四つの署名

著者Sir Arthur Conan Doyle
訳者日暮 雅通
シリーズ光文社文庫 新訳シャーロック・ホームズ全集
発行所光文社
電子書籍
電子書籍刊行2010/12/24
電子書籍底本刊行2007/01/11
原題The Sign of Four
原出版社Spencer Blackett
原著刊行1890
原著初出Lippincott's Monthly Magazine, 1890/02
入手電子書籍書店 honto で購入
読了2022/01/16
参考 web pages Wikipedia「シャーロック・ホームズの冒険 (テレビドラマ)」

The Sign of Four

原著者Sir Arthur Conan Doyle
翻案者Roger Ahlberg
シリーズYohan Ladder Edition at the 2,000-word Level, YL103
発行所YOHAN PUBLICATIONS, Inc.
刊行1995/05
原題The Sign of Four
原出版社Spencer Blackett
原著刊行1890
原著初出Lippincott's Monthly Magazine, 1890/02
入手どこかで拾った
読了2022/01/18

Holmes もの新訳版を、NHK BSP で放映される Granada TV 版 (Jeremy Brett 主演) を見ながら読んでいる。 本作は Granada TV 版だと第 21 話 (脚本 John Hawkesworth) である。原作は、ホームズものの第2作目である。 合わせて、英語学習者用にやさしい単語しか使わず短縮してあるバージョン (Ladder Edition) も読んでみた。 簡単なので速く読める。

巻末解説に書いてある通り、タイトルの邦訳『四つの署名』はちょっとおかしいといえばおかしい。 「四つの署名」を英語にすると Four Signatures になりそうなところだからである。sign は単数形だし、 意味も「符号」とか「しるし」だから、巻末解説の通り「四人のしるし」とか「四人組の符号」が正しい。 十字を四つ横に並べた符号で、本文中では「四人のしるし」と訳されている。邦訳タイトルは、慣例に従ったということだ。

推理小説としてみると、推理より結局犯人の Janathan Small の告白が圧倒的に心に残り、推理は一体何だったのか という感じがする。それと、人種差別的な記述が気になるのと (Tonga はもっと人間らしく描けたはず)、 Watson と Miss Morstan の恋に波乱がないのが面白さを削いでいるように思う。

Granada TV 版では、Small の告白のウエイトが原作ほど重くはなく、ホームズらによる犯人追跡劇も楽しめる。 TV 版では、Watson と Miss Morstan の恋物語は省かれている。やはり、このような恋物語では浮いてしまうということだろう。 そして、Miss Morstan も一緒に Jonathan Small の告白を聞くことに変えてある。Jonathan Small は、Morstan 大尉は優しい紳士 だったと言っていて、そこで Miss Morstan も安堵するという演出になっている。 宝箱もその告白が終わった時に皆の前で開けられることになる。こうした変更により、原作よりもまとまりが良くなっていると思う。

ホームズの名セリフが Chapter 6 にある。『名探偵コナン』の「そして人魚はいなくなった」の第28巻File9でも引用されている。 Ladder Edition では省かれている。

[原作] You will not apply my precept. How often have I said to you that when you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth?
[日暮訳] きみときたら、ぼくの助言をちっとも活用しようとしないんだな。 今まで何度も言ってきたじゃないか。ありえないものをひとつひとつ消していけば、残ったものが、 どんなにありそうなことでなくても、真実であるはずだって。
[GranadaTV 版] You will not follow my precept. How often have I said to you when once you've eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth?
[GranadaTV 日本語版(額田やえ子訳)] ぼくの法則を忘れたかい。いつも言ってるだろ。不可能を消去したのち、 残ったものが、いかにとっぴであろうとも、真相なのだと。
[名探偵コナン訳] 不可能な物を除外していって残った物が…たとえそれがどんなに信じられなくても…それが真相なんだ!!!

