東日本大震災 10 周年ということで、私たちの生き方を考えようという特集。4つの随筆が取り上げられている。
選び方や取り上げ方は、いかにも若松氏らしい。私だったら、たぶんこういう選び方や取り上げ方はしない。
私は、そもそもここで取り上げられているものを読んだことはないのだが、仮に読んだことがあったとしても、
たぶんこういう取り上げ方はしないだろう。一番気になるのは、これらが書かれた後の知見である。
たとえば、民俗学は柳田の頃よりたぶん進んでいるだろう。そういった新しい知見を踏まえてもここで書かれていることは正しいのだろうか。
寺田寅彦『天災と日本人』では、文明によって人が自然とのつながりを失って、被害が大きくなったというような話が語られる。
しかし、こういう話は一面では真実だが、一面では違うんじゃないかとよく思う。地震で考えよう。
文明によって、被害が拡大してしまった典型例は、東日本大震災における福島原発事故だとか、関東大震災における火災が挙げられる。
たしかに、津波の届かない台地上の原っぱのようなところに立っているだけなら、いくら大きな地震が起こってもたいした被害はないだろう。
しかし、文明が発達していなくても、海岸沿いに住んでいれば津波で死者は出るだろうし、崖の近くに住んでいれば地滑りの被害を受けるだろう。
そして、ある程度以下の津波や地滑りなら、文明の力で被害を避けることもできる。なので、文明を一概に被害拡大の要因だというのには抵抗がある。
こういうことは、もう少し冷静な目で分析したいところである。
柳田国男『先祖の話』では、御先祖様が近くにいるという感覚が紹介される。私が気になるのは、これは日本人に特有のものなのか
ということである。素朴に考えると、先祖崇拝は多かれ少なかれ人類に普遍的にありそうなものだし、そういう研究もたくさん
ありそうなものである。それがどうなのかを知りたいところである。普通の人の感覚を仏教と対比しているところがあるが、
仏教は、もともとは死者に対して比較的冷淡で、仏教における法事のようなものは、民衆に迎合してできたようなものだから、
仏教と比較するのも変な感じである。
セネカ『生の短さについて』で、人生短いから有意義に時間を使いましょうね、と言っているのは誰でも言いそうなことだが、
ポイントは、有意義な時間の使い方が何かということである。セネカによれば、古典と向き合って自己省察を深めることだそうだ。
これって良いような気もするけど、あんまり生産的ではないので、現代でこれに賛同する人はそうはいないんじゃないだろうか。
とはいえ、閑暇が大事と述べているのは首肯できる。それは、学問の望ましい姿だろう。やっぱり、ゆっくり考える暇を作らないと...。
閑暇が school の語源だというのも初めて知ったことである。
池田晶子『14歳からの哲学』は、内容も取り上げ方も疑問である。ふわふわした「哲学」をふわふわ解説するのでは、
これって哲学の紹介にならないのではないかと思ってしまう。哲学を解説するなら、もっと思想史上の位置づけとか、
哲学が何をどう考えるものなのかとかを紹介しないといけないのではないかと思う。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 寺田寅彦『天災と日本人』―「自然」とのつながり
東日本大震災 10 年を機に「つながり」を取り戻すことを考える。
『天災と日本人』基本情報
- 著者は寺田寅彦。物理学者であると同時に、随筆家、俳人でもある。
- 災害に関する随筆集。東日本大震災後に出版された。
『天災と日本人』内容
- 災害を拡大する文明
- 文明が発展するほど、人間は災害に弱くなり、被害は大きくなる。
- 損害は個人から共同体全体へと広がる。
- 寺田は科学の弱点も理解していた。
- 福島原発事故は、文明が被害を拡大した典型。
- 過去の忘却
- 人は災害を忘れる。災害は忘れたころに来る。
