新しい世界の資源地図 エネルギー・気候変動・国家の衝突

著者Daniel Yergin
訳者黒輪 篤嗣
発行所東洋経済新報社
電子書籍
電子書籍刊行2022/02/10 (Ver. 1.0)
電子書籍底本刊行2022/02
原題THE NEW MAP: Energy, Climate, and the Clash of Nations
原出版社Penguin Books
原著刊行2020
入手電子書籍書店 honto で購入
読了2022/09/11
参考 web pages著者 twitter

著者の Daniel Yergin は、ピューリッツァー賞を受賞したこともあるエネルギーの専門家である。 本書を読むと石油・天然ガスを中心とした世界地図が今どうなっているか良く分かる。 現代のエネルギー情勢について、よく目配りが効いた網羅的な解説になっている。 文体は、学問文体ではなくて、ジャーナリスト文体である。

私が高校生の時に地理で習っていたときとは、エネルギー地図が一変しているのに驚く。とくに米国とロシアが 石油と天然ガスの大産出国になっている(第1部、第2部)。最近の世界情勢は、この事実を抜きにしては語れない。

中国は、米国と肩を並べる経済大国になった(第3部)。そのため中国の需要が世界のエネルギー情勢を左右するようになった。

中東は大混乱を続けている(第4部)。米露が石油・天然ガスの輸出国となったため、米露は最近中東から手を引き気味で、 イラン(シーア派)とサウジアラビア(スンニ派)がお互いに対抗して周辺諸国に介入を続けることで泥沼になっている。

この本が書かれた後の今年 (2022 年) 2 月、ロシアがウクライナに攻め込んだことで、ロシアを中心とした エネルギー地図がまた変わった。西欧がロシアに対して経済制裁をしたため、ロシアの石油は、中国、インド、トルコに 流れるようになった。一方、ロシアは西欧に対して天然ガスの供給を一時止めたりして揺さぶりをかけてきている。 原油価格は上昇し、一時は 1 バレル 120 ドルを超えた。 [参考:NHK スペシャル「混迷の世紀 第1回 ロシア発 エネルギーショック」2022/08/09]

これに先立つ 2021 年からロシアはウクライナのパイプライン経由のヨーロッパ向けの天然ガス供給を絞ってきていたため、 ヨーロッパの天然ガスの価格は上昇していた。 [参考: 白川裕「JOGMEC 天然ガス・LNG 最新動向 2021/12/24」]

