ヘミングウェイと言えば、『老人と海』を少年のころに読んだと思う。ずいぶん昔なのでほとんど覚えていなかったが、
言われてみればそんな話だったと思い出した。本書では、ほかに『敗れざる者』と『移動祝祭日』が解説されている。
『敗れざる者』が短編の代表として紹介されるのは珍しいのではないかと思う。私は題名さえ知らなかった。
本書を読んでみると、『老人と海』と関連の深い初期の作品であることが分かる。
『移動祝祭日』はヘミングウェイの若いころの回顧録のように見えて実は虚構もかなりあるという話を聞くと、
ヘミングウェイがなかなか複雑な内面を持っている人だとわかる。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 大いなる自然との対峙~『老人と海』①
アーネスト・ヘミングウエイ基本情報
マッチョなイメージの反面、弱くて傷つきやすいところがある。
- 1899 年、アメリカのシカゴ近郊で生まれる。父は外科医、母は声楽家。母親は双子の女の子が欲しかったので、
ヘミングウエイはずっと女の子の格好をさせられた。
- 1917 年、『カンザスシティー・スター』紙の見習い記者。
- 1918 年、イタリア戦線で迫撃砲弾を受け、脚部に重傷を負う。その後も、何度も戦場に赴いた。
『老人と海』
文章の完成度が高く、自然との共生というテーマが描かれている。
1952 年、出版。1953 年、ピュリツァ―賞。1954 年、ノーベル賞。
簡潔だが、深い内容を表した文体。新聞記者時代に文章の書き方を学んだ。
20 世紀初頭のモダニズムの影響もある。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 老漁師サンチアゴは84日間獲物が捕れなかった。少年マノーリンが老人の世話をしている。
- 85日目、老人は海に漕ぎ出す。
- 老人は、いつも海を女性名詞として「ラ・マール」と呼んでいた。
- 突然、大きな当たりが来た。カジキが食らいついたのだった。
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- 老人の猟は2日目に入った。巨大なカジキが姿を現した。
- 再び夜になった。
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- 老人は一人で釣りをやっているだけ。だが、生き物との対話を入れることで、読者を飽きさせない。
- 老人はもともと無口だったという設定。大事なことは口にしない。
- ヘミングウエイ自身もカリブ海で釣りをした。その体験も生かしたことがらがたくさん書かれている。
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- 3日目、カジキが弱ってきた。
- 老人は、カジキに銛を突き刺した。カジキは死んだ。
- 老人は、死んだカジキを船にくくりつけた。
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- 伊集院「『遠野物語』の熊と戦う漁師の話を思い出した。」
- 都甲「カジキに対する尊敬の念を持っている。老人とカジキは、ほとんど愛の関係。」
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第2回 死闘から持ち帰った不屈の魂~『老人と海』②
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 船につないだカジキを狙ってサメがやってくる。
- 最初に来たサメには銛を刺した。しかし、銛を持っていかれた。
- 次に、ナイフ付きのオールで2匹のサメを撃退した。
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- 老人は考えない。考えると感覚が鈍くなる。
- 現代社会では、身体性を忘れがち。
- 「いま」に集中するということは、マインドフルネスを思わせる。
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- 3回目のサメの襲来でナイフが折れた。
- 次に来た2匹のサメは、棍棒で打った。
- 夜、サメの群れがやってきた。老人は棍棒を振り下ろした。棍棒を奪われ、次には舵棒で打った。
でも、カジキの肉はほとんど失われた。
- 老人は3日ぶりに港に帰り着いた。
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- 老人は、いつもその場でベストを尽くす。
- "A man can be destroyed but not defeated." 負け惜しみではある。だが、その時々でベストを尽くす。
すると、負けたと言わなければ負けではない。
- 老人は、カジキを尊敬しカジキへの思い入れがあるので、カジキを最後まで連れ帰ろうとした。
さらに、老人は少年マノーリンに自分の生き方を見せたかったのではないか。
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- 朝になって、少年マノーリンがやってきた。老人は眠っていた。少年は老人の手を見て泣きだした。
- マノーリンは、老人のためにコーヒーを買いに行った。
- 老人は起きてマノーリンと語り合う。
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- マノーリンは、老人から漁師の心構えを教わっていた。
- 老人は、マノーリンに生き方を教えたいと思っているのだろう。
- ヘミングウエイの作品には、理想的な男性の相棒がよく出てくる。『老人と海』ではマノーリン少年。
- 大きなカジキの骨を見た人々が、老人に尊敬の念を抱く様子が描かれている。
- 老人は、ゴミ同然の道具を使って、高い精神性に到達している。
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- アメリカからの観光客が、カジキの骨がサメだと勘違いした。
