されたままになってしまう。
ファノンは、自分は黒人性から離れていると感じた。「私の足は大地の愛撫を感じなくなってしまった。 ニグロとしての過去も未来も取り上げられ、自分のニグロ性を実存することは不可能になった。 まだ白人ではなく、もうまったく黒人でもなく、私は呪われたものだった。」

第4回 疎外からの解放を求めて

差別のない世界へ
今を生きる私たちは白人に償いを求めない。
ファノンは自由を求めて闘った世代ではない。
生、愛、高邁な精神への oui と言う。蔑視に対して、卑賎に対して、搾取に対して non と言う。
社会構造を変えなければならない。対立も分断もない社会を求める。
現在でも Black Lives Matter 運動がある。

ファノンのその後の人生

Patrick Chamoiseau