こうした政治情勢とは別に、自動車の動向(第5部)と地球温暖化問題(第6章)は、化石燃料の将来に大きな影響を 与える問題として取り上げられている。

巻末に「用語一覧」があるのだが、電子書籍版では、単語が羅列してあるだけで本文へのリンクもなく何の意味もない。 なぜこんな手抜きをしたのだろうか。

サマリー

第1部 米国の新しい地図

第1章 天然ガスを信じた男
George P. Mitchell は、shale gas が採れるはずだと信じ、試掘を続けた。が、なかなかうまくいなかった。
1998 年、水圧破砕法 (fracking) の一種が成功し、slickwater fracturing と名付けた。従来は、グアー豆から採れる guar gum を使っていたが、 代わりに水を使うことに成功して、コストを抑えることができるようになった。
しかし、Mitchell Energy は資本が続かず、2002 年、 Devon Energy に買収された。
Devon Energy は、水圧破砕の技術と水平掘削技術を組み合わせることで、shale gas を商業的に採掘できるようになった。
多くの企業が shale gas 掘削に参入して、競争が激化し、米国の天然ガスの推定可採埋蔵量が激増した
とくに米国北東部 Pennsylvania 州を中心とする Marcellus Shale は巨大ガス田であることがわかってきた。
第2章 シェールオイルの「発見」
2007 年、EOG resourcesMark Papa は shale gas の生産量が増える中、天然ガスの価格が将来落ちると見て、いち早く shale oil 探しを始めた。 従来の常識では、油の分子は大きいので fracking では石油は採れないと考えられていたが、Papa は大丈夫と踏んだ。 EOG は、Texas 州南部の Eagle Ford Shale に 目を付け、採掘に成功した。2014 年には、EOG は米国の陸地で最大の原油生産者になった。
Hess Corporation の John Hess や Continental Resources の Harold Hamm は 以前から North Dakota 州で石油採掘を試みていた。2009 年ころから Bakken Formation で採掘が始まり、産出量が激増した。ここは硬い砂岩層だが、 一般的には shale と言われている。従来は石油が出るとは考えられていなかったが、段階的に水平に fracking を進めていくことで、 石油が出るようになった。
続いて、Texas 州西部から New Mexico 州にかけて広がる Permian Basin の shale に大量の石油があることがわかり、2012 年ころから採掘が始まった。 とくに Spraberry Formation, Wolfcamp Formation, Bone Spring Formation は大油田であることがわかった。 Permian Basin 地域は、かつて大油田地帯だったが、2005 年ころにはもう生産量は減り続けてあとは枯渇するだけだと思われていた。 ここの shale に目を付けて調査をして、掘削に成功したのは、 Pioneer Natural Resources だった。
第3章 製造業ルネサンス
米国では、shale gas や shale oil の採掘が増えた結果、景気が著しく良くなった。石油・天然ガス業界が潤っただけではなく、 関連産業の経済活動が増大した。
関連する環境問題も発生してきているが、対策も取られつつある。
米国の貿易赤字は減り、さらに国内で天然ガスや石油が取れるようになったので、製造業も国内に工場を作るようになった。 さらに、海外の企業も米国に工場を作るようになってきた。
第4章 天然ガスの新たな輸出国
Charif Souki が創業した Cheniere(シェ二エール)社は、 Lousiana 州の Sabine Pass に 2009 年まで LNG の輸入施設を建設していたが、国内の shale gas 採掘量増加を背景にして、 2010 年からこれを輸出施設(液化施設)に転換することにした。
他社もこれに倣って輸出施設を作ろうとしたが、2番目以降の申請にはなかなか認可が下りなかった。2014 年になって 他社も認可を得た。
Cheniere 社は 2016 年から輸出を始めた。 Freeport 社Sempra 社は 2019 年に輸出を始めた。
Donald Trump 大統領は、大統領自ら米国の LNG を他国に売り込んだ。
第5章 閉鎖と開放―メキシコとブラジル
メキシコでは、1938年から2013年まで、石油は国営企業PEMEXが独占してきた。資金も技術もないので、海底油田もシェールオイルも 採掘できなかった。2013年に、エネルギーが自由化され、国内外の企業が流れ込んだ。ところが、2018年に Andrés Manuel López Obrador が大統領になり、ふたたび石油を国有化した。石油生産は落ち込み、 メキシコはアメリカから大量の天然ガスを輸入している。
ブラジルでは、海底の岩塩層の下に広大な油田が見つかり、2017年から外国企業も参入できるようになったので、 石油生産が伸び続けている。
第6章 パイプラインの戦い
カナダと米国の地下にはパイプライン網が張り巡らされており、さらに増強されつつある。
ところが、パイプラインを新設しようとすると、最近では化石燃料反対派などがデモを行うなどの激しい反対運動を するようになっている。それでなかなか新設が進まない。パイプラインが、化石燃料反対派の主戦場になっている。
第7章 シェール時代
第二次世界大戦前、米国は世界最大の原油の輸出国だった。1948 年からは、原油の輸入が輸出を上回るようになった。
米国では 1970 年代に原油の輸出を禁止する法律ができていた。シェールオイルが産出するようになってから これの解除が問題になった。環境保護団体や東海岸の精製業者が反発したが、2015 年、輸出が解禁された。
米国は 2019 年には世界最大級の原油輸出国となっている。
第8章 地政学の再均衡(リバランス)
シェール革命によって、米国は石油輸出国となり、強硬な外交が出来るようになった。たとえば、イランへの経済制裁が 効果的になり、イランの核開発が制限された。ロシアの天然ガスの欧州から見た重要度が相対的に減った。
アジア諸国は、米国からの石油や天然ガスの輸入を増やしている。
2018 年、米国は世界最大の産油国となった。ただし、生産量の伸びは鈍化してきている。