英語メモ

Chapter 1 The Science of Deduction

deduction
第1章タイトルは「推理の科学」と訳される。つまり、推理小説の要の推理は deduction というわけである。
論理学用語としては、deduction は演繹で、induction(帰納)と対比される。
ホームズは探偵に必要な能力を3つ挙げている。それらは観察力 (power of observation)、 推理力 (power of deduction)、知識 (knowledge) である。
ちなみに単語数の少ない Ladder Edition においては、この3つの能力は power to look, power to think, power of knowledge と書き換えられている。

Chapter 2 The Statement of the Case

wrong
[原作, Ladder Edition] You are a wronged woman and shall have justice.
[日暮訳] あなたは不当な目にあわれているので、その埋め合わせをいたします。
「不当に取り扱われる」という意味の動詞として使われている。Ladder Edition で出てきていて、 基本単語なのに私の知らない意味で使われていると思って目についた。
Miss Morstan のところに来た手紙の中で使われている。Ladder Edition も原作と変わらない。

Chapter 3 In Quest of a Solution

terrace
日暮訳で「テラスつき住宅」となっていたが、これは誤訳である。 terrace は、イギリスでは壁を接して横につながっている長屋のことである(日本語の長屋のイメージとは違って、1階建てとは限らず、 2~3階建てが多い)。「テラスハウス」として日本語 Wikipedia にも載っているから、一応日本語にもなっているのかもしれないが、 日本ではたまにしかみかけない建築様式ではある。日本語で言う「テラス」が付いているとは限らない。 日本語で「テラスつき住宅」だとそこそこ良いイメージだが、英語の terrace は労働者階級向け(一軒家には手が届かない人々)の家というイメージである。 実際、その前に書かれている街の描写によると、このあたりは中層から下層民の住む新興住宅地という感じである。
[原作] At last the cab drew up at the third house in a new terrace.
[日暮訳] 馬車がやっと、並んだテラスつき住宅の三軒めの前で止まった。
[私訳] ようやく馬車が着いたところは、新しい長屋の三軒目だった。

Chapter 4 The Story of the Bald-Headed Man

chest
chest には「胸」という意味と「箱」という意味があり、どちらなのか判断が難しいときがある。
upon his chest was fixed a torn piece of paper という文がある。この he は John Sholto のことで、 彼は前夜に死んで、その後何者かが彼の家に侵入したらしいというのが、その前に書かれていることである。 日暮訳では「遺体の胸にひきちぎったような紙きれがとめてあります」で「胸」としてある。 Wikipedia の概要でも「On their father's body is a note」となっているから「遺体の胸」という解釈である。
たしかにこの部分だけ読むと「胸」の方が自然なのだが、この直前で cupboards や boxes が荒らされていたと書かれていることと、 同じ章で Arthur Morstan が treasure-chest (宝箱) の角に頭をぶつけて死んだと書かれているところからすると、 その宝箱のことではないかとも思うのだ。
でも、最後の Chapter 12 の Jonathan Small の告白において I pinned it on his bosom. と書いてあるので、 「胸」が正解だと判明する。

Chapter 5 The Tragedy of Pondicherry Lodge

retort
Bartholomew Sholto の部屋は化学実験室みたいで、机の上に Bunsen burners, test-tubes, retorts が散らかっていたという 文脈で出てくる。
retort は蒸留器のことで、 錬金術で良く用いられたものだとのこと。
気になったのは、retort がいわゆる「レトルト食品」とどう関係があるかということだが、 加熱加圧殺菌する釜のことを「レトルト釜」と言って、レトルト殺菌 (retort sterilization) された食べ物がレトルト食品ということである。

