私は北海道で育ったのだが、すでにアイヌ語はほとんど滅んでしまっていた。 私が北海道を離れてからむしろアイヌが少し復権しているようで、たとえば 1987 年からSTV ラジオでアイヌ語講座をやっているということをつい最近初めて知った。
本書で紹介されている『アイヌ神謡集』は、滅びゆくアイヌ語の最後の輝きのようなものである。 もはやアイヌ語話者は 10 名ほどで、こうなるともはや 復活はほぼ不可能である。文化の滅亡の記録を前に少し感傷的になりつつ読んだ。
著者 | 中川 裕(ひろし) |
---|---|
シリーズ | NHK 100分de名著 2022 年 9 月 |
発行所 | NHK 出版 |
電子書籍 | |
刊行 | 2022/09/01(発売:2022/08/25) |
入手 | 電子書籍書店 honto で購入 |
読了 | 2022/09/29 |
私は北海道で育ったのだが、すでにアイヌ語はほとんど滅んでしまっていた。 私が北海道を離れてからむしろアイヌが少し復権しているようで、たとえば 1987 年からSTV ラジオでアイヌ語講座をやっているということをつい最近初めて知った。
本書で紹介されている『アイヌ神謡集』は、滅びゆくアイヌ語の最後の輝きのようなものである。 もはやアイヌ語話者は 10 名ほどで、こうなるともはや 復活はほぼ不可能である。文化の滅亡の記録を前に少し感傷的になりつつ読んだ。
今年は知里幸恵の没後百年。
カムイは、環境。カムイは、身の回りにあるもので、人間と同じような精神を持ったもの。 この世界にあるものには、皆、魂がある。でも、何でもカムイというわけでもない。カムイでないものは、料理など。 カムイと人間は支え合う関係にある。人間はカムイに酒やイナウ(木で作る御幣のようなもの)を捧げる。
神謡(カムイユカラ)は、人間以外のものからこの世界を見た物語。
[あらすじ] シカやサケが村に来なくなった。シマフクロウは、天界に談判に行く雄弁で若い使者を募集する。 談判の内容の説明をしていると、カラスは3日目で居眠りをしたので、カラスを殺した。カケスも途中で寝たので、殺した。 カワガラスが使者となり、問題を解決した。シカやサケが人間の村にやってきた。 安心したシマフクロウは、後のことをこのカワガラスに任せて、天界に帰って行った。
[解説] かつて、アイヌにはチャランケという習慣があった。 もめごとが起こった時、弁舌だけで行なう談判のこと。途中で口を差し挟んだら負け。 暴力に訴えたら負け。体力が無くなって力尽きたら負け。3日くらいで音を上げるようではいけない。
[解説] シカやサケはカムイではない。それらは、カムイが遣わしたもの。人間がサケやシカをぞんざいに扱ったので、 カムイたちが腹を立てて人間にサケやシカを降ろさなくなった。その問題をカワガラスが解決した。
[あらすじ] 水が乾いて、沼貝が死にそうになっている。サマユンクルの妹は、沼貝を邪険に扱った。 オキキリムイの妹は、沼貝をきれいな水に入れてやった。 沼貝は、サマユンクルの妹の畑を枯らした。オキキリムイの妹の畑は豊かに実らせた。 それから、人間は粟の穂を摘むときは沼貝の殻を使うようになった。
[解説] カムイにひどいことをすると、罰せられる。
[あらすじ] 三人の人間が船に乗っているのを見て、狐は「暴風の魔」を呼んで二人を殺した。 生き残ったオキキリムイは狐を矢で射た。狐の骨は便所の土台になった。
[解説] カムイが悪いことをすると、人間がカムイを罰することができる。 カムイは汚いものや臭いものは大嫌い。だから便所の土台になるのは大変な罰。 しかも、カムイは人間の手で解体されて魂を肉体から出してもらわないと、カムイの世界に帰れない。 だから、話の中の狐の魂は永久に便所の土台になった。
今回は「謡」に注目する。神謡は、どういうメロディーで謡われていたのか。
神謡は、ストーリーは決まっているが、表現は即興的に繰り出されていく。したがって、同じ人が二回同じものを演じても、 同じ言葉で語られるとは限らない。ただし、即興と言っても、フォーミュラ(常套句)が使われる。
フォーミュラの例として、日本語に直訳すると「持っている悪い性格が、顔の上に燃え上がった」となる怒りの表現がある。