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- ヘミングウエイは、キューバの気骨を評価した。キューバの精神性がわかるように『老人と海』を書いた。
- 当時のキューバは、アメリカの属国。
- 最後の場面では、アメリカ人の自然に対する無理解が描かれる。
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第3回 交錯する「生」と「死」~『敗れざる者』
『敗れざる者』
1925 年の作品。スペインの闘牛を題材とした作品。主人公は盛りを過ぎた闘牛士のマヌエル・ガルシア。
ヘミングウエイは闘牛が好きだった。生死を賭けた闘いが行なわれているからだ。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- マヌエルは興行師レタナに闘牛に出してくれと頼みに行く。夜の部で出場することになる。
- マヌエルは引退したスリトに槍師(ピカドール)を頼んだ。スリトはいったんは断る。
スリトは、マヌエルが失敗したら引退することを約束するという条件で引き受ける。
- さらに、若手闘牛士のエルナンデスと若手銛師のフエンテスがサポートすることになる。
- マヌエルはフエンテスのことが気に入った。フエンテスはジプシーだった。
- 試合は順調に進んだ。しかし、スリトは、マヌエルが汗をかいていることに気付いた。
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- マヌエルが汗をかいているということで、ヘミングウエイはマヌエルにはもう余裕がないということを
描写している。最小限だけ書いてわからせるところが上手い。
- フエンテスは真面目で、マヌエルは気に入った。マヌエルは、自分の闘牛への思いをフエンテスに託そうと思う。
- 取材に来ている新聞記者は途中で帰ってしまう。彼は試合を見なくても名文が書けてしまう人物だった。
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- マヌエルが牛にとどめを刺そうとする。マヌエルは、何度もはじき返される。
- マヌエルは観客が投げ込んだクッションに足を取られる。牛の角がマヌエルの腹に突き刺さる。
マヌエルは牛にとどめを刺すものの、重傷で医務室に運ばれる。
- スリトはマヌエルの弁髪を切ろう(=引退させよう)とするが、マヌエルが拒否したので、スリトは断念する。
- マヌエルには弟アントニオがいた。アントニオは、試合中に命を落としていた。
- マヌエルは目をひらいて、スリトを見た。
「うまくいっていただろう、なあ?」念を押すように、彼は訊いた。
「ああ」スリトは答えた。「うまくいってたよ、とても」
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- ヘミングウエイ作品では、理想の伴侶は男性であることが多い。この場合は、スリト。
- 闘牛士は考えてはならないということをマヌエルはわかっていた。無意識で動くことでスピーディーに動ける。
- マヌエルには、弟の遺志を継いでいるという思いがある。
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第4回 作家ヘミングウエイ誕生の軌跡~『移動祝祭日』
『移動祝祭日』
ヘミングウエイが20代 (1921--1926 年) にパリで過ごしたときの青春回想録。
虚実入り混じっている。実在する作家も書かれているが、その記述にも虚実いろいろある。
1964 年、ヘミングウエイの死後に刊行。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 1920 年代にはアメリカからパリに作家が多くやってきた。
- ガートルード・スタインは、若者を批判して「ロスト・ジェネレーション」だと言った。
- スコット・フィッツジェラルドから旅に誘われたが、彼の遅刻や体調不良で旅は台無しになった。
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- 移動祝祭日とは、年によって変わる祝日のこと。
- フィッツジェラルドは、『日はまた昇る』の草稿に助言し、ヘミングウエイに出版社を紹介した。
ヘミングウエイにとっては大恩人のはずだが、困った人のように描かれている。
- スタインは、ヘミングウエイに文章術を教えた恩人なのに、嫌味っぽいオバサンのように描かれている。
- 『移動祝祭日』を書いていたころは、ヘミングウエイはすでに大作家だったので、ほかの作家のことは
褒めないということだったのかもしれない。
- あるいは、ヘミングウエイは孤高の天才というイメージに自分を合わせていきたかったのではないか。
- スタインは、ヘミングウエイにセザンヌの絵に学べというアドバイスをする。多角的にものごとを見よ、
ちゃんと感じろということ。
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- 次の展開を思いついたときにいったん止める。いったん書くのを止めたら、翌日までその作品のことは考えないのば良い。
- 息抜きに読む本は、現役作家のエンタテインメント性の高いものが良い。
- 「氷山の一角」理論;意図的な省略で強いインパクトを与える。
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- ヘミングウエイの仕事術も書かれている。
- 短編『白い像のような山並み』では、中絶という言葉を出さずに中絶のことを語っている。
- 作品中に余白や無意識が入ってこられる穴を設置しておかないと奥行や凄味が伝わらない。
- ヘミングウエイは、毎日同じルーチンで仕事をする。
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ヘミングウエイとパリ
『移動祝祭日』を書いていたころ、アルコール依存症に伴う鬱病を発症。1961 年、自殺。
パリ時代へのノスタルジーを書いたのが『移動祝祭日』。