第2部 ロシアの地図

第9章 プーチンの大計画
ロシアには石油と天然ガスが豊富であり、国の財政基盤となっている。
ロシアの石油の歴史は 19 世紀にカスピ海周辺から始まる。1950 年代には、ボルガ・ウラル地域や西シベリアで 大油田が発見される。
ソ連解体後、カスピ海周辺の産油地は、アゼルバイジャンとカザフスタンのものになった。石油産業は激変した。 1998 年のアジア金融危機で原油価格とルーブルが暴落し、エリツィン政権は持たなくなった。
エリツィンの後継者となったプーチンは、エネルギー産業のことをよく理解し、プーチンの下で、国営石油会社ロスネフチは、 ロシアの原油生産の4割を占めるようになった。ロシア政府は、巨大ガス会社ガスプロムの支配株主でもある。
プーチンの下で、原油と天然ガスの輸出が大きく伸びた。
第10章 天然ガスをめぐる危機
ロシアはヨーロッパに天然ガスを供給している。そのパイプラインがウクライナを通っていることで問題が発生している。 ウクライナは、ソ連崩壊以来、東を向くのか西を向くのか揺れ続けている。
2004 年のオレンジ革命によって、ウクライナは西を向いた。その結果、ロシアは、ウクライナ向けに格安にしていた 天然ガスの価格を上げると言い出した。交渉は難航し、2006 年、ロシアはウクライナ向けの天然ガスの供給を停止した。 すると、ウクライナは、ヨーロッパ向けの天然ガスを抜き取った。結局、ロスウクルエネルゴ社という謎の会社が間に入って 事を収めた。
2009 年、再びロシアはウクライナ向けの天然ガスの供給を停止し、さらにはウクライナを通過するヨーロッパ向けの 天然ガスの供給も停止した。2週間後にロシアとウクライナの間で新しい契約が交わされた。
第11章 エネルギー安全保障をめぐる衝突
2011 年、バルト海の海底を通るパイプラインのノルド・ストリームが開通した。これで、ウクライナを経由せずに ロシアからヨーロッパに天然ガスを送れるようになった。
ヨーロッパのエネルギー政策には2本の柱があった。(1) 天然ガスの単一市場が形成され、価格決定が透明になること。 (2) 脱炭素化。
ソ連やロシアからエネルギーを輸入することの政治的リスクは長年問題になっている。
第12章 ウクライナと新たな制裁
2003 年以降、米ロ関係は悪化。ウクライナは東西の狭間で身動きが取れなくなっていた。
2013 年、ウクライナのヤヌコーヴィチ大統領はロシアに近づいたが、汚職の蔓延もあって、国民から猛反発を食らった。 ヤヌコーヴィチはロシアに逃れた。
2014 年、ロシアはクリミア半島を支配下に置いた。さらに、ドンバスで軍事衝突が始まった。米国は、ロシアに対して、 金融制裁とエネルギーに関する制裁を始めた。エネルギー資源に関する制裁とは、ロシアに対して西側諸国が資源開発の 技術協力をすることを禁じるものだ。しかし、ロシアには在来型の資源がまだ豊富であり、ロシアはそのうち自前で技術開発を してしまうかもしれない。
第13章 経済的苦境と国家の役割
2014 年、原油価格が急落したが、ロシアは変動相場制を導入し、ルーブルも急落したので、ロシアの石油産業は持ちこたえた。 そのほかロシアの輸出関連の産業や国内農業はルーブル安の恩恵を受けた。金融機関は窮地に陥ったが、ロシア政府が支えた。 結果的に、ロシア経済においては政府の役割が拡大した。
第14章 反発―第2のパイプライン
2015 年、「ノルド・ストリーム2」のルートを決めるための調査が始まった。一方、ロシアと米国議会の関係が悪くなり、 米国議会は、プーチン周辺に制裁を課し始めた。ドイツなどはこれに反発したが、2019 年、パイプライン敷設用の艀(はしけ) を所有するスイスの企業が制裁の対象となり、工事が中断した。[補足:Wikipedia によると、ノルド・ストリーム2は 2021 年(本書の出版後)に開通した。] ただし、2019 年、ロシアとウクライナが和解したので、ウクライナ経由でヨーロッパに天然ガスを輸送するルートは確保された。
東欧各国は、天然ガスのロシア依存度を下げようとしている。たとえば、リトアニアは、かつて天然ガスを完全にロシアに 依存していたが、LNG 受け入れ基地を作って、他国からの輸入もできるようにした。今、天然ガス市場はグローバルなものになっている。
ロシアの民間企業ノバテクは、北極圏のヤマル半島でガス田開発をした。2017 年から北極海航路を使って LNG を輸出している。 2020 年代には、ロシアは世界の4大 LNG 供給国の一つになるだろう(米国、カタール、オーストラリア、ロシア)。
第15章 東方シフト
2014 年、ロシアがクリミア半島を併合してから、ロシアと西側諸国は対立するようになり、ロシアは中国に接近する。 2014 年の交渉で、中国はロシアから天然ガスを大規模に購入することになり、ガスパイプライン「パワー・オブ・シベリア」の建設も決まった。
これに先立って「東シベリア・太平洋石油パイプライン」が開通しており、2011 年から中国はロシアから大量に原油を輸入している。
2018 年からは、極東においてロシアと中国は共同軍事演習を行っている。
第16章 ハートランド―中央アジアへの進出
ソ連崩壊後、アゼルバイジャンから地中海に延びるパイプライン、カザフスタンから黒海に延びるパイプラインが建設され、 両国の石油が世界の市場とつながった。カザフスタンからは中国へもパイプラインが作られた。カザフスタンは、今のところ ロシア、中国、米国の間でバランスをうまく取っている。
2019 年、ガスパイプライン「パワー・オブ・シベリア」が開通した。プーチンも習近平も、国内ではほぼ終身の 国家指導者(それぞれ大統領、国家主席)になることが決まり、両国は親密なパートナーとなりそうである。