Chapter 6 Sherlock Holmes Gives a Demonstratoin

rule of three
日暮訳では「比例式の計算」となっている。
Wikipedia によると rule of three と呼ばれる規則には多様なものがあって、ここの rule of three は 比例計算を意味しているようである。すなわち、a/b = c/x から x = bc/a を求めるような計算である。
ちょっと気になったのは、これが出てくる文が It sounds like a sum in the rule of three. で、 何で掛け算と割り算しか出てこない比例計算で sum(和)なのか、ということだった。 しかし、辞書を見ると、sum には単に「計算」という意味もあって、ここはその意味のようである。
ホームズは単に「簡単な計算」という意味で、a sum in the rule of three を使っている。

Chapter 7 The Episode of the Barrel

go out to sb
「(気持ちが)(人に)向かう、同情する」といった意味。Ladder Edition にも同じ形で出てくるのだが、 単語数を減らしたからと言って表現が易しいわけではないという例である。簡易な辞書だとこの意味が載っていないことがある。
[原作] My sympathies and my love went out to her, even as my hand had in the garden.
[Ladder Edition] My sympathy and love went out to her, even as my hand had gone out to her in the garden.
Ladder Edition は原作を3箇所で改変している。(1) sympathy を単数形にしている。辞書を見ると sympathies は 「弔意」もしくは「(考え方や団体に対する)支持」という意味で多く使われるようだから、それを避けて、 不可算名詞にしたということだろう。(2) my の重複を回避している。(3) as 節の had 以下の省略を補っている。これは 意味を明確にするためだろう。
辞書の例文を見ると go out to sb の主語には「気持ち」が来ることが多いようだが、ここの as 節ではそうなっていない。 でも手と手を握り合うことに気持ちがこもっていたということだろう。これは、Chapter 5 で、Watson と Miss Morstan が 手と手を握り合ったという場面を指している。
even as は辞書を見ると「丁度その時」という意味が載っているが、ここの意味は、おそらく just as と同じで 「丁度その時のように」ということだろう。
以上のように考えると訳は以下のようになる。
[日暮訳] 彼女に寄せる同情も想いも、庭で彼女の手を握っていたときといささかも変わらなかったのだから。
[私訳] 私の気持ちや想いは彼女の方にずっと向いていた。それは以前庭で彼女に手を差し伸べた時と全く同じだった。

Chapter 8 The Baker Street Irregulars

bob, tanner
bob は shilling の別称、tanner は 6 pence (=1/2 shilling) の別称である。
その語源が イギリス造幣局の web pageに書かれている。
bob の語源については2説書かれている。(1) 1/2 penny の俗語だった Bawbee より。 (2) 教会の鐘を鳴らす一連の順序のことを Bob と呼び、一方で、shilling の語源が skell(鐘を鳴らす) だから。
tanner の語源は、ジプシー語で「小さいもの」を表す tawno かもしれない。

Chapter 9 A Break in the Chain

credit
[原作] You are welcome to all the official credit.
[Ladder Edition] You can take all the credit.
[日暮訳] あなたの手柄にしてくださってかまいません
credit が「手柄」という意味で使われている。手柄は警察が持って行っていいよというのは、ホームズが良く使う 格好の良い台詞である。
credit にはいろいろな意味があるが、この「手柄」に近い「~のおかげです give credit to sb」という用法が ここに説明されている
credit と言えば、大学では授業の「単位」という意味で使うことがある。 credit unit (履修単位), credit hour (履修時間) のような言い方の方が正式なのだろう。 標準的には、1 時間の授業と 2 時間の予習復習を 2 セメスター(15週)行うと 45 時間の勉強ということになって、 これが 1 credit hour である。で、それだけちゃんと勉強すれば 1 credit unit が与えられるということになる。 なので、credit unit を普通に短縮すると、単に unit だが、credit に「手柄、功績」という意味があることを考えると、 credit と短縮されても不思議はない。辞書によると、credit を「単位」の意味で用いるのは、アメリカ英語のようである。

