ボーヴォワール 老い

著者上野 千鶴子
シリーズNHK 100分de名著 2021 年 7 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2021/07/01(発売:2021/06/25)
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読了2021/07/19

ボーヴォワールは、名前を知っているだけで読んだことはない。

私自身も老いを感じることが多くなり、そして親の介護も必要となった今日この頃、「老い」というテーマは切実である。 その中で、講師の上野氏のストレートで正直な語り口が非常に印象的だった。 老いに無駄な抵抗はせず、ありのままに生きることが大切なのだと学んだ。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 老いは不意打ちである

シモーヌ・ド・ボーヴォワール基本情報

内容

老い
老いは文明のスキャンダル(言語道断の事実)。
高齢者をどう扱うかで社会が分かる。
向老期の研究はあまりない。
老いは中途障碍。自分で自分を受け入れられないのは、自己差別。
老いに気付くとき
ある日、自分が老いたことに気付き、愕然とする。
老いは、他者の経験としてやってくる。つまり、周囲の人に年を取ったねと言われる(or 思われる)。
老いの4つの次元:生理的、心理的、社会的、文化的
4つの次元の中で、心理的老いが最も遅れる。心が最も追い付かない。若いときに年寄りをバカにした経験が心に残っている。
否定的に描かれる老い
過去の著名人は、いろいろな形で自己否定的に老いを叙述している。
童話の中の老婆は、不吉な存在として描かれることが多い。社会の中で、女性の価値は若さだと思われているから。
女性が年を取ると楽になることもある。生理が無くなると、女だからタブーとされていたことができるようになる。 でも、これは女性差別の裏返し。
老いを直視せよ
「自分が若いと感じていれば若い」と言うのは、自己否定。

第2回 老いに直面した人びと

老いの価値
時代や地域によって、若さに価値があると見られたり、老いに価値があると見られたりする。
近代化すると、年寄りの価値が下がる。
文明社会の裕福な老人は長命である。経済格差が健康と長寿に関係する。
職業と老い
ボーヴォワールは多くの事例を集めて、職業ごとに老いを評価している。
作家が老いてから書くものにはあまり価値がない。作家自身も自分の老いを否定的に捉えていることが多い。
学者も 40 歳になると、すでに老いている。老いた学者はしばしば学問の進歩を阻害する。
画家は、技術の習得に時間がかかるので、しばしば最晩年期に傑作を生む。
音楽家も年月とともに進歩する。
伊集院「芸人にとっては、他者の評価がすべて。」
老いた政治家が時代の流れに自分を合わせるのは困難だ。
上野「政治家は、結果責任。」
上野「ボーヴォワールは、自分にも他人にも正直。ボーヴォワールはリアリスト。」
英雄的な老い
バートランド・ラッセルは、89 歳になって、反核の非暴力デモを行った。
ゲーテは、老いて講演中に記憶力を失って 20 分間黙ってしまった。やがて、彼は何事もなかったかのようにまた話し始めた。
上野「ゲーテを尊敬してじっと待っていた聴衆も含めて、良い話だと思う。」
伊集院「円楽師匠は言葉が出づらくなった。円楽師匠は、それすらも笑いに変えたいと言っている。」

第3回 老いと性

老人の性というタブー
性欲は、自分を他者へと差し向ける欲望だから、人間の社会を考えるうえでも重要。
フーコーの『性の歴史』は、性が社会的・歴史的な産物であることを明らかにした。
ボーヴォワールは、性の規範を批判。老いても性欲が無くなるわけではない。
年を取ったら性欲を表に出してはいけないというタブーがある。老人の性は抑圧されている。
近代になって、年寄り、子ども、障碍者の性が否定された。
フーコーによれば、近代国家においては生殖につながらない性は否定された=「生政治 (biopolitics)」
フーコーによれば、権力というのは、人と人との間に張り巡らされた微細な力の行使である。それが内面化されると規範になる。
高齢男女の性
たとえば、ヴィクトル・ユーゴーは、晩年、売春婦のもとに通い、複数の愛人を持った。
男性は、ペニスに第二のエゴを見出す。男は勃起しないことをおそれる。神話化するペニス・コンプレックス。
女性も、老いても性欲がある。
老いた女性を縛るものが二つ:(1) 自己愛的な関係=女性は老いた自分の肉体を晒すことに耐えられない、 (2) 世論の圧力=明澄な心境の老婦人という役割を演じなければならない
最近、老女性愛文学が出てきた。たとえば、李昂『眠れる美男』、松井久子『疼くひと』。
ボーヴォワールの性
サルトルとボーヴォワールはお互いを縛らなかった。
ボーヴォワールは、39 歳の時、作家ネルソン・オルグレンと恋に落ちる。
次の恋人は、44 歳の時から、映画監督クロード・ランズマン。
倫理もまた権力。

第4回 役に立たなきゃ生きてちゃいかんか!

社会が高齢者をどう処遇するかを考える。

高齢者の居場所
従来、高齢者の世話は家族の義務とされていた。しかし、家族の中で高齢者は冷遇される。
では、老夫婦で暮らすのはどうか?しかし、それもうまくいかない。
最も悲惨なのは、貧しい独居老人。
上野「嫁による介護は強制労働。」
介護保険制度ができて、介護が社会化された。
老人ホームなどの介護施設
ボーヴォワールは、その当時の介護施設に対して否定的。高齢者は在宅を願っている。
例外として、アメリカのヴィクトリア・プラザを挙げている。居住者が家族から切り離されていない。
いろいろな年齢層がいる集団住宅の中に老人ホームがあるようなのが望ましい。
上野「いまさら集団生活はやりたくない。」
上野「高齢者施設は街に開かれたような形であってほしい。」
上野「今では、在宅で最期を迎える取り組みが進んでいる。」
認知症
問題行動は、老人たちの抗議あるいは自己防衛である。
徘徊老人は何かを捜し求めている。そして、家族が困っているのを見て喜んでいる。
上野「認知症になってまで生きていたくないという人がいる。しかし、今の私が将来の私を決めてよいのか?認知症老人の安楽死には反対。」
老いと希望
ボーヴォワールは、未来に希望を持っていた。「私は若い人びとが好きだ。私は彼らのなかに われわれの種[人類]が継続すること、そして人類がよりよい時代をもつことを望む。 この希望がなければ、私がそれに向かって進んでいる老いは、私にはまったく耐えがたいものと思われるだろう。」
上野「老いは誰にでも訪れる。機嫌良く老いていきましょうね。」