第3部 中国の地図

第17章 G2
米国と中国のことをG2と呼ぶことがある。今やこの2か国が世界の経済と軍事の中心である。2001 年に中国が 世界貿易機関(WTO)に加盟したころは米中関係は良好だったが、世界金融危機を境目にして両国は反目し合うようになった。
購買力平価ベースでは、中国のGDPが世界最大になった。中国の軍事費は世界第2位である。
トランプ大統領が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からの離脱を表明して以降、中国は経済的にアジアの盟主となった。
米中の対立点として重要なのは、南シナ海、一帯一路、台湾である。
第18章 「危険海域」
南シナ海は、現在重要な通商航路でもあり、重要な漁場でもあるので、領有権争いが激化している。
中国では 1930 年代に地理学者の白眉初が、南シナ海のほとんどが中国のものであるという地図を作った。 この地図は、第二次世界大戦後の国民党政権も共産党政権も採用し、中国は、南シナ海を自国のものだとみなしている。
第19章 南シナ海をめぐる3つの問い
南シナ海を巡る3つの問題を説明する。
(1) 小さな島々(島とも言えない地形を含めて)がどこの国のものか。中国は、そうした地形の上に人工島を築いて、 自国の島であるとしている。周辺国はもちろん反発している。
(2) 南シナ海の海域は公海か中国の領海か。中国は領海だと主張しているが、国連海洋法条約には反している。
(3) 排他的経済水域 (EEZ) における軍事活動の自由について。国連海洋法条約では、EEZ 内で外国の軍艦が航行するのは 自由だが、中国は中国の許可が要るとしている。周辺国は反発している。
第20章 「次の世代の知恵に解決を託す」
鄧小平は実際家だったので、領土問題は棚上げして、経済発展を優先した。
中国は 2009 年から、南シナ海の領有を主張し、米軍の航行を妨害したりした。周辺諸国との対立も深まっている。
第21章 歴史の役割
中国の南シナ海領有の歴史的主張のシンボルとなっているのは、15 世紀の明の時代の鄭和である。彼の船団は世界中を回った。
現在、中国は海軍力を強化しており、2014 年、呉勝利大将は「国恥の歴史は過去のものとなりました。」と宣言している。
第22章 南シナ海に眠る資源?
南シナ海の中国にとっての最も重要な意義は、エネルギー資源を輸入するための航路である。石炭は国内産だが、 石油と天然ガスは海外に頼るしかない。現在、中国は世界最大の石油輸入国である。
南シナ海には石油や天然ガス資源があるのではないかという話もある。試掘をめぐって中国とベトナムの間で小競り合いやデモが 起こったこともある。しかし、普通の予測だと原油の埋蔵量は 120 億バレル程度でそれほど大きくはない。天然ガスは大規模にある 可能性もあるが、海底なので開発・生産コストは高い。
第23章 中国の新たな宝の船
Malcolm McLean(マルコム・マクレーン)は、コンテナ輸送を創案して、世界の海上輸送を一変させた。 コンテナ輸送は 1956 年に始まった。中国にとってもコンテナ輸送の恩恵は大きい。
第24章 米中問題―賢明さが試される
習近平の中国は、軍事力を増強し、南シナ海では米国とつばぜり合いをしている。
東南アジア諸国は、安全保障面では米国と歩調を合わせるが、経済面では中国と強く結びついている。
南シナ海をめぐる問題は複雑だが、関係各国が航路としての重要性に目を向ければ、対立は緩和されるだろう。
トランプ以前の米大統領は、中国との協力的な関係を築こうとしていたが、トランプ大統領は、中国を軍事的にも 経済的にも敵だとみなした。中国も米国との対決姿勢を強めている。
中国は技術力も向上させており、米国と競っている。
第25章 一帯一路
中国は、現代のシルクロード構想とも言うべき「一帯一路」(英語では Belt and Road Initiative, BRI)戦略を推進している。
中国は、カザフスタンから石油を、トルクメニスタンから天然ガスを輸入している。
中国にとって、中央アジア諸国と仲良くしておくことは、新疆ウイグル自治区を統治するうえでも重要である。
中国は、経済力を武器にして西へ進出している。文化面でもアジア諸国と協力している。中東欧諸国も同調する。
現在のところ最大のプロジェクトは、中国・パキスタン経済回廊である。中国にとっては、西からの貨物を パキスタンの港で陸揚げして陸路で中国に運ぶことは、マラッカ海峡の代わりになる輸送ルートとなる。
中国から借金して債務が増えると、中国に支配権を握られるおそれがある。
インドは、中国の一帯一路に危機感を抱いている。