Chapter 10 The End of the Islander (of the Andaman Islands)

clipper
[原作] We shall have to catch the Aurora, and she has a name for being a clipper. (ホームズの台詞)
[日暮訳] これからつかまえようっていうオーロラ号は、評判の快速艇だからね。
[Ladder Edition] They had to catch the Aurora, which was known to be very fast. (地の文)
上の訳や Ladder Edition でわかる通り、ここでは clipper は「高速艇」という意味で使われている。
船で clipper というと、通常は 19 世紀に発達した商業用の速度重視の帆船 (Wikipedia)を指すようである。clipper の語源は、この Wikipedia や 語源辞典によれば、 clip という動詞が「速く走るとか飛ぶ」という意味をかつて持っていたところからきているそうだから、蒸気艇の Aurora 号に対して 高速艇であるという意味で使ってもおかしくはない。同語源辞典では、古いオランダ語で速い馬を意味する klepper とも 関連しているかもしれないとのこと。klepper は擬音語。
NASA では、エウロパ(木星の衛星のひとつ)の探査機としてEuropa Clipper を計画している。Wikipedia によると、 clipper の名前が使われているのは、clipper 船が交易航路を何度も往復したように、エウロパを頻繁に訪れるからである。

Chapter 11 The Great Agra Treasure

think nothing[little] of
[原作, Ladder Edition] I would have thought no more of knifing him than of smoking this cigar.
[日暮訳] あいつをやっちまうのは、この葉巻をふかすくれえかんたんなこった。
Ladder Edition を読んでも意味が分からず、日暮訳のおかげで意味が分かった。辞書を引かずに think nothing of ~ を「~のことを考えない」だと思って、「葉巻を吹かすことを考えないのと同じくらい、彼を刺すことを考えもしない。」と 訳して前後と意味が通じなくなっていた。
しかし、辞書を引くと think nothing[little] of ~ は「~を簡単なことだと思う、~をなんとも思わない、 ~を苦にしない、~を軽んじる」なので、上記の日暮訳のようになる。
この文が難しいのは、さらに think nothing[little] of がそのままの形で出てこないで no more A than B(B ではないと同様に A ではない) という文型と組み合わさっているせいもある。

Chapter 12 The Strange Story of Jonathan Small

be (well) in with sb
辞書を引くと「~と親しい。そしてその友情によって得られるものも大きい。」という意味。 基本的な語の組み合わせで熟語になるという non-native には難しい熟語である。
[原作, Ladder Edition] “‘Black or blue,’ said I, ‘they are in with me, and we all go together.’
[日暮訳] 『どんな連中だろうと、おれの仲間なんですからね』
上の文でもう一つの問題は、Black or blue である。『あんな黒ん坊3人とこの約束にどんな関係があるんだ?』(私訳)という Sholto 少佐の発言に対する答えなので、black が出てくるのはわかる。意味も日暮訳の通り「どんな人種であろうとも」 だと想像がつく。が、この blue は何だろうか?
重要そうなこととして、black と blue が頭韻を踏んでいるということがある。 Cockney Rhyming Slang の本には「昼か夜か」の意味で使われている例が載っている。 だから、black と blue が一対になる口調で言ってしまっているということが考えられる。 これが一番ありそうだと思う。ただ、これを話している Jonathan Small は London 子ではなく、Worcestershire 出身である。
"black or blue" でググってみると、Suede という歌手の Black Or Blue という歌が出てくる。歌詞の中に I don't care if you're black or blue という部分があって、意味はおそらくここと同じで「あなたの人種は気にしない」ということだろう。
「黒ん坊だろうが白人だろうが」と言うなら、素直に考えれば black or white となるはずだが、口調優先ということだろうか。 blue が白人の青い瞳を表すのかなと考えてみたが、白人でも青くない人もいるし、それには無理がありそうである。
その他、black と blue にまつわること:(1) black and blue には「(打撲で)青いあざになった」という意味がある。 (2) blue-black は濃紺色。(3) 政治色としては、 blue は保守党で、black はアナキスト。