- 1933 年、昭和三陸地震が起こった。1896 には明治三陸地震があったのに、37 年で過去の教訓は忘れられていた。
- 自然の時間軸は人間の時間軸とは違う。
- 他所の災害を我が事として考える必要がある。
- 人と自然のつながり
- 昔から伝わっている方法で建てられた建造物は比較的安全。
- 民族的な知恵も重要。これも一種の学問。
- 俳句や短歌も自然とのつながり。
- まとめると、学問と経験と芸術を通じて自然とつながる。
- 哲学も科学も寒き嚏(くさめ)哉
- 「何故泣くか」
- 「色々な不仕合わせを主観して苦しんでいる間はなかなか泣けないが、不幸な自分を客観し憐れむ態度がとれるようになって初めて泣くことが許される」
第2回 柳田国男『先祖の話』―「死者」とのつながり
『先祖の話』基本情報
- 著者は柳田国男。日本民俗学の創始者とされる。
- 1946 年出版の随筆集。東京大空襲のさなかに記された死者論。
『先祖の話』内容
- 背景
- 東京大空襲のさなかに日本人が死とどう向き合ってきたかを記す。
- 常民の常識=どこにも書いていないけれどもみんなそうだと思っていること
- 常民の死生観
- 市井の人々は、死者は目に見えなくてもいつも傍にいると感じている。
- 仏教は此岸と彼岸をはっきり分けるが、普通の人はそう感じてはいない。
- あるお爺さんは、自分は御先祖になるつもりだとうれしそうに話した。
- 御先祖様は、子孫を安泰にするために支援をする。子孫は、御先祖様を「じいさんばあさん」と呼ぶ。
- 墓は、死者を閉じ込める場所ではない。死者がだいたいそのへんにいて、待ち合わせができるような場所。
- しかし、「家」が失われつつある現在、死者が還る場所をどうするか、私たちは考えていかなければならない。
- 死者の言葉
- 死者の言葉を聞く。若松氏は、ここの「言葉」は言語でも声でもなく、胸に訴えてくるものだと考える。
- 若松:悲しみは愛に変わる。悲しみを背負った人は、愛を与えることができる。
第3回 セネカ『生の短さについて』―「時」とのつながり
『生の短さについて』基本情報
- 著者は、ルキウス・アンナエウス・セネカ(BC4-AD1ごろ~AD65)。
- 内容は、自分を戒めるような言葉がつづられた哲学書。
『生の短さについて』内容
- テーマ
- 人は人生を短くしている。
- セネカ
- 皇帝ネロに仕える。皇帝暗殺にかかわったとされ、ネロに自殺を命じられる。
- 時の浪費
- われわれは生を蕩尽する。
- 時間は誰にとっても同じように進む。しかし、時は質的なもので、浪費されうる。
- 未来は不確実。「ただちに生きよ。」何事も先延ばしにしない。
- 人々は、時間を無価値なものとみなしている。だから時は浪費される。
- 閑暇は悪いものではない。人々は時間に用事を詰め込みたがる。しかし、自己を探求することの方が大切。
われわれは、自分の本当の宿題を忘れがち。
- 閑暇(スコレー)は school の語源。
- 人はいつ死ぬかわからない。先々の計画を練るのではなく、古典を読むことが大切。過去の知の世界に逍遥する。
- 本を読むことは、過去の悠久の時間の中で死者と対話すること。
第4回 池田晶子『14歳からの哲学』―「自己」とのつながり
『14歳からの哲学』基本情報
- 著者は、哲学者の池田晶子(1960-2007)。2003 年出版。
- 内容は、中学2年生に向けて書かれた哲学書。
『14歳からの哲学』内容
- おもう→考える
- おもう=思う、想う、念う、etc.
- 「おもい」は自分のもの。自分の「おもい」次第で世界の在り方が変わる。
- 思い悩むのではなくて考えよ。考えることは、問いを深めること。
- 考えると自由になる。自由=自らに由ること。他人の定規で考えない。
- ことば
- 言葉の意味は、目に見えない。意味は、心で感じ取る。
- 考える
- 考えるには辛抱が必要。
- わからないということは、わかり始めたということ。
- 謎があるから人は考え続ける。