第4部 中東の地図

第26章 砂上の線
1915--1916 年、イギリスの中東問題の専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコが密談を重ね、 オスマン帝国を崩壊させ英仏が中東を支配する地図を作った(サイクス・ピコ協定)。ロシアもこれに同意した。
英国では、ファイサル王子にトルコへの反乱を起こさせようとする動きが起きた。
1917 年、英国のバルフォア外相はユダヤ人国家の建設を支持した。
1908 年には、イランで中東初の油田が発見されていた。
1919 年のパリ講和会議で中東における英仏の支配地図が話し合われ、1923 年の条約で決着した。 フランスがアラブ・シリアとレバノン(マロン派キリスト教徒の国)を委任統治することになった。 イギリスがメソポタミア(今のイラク)とパレスチナ(今のヨルダンとイスラエル)を委任統治することになった。 アラビア半島はイギリスの勢力下になり、パレスチナの中にはユダヤ人の民族的郷土を築くことになった。
トルコでは、ムスタファ・ケマルが共和国を樹立した。
メソポタミア(イラク)には、北部にクルド人、中部にスンニ派、南部にシーア派がいて、アイデンティティが無かった。 イギリスはファイサル王子を王に据えた。1932 年、イラクは独立したが、ファイサルは 1933 年に亡くなった。 1927 年、イラクで初めて石油が発見された。
1946 年、シリアが独立した。
1948 年、イスラエルが独立した。
1952 年、エジプトではナセルがクーデターを起こし、英国の影響力を排除した。しかし、イエメンへの介入を泥沼化させ、 1967 年にはイスラエルとの戦争に敗れ、ナセルは苦境に陥った。1970 年、ナセル死去。
第27章 イラン革命
イランとサウジアラビアは仲が悪い。シーア派とスン二派の対立でもある。
パフラヴィ―2世のもと、イランの社会秩序が乱れ、1979 年、イスラム革命が起こった。ホメイ二師が最高指導者になった。
第28章 湾岸戦争
1979 年、ソ連がアフガニスタンに侵攻した。しかし、これはソ連崩壊につながった。
1970 年代、イラクではサダム・フセインが力を持った。1980 年、イラクは革命直後のイランに攻め込み、イラン・イラク戦争が始まった。 戦線は膠着し、結局、1988 年、両国は国連の停戦案を受け入れた。
1990 年、イラクがクウェートに侵攻し、クウェートはたちまち制圧された。1991 年 1 月、米国を中心とする多国籍軍が イラクの空爆を始めて湾岸戦争が始まった。2 月には、事実上、イラクの敗戦が決まり、4 月には停戦した。 フセインは、国内向けにはイラクが勝ったと言っていた。
2001 年、9.11 同時多発テロ事件が起きる。2003 年、イラク戦争が始まり、米国を中心とする「有志連合」がバグダードを占領した。 しかし、イラク社会は不安定化した。サダム・フセインは捕らえられ、処刑された。
第29章 地域内の冷戦
1997 年、イランでハタミが大統領になった。ハタミは穏健派で、サウジアラビアとの関係を改善した。
2005 年、イランで強硬派のアフマディネジャードが大統領になった。イランは、ふたたび米国やサウジアラビアと 対決姿勢を取るようになった。2011 年から 2012 年にかけて、イランに対して金融と原油禁輸を通して経済制裁が行われた。
2013 年、イランの大統領が穏健派のロウハニに変わった。米国との秘密交渉が始まり、 それがやがてP5+1(安保理常任理事国+ドイツ)との交渉になった。2015 年、交渉がまとまり、 イランによる核開発の停止を条件にイランに対する経済制裁が解かれることになった。合意は 2016 年に施行された。
2017 年、アメリカでドナルド・トランプが大統領になり、イランと対決姿勢を強めた。 2018 年、米国は単独でイラン制裁に踏み切った。合意の反対派が問題にしたのは、イランによるイスラム革命の輸出だ。 たとえば、レバノンでは、イランが支援する組織ヒズボラが勢力を伸ばし。2020 年にはヒズボラ主導の連立政権が発足した。
第30章 イラクをめぐる戦い
2003 年のサダム・フセイン政権崩壊の後、イランはイラクのシーア派を支援した。とくに、イスラム革命防衛隊の ゴドス部隊が民兵を組織した。ゴドス部隊を率いているのはガセム・ソレイマニだ。
2011 年に米国が撤退すると、シーア派のアッダワ党を率いるマリキ首相は専制を強め、スンニ派との協力体制も打ち切った。
2009 年には、海外企業がイラクの石油開発に参入できるようになった。
クルディスタンでも石油開発が始まった。2013 年、トルコ経由でクルド人のパイプラインが完成した。
2014 年、イラクの首相がアバーディに替わり、スンニ派に宥和的な政権運営をするようになった。 しかし、原油価格が下がり、社会サービスが崩壊したために、2018 年、アバーディは辞任した。
次の政権は長く持たず、2020 年にイラクの首相はカディミになった。
第31章 対決の弧
2011 年の「アラブの春」は暗転し、中東には混乱が続いている。
2011 年、チュニジアではベン・アリ独裁政権が崩壊。「アラブの春」の始まりとなった。
2011 年、エジプトでは米国の盟友だったムバラク大統領が辞任。後継にはムスリム同胞団のムルシが就いたが、 大きなデモが起こり、2013 年辞任。軍のトップのエルシーシ(シーシーとかアッシーシなどとも書く)が跡を継いだ。
2011 年、リビアではカダフィ独裁政権が倒れた。内戦が起こり、国家の体を成していない。
バーレーンは、シーア派がイスラム人口の6~7割を占めるが、スンニ派が支配している。 シーア派が多いことから、イランは自分の国の領土だと言っている。イランがクーデターを支援する一方、 サウジアラビアは現状維持を望み、軍隊や警察を送っている。
シリアでは、1970 年にハーフィズ・アル=アサドが権力を握り、2000 年に息子のバッシャール・アル=アサドが跡を継いで、 現在に至る。ハーフィズは、シーア派の分派であるアラウィ―派だった。ハーフィズは、ソ連ならびに革命後のイランと同盟を結んだ。 2011 年からデモが広がり、反体制派の将校は自由シリア軍 (FSA) を結成し、内戦となった。イランとヒズボラはアサドを支援した。 サウジアラビアやトルコなどは反政府勢力を支援した。キリスト教徒はアサドを支援した。クルド人は自前で戦った。 2015 年には、ロシアがアサドを支援する形で介入を始めた。2017-18 年に米軍はアサド側を空爆したが、2019 年撤退した。 内戦で国土は荒廃し、シリア難民が欧州に押し寄せた。