神謡には音節のルールがある。一句は4音節もしくは5音節で構成されている。
サケへ=折り返し、折り節、リフレインの句。規則的に繰り返し出てくる句。 いろいろなスタイルがある。意味は分らないものが多い。囃子ことばのようなもの。
主人公がわかるサケへもある。たとえば、「ハンチキキ」はスズメ。「ハン」は鳥や小動物を示し、「チキキ」はその鳴き声を表す。 また、「フンパクパク」は雷の音。
語り手を区別する機能があるサケへもある。本文の内容と連動するサケへもある(二次的なサケへ)。
今回は、「梟の神の自ら歌った謡『銀の滴降る降るまわりに』」を読んでいく。
物語の進行 | 解説 |
---|---|
シマフクロウは、金持ちの子の矢は避けて、貧しい子の矢に当たってあげた。 | アイヌの考え方では、狩りにおいては、獲物(カムイ)が人間を選ぶ。 狩りの成功は、矢を射たものの人間性による。 |
子供は、獲物を第一の窓(神窓)から家に入れる。家の老夫婦は、何度も礼拝をし、イナウを捧げる。 夜中になるとカムイの魂は家を飛び回った。すると、家は宝物で一杯になった。 | 宝物を授かるというのは、アイヌの物語らしくない。類話では、猟運を授かるとか雄弁を授かるということになっている。 こちらの方がアイヌらしい。しかし、この時代には猟運や雄弁は、もはやわかりづらくなっていたのかもしれない。 |
老夫婦は、村中仲良くしようと言った。人間たちが仲良くなったことを見届けると、シマフクロウの魂は安心して カムイの国に帰る。カムイたちは酒宴を開いた。 |
シロカニペ ランラン ピシカン | 銀の滴降る降るまわりに |
コンカニペ ランラン ピシカン | 金の滴降る降るまわりに |
アリアン レクポ チキ カネ | という歌を私は歌いながら |
この神謡にはサケへが無いように見える。しかし、中本ムツ子が歌ったものを聞くと、 「アリアン レクポ ピシカン/チキ カネ ピシカン」と歌っていて、「ピシカン」をサケへとしている。 これが正しいのではないか。
今回は「序」を読んでいく。
かつて、アイヌと和人は対等だったが、江戸時代 1604(慶長4)年にに松前藩が設けられてから大きく変わった。 松前藩は、俸禄の代わりにアイヌとの交易権を藩士の給与とした。さらに、砂金を求めて和人が北海道に押し寄せた。 彼らは、サケやマスが遡上してくる川を荒らした。和人への不満が募って、1669(寛文9)年、 シャクシャイン戦争が起きて、アイヌが負けた。1789(寛政元)年、クナシリ・メナシ蜂起が起きて、アイヌが負けた。 こうして、和人はアイヌを制圧した。さらに明治になって、「北海道土地売貸規則」「地所規則」ができて アイヌから土地が取り上げられ、サケ漁禁止、シカ猟禁止などの政策が加わって、アイヌの生活と文化が崩壊した。 加えて「北海道旧土人保護法」により、アイヌは和人の下で肉体労働をするように追い込まれた。 アイヌは日本語を使わざるを得なくなり、アイヌ語は衰退した。
アイヌは、かつて北海道で伸びやかに過ごしていたが、和人による開発が進んできた。
なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。
当時は、アイヌの同化政策が良いことだと考えられていた。金田一京助でさえもそう考えていた。 同化論を取らない人はほとんどいなかった。
多くの言語、言い古(ならわ)し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢(あえ)なく、 滅びゆく弱きものと共に消失(きえう)せてしまうのでしょうか。
私たちを知ってくださる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、 私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。
岩波文庫では、『アイヌ神謡集』は外国文学に入っている。日本の中の日本語以外の言語を呼ぶ名前が無いのだ。
2019 年、アイヌ新法制定。2020 年、国立アイヌ民族博物館、ウポポイがオープンした。 このように人々のアイヌへの認識は深まりつつある。
イヤイライケレ(アイヌ語の「ありがとう」)