本書は、それほど体系的な本ではなく、著者が思いつくままに書いたという書きぶりである。各項は、 過去に言われていること、たとえば過去の文章読本の類に書かれていることを引用してきて、 それを批判的に検討するというところから始まっている。しかし、各項には明確な結論が無い場合が多い。 本書の最後の結論は、以下のようなものである。文章には伝達用のものと表現用のものがある。 伝達用の文章術はいくらでも書けるしすでに多くの本があるが、表現用の文章術は自力で修行するしかない。 というわけで、表現用(小説とか詞とか)のための文章読本は、結局自分用のメモに過ぎない、 というのが著者の結論である。
そういう結論なら最初からそう書いてくれれば良いのにとも思う。 本書は、小説のようなものの書き方は、分析しようとしても結局まとまらない、という様子を見せてくれたもの、 と理解すべきなのだろう。過去の文章読本も結局そういうところで失敗することが多いのかもしれない。 しかし、本書を読んでみると、過去のいわゆる文豪という人々が、それ以前の問題として、 文章術に関してあまり客観的ではなかったことがわかる。
私が以前好きだった文章読本に丸谷才一のものがあるが、それが 1977 年で、これも過去の文章読本に批判的だった。 この井上本でも丸谷のは高く評価している。つまるところ、1980 年くらいになって、ようやくまともな文章読本が 現れてきたということだ。で、その後は、文豪で文章読本を書いた人はあまりいないように思うから、井上のように 文章読本はどうせうまくいかないとあきらめてしまったのだろうか。 文章術について自覚的で、理屈っぽく小説を書く人がいてもいいように思うが、小説家にはそんな人は少ないということであろうか。
以下、個々の項に関する感想。
「文間の問題」の話は、英語と対比すると面白くなると思う。科学論文を読んだり書いたりするとすぐにわかるが、 日本語に比べて英語には接続語が少ない。英語は接続語ではなくて、動詞で論理をつなぐことが多いからである。 日本語は動詞で論理はつなげないので、接続語を使うか、前に出てきた語句を拾って論理をつなぐ。
「オノマトペ」の項では、「日本語の動詞は弱い」ということが書かれているが、これも英語と対比するとよくわかる。 英語は、動詞の数が多くて、動詞の中にオノマトペが入っているような感じである。たとえば、shine は「光る」だが、 glare, shimmer になると「ギラギラ光る」とか「ちらちら光る」とかオノマトペ付きで訳さざるを得なくなってしまう。 ただし、科学論文などの客観的な文章では、日本語ではオノマトペをほとんど使わないのと同様、glare, shimmer などは 英語科学論文ではあまり使われない。