イエメンでは、2011 年、サレハ大統領が倒され、やがて内戦に陥った。主要な勢力として、「アラビア半島のアルカイダ」 (AQAP)、ザイディ族を母体とするアンサール・アッラー(フーシ派)、ハーディ政権派がある。イランはフーシ派を支援し、 サウジアラビアはハーディ政権を支援している。イエメンは、現在カオス状態にある。
第32章 「東地中海」の台頭
1999 年、イスラエル南部沖で天然ガス田が発見された。 2009 年、イスラエル北部沖で、巨大天然ガス田「タマル」が発見された。さらに沖合で巨大ガス田「レビアタン」が発見された。
イスラエル国内がもめたのでガス田開発は行き詰ったが、2015 年、イーライ・グローナーが首相府次官になって 「レビアタン」の開発を進めた。
さらに、「レビアタン」の近くのキプロス領海内に「アフロディーテ」が、エジプト領海内に「ゾフル」が発見された (地図)。こうしたガス田が争いの火種になる兆候もある。
「レビアタン」の天然ガスはエジプトに輸出され始めた。エジプトで LNG にして欧州へ輸出される。
第33章 「答えはイスラムにある」-- ISIS の誕生
イスラム原理主義、ジハード主義者たちの動きをまとめる。
ムスリム同胞団が 1928 年頃、ハサン・アル=バンナ (1906-1949) によって結成された。1950 年頃から指導部に加わった サイイド・クトゥブ (1906-1966) の著書『道標』は大きな影響を与えた。イスラム同胞団の最終目標は、世界的なイスラム国家の建設である。
1979 年、ジュハイマン・アル=オタイビの一派がメッカの大モスクを占拠した。この襲撃は失敗したが、ジュハイマンの 書簡は、若者たちに影響を及ぼした。
1998 年、オサマ・ビン・ラディンを司令官として、副官をアイマン・アル=ザワヒリとするジハーディスト組織 アルカイダが結成された。同年、ケニアとタンザニアの米国大使館で自爆テロを起こした。2001 年、米国で 9.11 テロを起こした。 2011 年、ビン・ラディンが殺され、ザワヒリが司令官となった。アルカイダは、石油産業を重点的に攻撃対象にしている。
「イラクとシリアのイスラム国 (ISIS)」(もしくは「イラクとレバントのイスラム国 (ISIL)」)が活動を始めた。 彼らは、国境のないカリフ制を目指している。ISIS はシリア中北部のラッカを制圧し首都とした。2014 年、ISIS はイラクに侵攻し モスルを制圧した。バグダードまで攻めてきたが、シーア派民兵がバグダードを守った。ISIS は石油収入で豊富な資金を得ている。 2015 年から、米国がシーア派とクルド人を支援を始めた。その結果、2019 年には ISIS は支配地域を失った。しかし、 ゲリラ活動は続けている。
第34章 オイルショック
ここ 10 年くらいの原油価格の動向を見てゆく。
2011 年から 2013 年までは原油価格は 1 バレルあたり 100 ドル強で安定していた。 世界情勢が不安定だったにも関わらず価格が安定していたのは、米国のシェールオイルのおかげだった。
2014 年になって原油はむしろ供給過剰になって価格が下落した。11 月には 77 ドルにまでなった。 減産ができる国はサウジアラビアだったが、イランを利することになるとして嫌がり、他にも減産する国は無かった。
2015 年も原油価格の下落は続き 1 バレル 30 ドルを切った。
2016 年になって、石油開発が鈍り、需要が伸び、「OPECプラス(OPEC諸国とロシアなどの非加盟11カ国)」で減産の合意が なされたので、原油価格は上昇に転じた。
OPECプラスの交渉を通じて、ロシアとサウジアラビアの関係が接近した。
原油価格が上昇した原因の一つは、ベネズエラがチャベス、マドゥロ両政権のもとで経済崩壊し、石油生産量が激減したことである。
2018 年には原油価格は 1 バレル 80 ドルまで戻っていた。米国のトランプ大統領は、イランの経済制裁をしながら 原油価格を上げないことを望んだので、サウジアラビアが増産に踏み切った。
2019 年、米国は、イランが石油を輸出出来ないようにした。一方、米中の貿易戦争のあおりで、世界経済の成長が鈍ったので、 原油価格が下がった。ところが、9 月、サウジアラビアの石油精製施設が攻撃された。この攻撃は、石油輸出禁止に対するイランによる報復とも疑われた。 このため、原油価格は一時高騰したが、それほど上がらずに済んだ。それは米国のシェールオイルのおかげだった。
2020 年、ゴドス部隊の指導者のガセム・ソレイマニが米国による攻撃で死んだ。
2020 年、新型コロナウイルスの流行で中国の経済がストップしたため、原油価格が急落した。
第35章 改革への道―悩めるサウジアラビア
20 世紀の最初の四半世紀で、アブドゥルアジズがアラビア半島を掌握した。
1932 年、国名がサウジアラビアになる。
1938 年、サウジアラビアで初めて油田が発見された。1973 年の石油危機で原油価格が高騰して以来、サウジアラビアは豊かになった。
1979 年から、イランのイスラム革命に対抗して、行政も原理主義的になり、宗教教育にも力を入れるようになった。
2014 年からの石油暴落以来、サウジアラビアでは脱石油依存が課題になった。
2015 年、サルマン・ビン・アブドゥルアジスが国王となる。2017 年、息子のムハンマド・ビン・サルマン (MBS) が皇太子になる。 それ以降、サルマン国王とムハンマド皇太子は急速な社会改革の姿勢を示している。現・元閣僚が汚職の疑いで 200 人以上逮捕された。 レジャーやスポーツ施設の建設計画が発表された。2018 年、女性の自動車運転が解禁された。自国の軍事産業も発展させようとしている。
改革には困難もいろいろある。たとえば、サウジアラビアでは、給料の安い民間部門では外国人労働者が多く働いている。人材の育成が必要だ。
2018 年、イスタンブールのサウジアラビア総領事館で、ジャーナリストのジャマル・カショギが暗殺された。これによって サウジアラビアに対する国際的な非難が高まった。
2019 年、国営だった石油会社サウジアラムコの株式が一部上場された。
サウジアラビアはカタールと対立している。カタールはイランやトルコと通じているからだ。
隣国のアブダビ(アラブ首長国連邦の一構成国)では、すでに脱石油依存が着々と進んでいる。
第36章 新型ウイルスの出現
2019 年末から COVID-19 の世界的流行が始まる。このため 2020 年から世界全体の石油需要が急落する。
2020 年 3 月、「OPECプラス(23の産油国の集まり)」が減産を話し合ったが、ロシアとサウジアラビアが対立して 何も決まらず、両国はかえって増産した。このため原油価格が 1 バレル 14 ドルにまで下がった。
米国が動き、4 月に G20 エネルギー相会合で減産が合意された。中心となったのは、米国、ロシア、サウジアラビアだった。 5 月に合意が実行された。6 月から原油価格が上向いた。

第5部 自動車の地図

第37章 電気自動車
電気自動車への動きは 1990 年代にカリフォルニアで始まった。カリフォルニア州大気資源局 (CARB) がゼロ・エミッション車 (ZEV) の 導入を要請したからだ。
1996 年に GM が電気自動車 EV1 を発表したが、バッテリーが貧弱で実際的には使い物にならなかった。
2003 年にテスラが創業した。 バッテリーとしてはリチウム電池を使うことを想定していた。2008 年、テスラ・ロードスターが発売された。 2012 年、セダン車「モデルS」を発売。2016 年、大衆向けの「モデル3」が投入された。
GM は 2008 年の世界金融危機をきっかけに社の再建をはかった。2013 年から電気自動車「BOLT」の開発に本腰を入れた。 Mary Barra が開発のトップを務めた。 2016 年、BOLT が発売された。1 回の充電で 200 マイル走れた。
2014 年、フォルクスワーゲンによるディーゼル車の窒素酸化物排出量偽装問題が発覚した。 EU で二酸化炭素排出基準が厳しくなったせいもあって、フォルクスワーゲンは、これを機に電気自動車に舵を切った。
中国も、電気自動車の普及に力を入れて、電気自動車の優遇策を取っている。この結果、世界の電気自動車の 販売台数の半分以上を中国が占めるようになった。
しかし、まだまだ世界的には電気自動車は普及していない。問題の一つは、バッテリーがまだ高いこと、もう一つは、 充電に時間がかかることと充電設備が普及していないことである。
今後、電気自動車がどのくらい普及するかは、政策次第で大きく変わる。
第38章 自動運転車
自動運転車の試みは昔からあったが、成果が出始めたと言えるのは 21 世紀に入ってからである。
国防高等研究計画局 (DARPA) が賞金を出して「グランド・チャレンジ」というコンテストを始めた。 2005 年の「グランド・チャレンジ」では、カーネギー・メロン大学 (CMU) とスタンフォード大学が2強だった。 スタンフォード大学が勝った。 CMU チームを率いていたのは、William (Red) Whittaker で、過酷環境で作業するロボットの研究で有名な研究者だ。 スタンフォード大学チームを率いていたのは、Sebastian Thrun で、「確率ロボティクス」の分野を開拓した。 Thrun は、その後 Google に引き抜かれた。
2007 年の「グランド・チャレンジ」では、CMU が勝った。このとき、CMU チームは GM と協力した。 GM の Larry Burns が連携を推進した。
Google は Sebastian Thrun を中心にして自動運転車の開発をしている。2010 年には、自動運転車で 14 万マイルを走った。
自動運転車には、さまざまな技術の組み合わせが必要である。ソフトウェアのセキュリティの問題とか 事故の責任を誰が取るのかというような問題もある。
第39章 ライドヘイリング
ライドヘイリング (ride hailing) は、スマホによる配車サービスである。
2008 年、Garrett Camp が、スマホによる高級車の配車システムを発案して Ubercab というサイトを作った。 Travis Kalanick がこれに加わって、2010 年にリムジン(高級車とプロドライバー)の配車事業を始めた。
2012 年、Logan Green と John Zimmer は、自家用車の稼働率を上げるという発想で、相乗りサービス Lyft を始めた。 誰もがドライバーになるという発想だ。
Uber (旧 Ubercab) は Lyft に対抗して Uber X を始めた。これは自家用車の相乗りサービスだ。 世界中でタクシードライバーたちが反対運動を起こした。Kalanick のやり方は攻撃的過ぎたので、いろいろな問題を起こし、 2017 年に Kalanick は CEO を解任された。
中国では、2012 年、程維がライドヘイリングサービス「滴滴」(のちに「滴滴出行」)を作った。 銀行員だった柳青も加わった。「滴滴出行」は 世界最大のライドヘイリング会社に成長した。
UberLyft などのライドヘイリングは社会に定着した。 しかし、新型コロナウイルスの流行で、相乗りが選ばれなくなった。今後どうなるかが注目される。
第40章 新しい移動の形
電気自動車、ライドヘイリング、自動運転車は新しい移動の形の3本柱と言われているが、実現にはほど遠く、 将来を見通すのは難しい。自動運転車とライドヘイリングに関して、自動車会社とデジタル技術会社の提携が進んでいる。 自動車技術とITを組み合わせた「オートテック」という新しい分野も始まっている。競争は多元化している。 「移動のサービス化」が進むかもしれない。電気自動車が普及するかどうかは政府の補助金次第で大きく変わる。

第6部 気候の地図

第41章 エネルギー転換
温暖化抑制のために二酸化炭素排出を抑制する必要があるというコンセンサスはあるものの、 その実行方法のコンセンサスは無い。
エネルギー転換は昔からある話である。薪から石炭への移行が始まったのは 18 世紀だが、 石炭が世界のエネルギーの半分以上を賄うようになったのは 1900 年である。 石油が発見されたのは 19 世紀だが、世界一のエネルギー源になったのは 1960 年代である。
近年の IPCC 報告書では温暖化の原因が人為的な温室効果排出だと断言している。
2015 年のパリ気候会議 (COP21) では、一応の合意がなされた。ただし、法的拘束力はない。
経済の世界でも、社会でも、温暖化を防ぐための運動が起こっている。
第42章 グリーン・ディール
二酸化炭素排出抑制に一番熱心なのはヨーロッパである。EU の「グリーン・ディール」では、 2015 年までに二酸化炭素排出を実質ゼロにすることを目指している。しかし、達成は困難である。
米国ではもっと過激な主張をする人々もいる。2019 年、Alexandria Ocasio-Cortez ら民主党左派は 2030 年までに、米国内の電力を再生可能エネルギーにするという決議案を出すと言っていた。 しかし、正式発表ではだいぶん常識的なものに和らげられた。2020 年の大統領選の民主党予備選挙では Bernie Sanders が 16.3 兆ドルの計画を打ち出した。それには石油の生産停止や輸出入禁止も入っていたが、 それでどうやって経済と社会を維持していくつもりかは不明である。
第43章 再生可能エネルギーの風景
現代の再生可能エネルギーとしては、太陽光と風力が最有力視されている。
太陽光の利用の可能性は、アインシュタインによる光電効果の発見に始まる。主流の電力になり始めたのは、 ドイツの環境政策と中国の生産能力が合わさった 1990 年代からだ。2010 年代になると、中国の太陽光パネル製造は 供給過剰になり、メーカーは苦境に陥った。そのため、中国政府は国内需要の創出に取り組んだ。その結果、中国は、 太陽光パネルの製造で世界の7割、太陽光パネルの市場で世界の5割を占めるに至った。おかげで、太陽光パネルの価格は 劇的に下がった。
風力の利用が本格的になったのも 21 世紀になってからだ。とくに中国で盛んである。発電量に占める風力の割合が 高いのは欧州で、12 % 近くになっている。中国は 5 % である。
太陽光と風力は急成長しているものの、出力変動が大きいので、電力システムに組み込むやり方が難しい。 天然ガスと組み合わせるとともに、蓄電池の開発が望まれる。
中国では風力と太陽光が急増しているが、同時に原発や石炭火力発電所も速いペースで新設されている。
第44章 現状を打開する技術
水素技術への関心が高まっている。
炭素の回収・利用・貯留 (carbon capture, use and storage CCUS) も注目されている。
自然の力で炭素を蓄えることも考えられている。
第45章 途上国の「エネルギー転換」
インドを例に途上国の課題を見てゆく。インドは、近代的なエネルギーの不足という問題を抱えている。 多くの人が昔ながらのバイオマスを用いているため、健康問題が広がっている。モディ政権は、天然ガスの利用を 広めようとしている。再生可能エネルギーでも野心的な目標を掲げている。
第46章 電源構成の変化
在来型エネルギーは相変わらず重要である。昔は「ピークオイル」がよく語られたが、最近、 議論は「石油需要のピーク」に移っている。とはいえ、途上国の石油需要は伸び続けているし、航空機燃料は いまだに石油に代わるものはない。石油はプラスチックの原料としても重要である。石油需要はピークに達するとしても、 その後急落することはないだろう。石油・天然ガス産業の方も多角化を図っている。

おわりに

結論―妨げられる未来
反グローバル化、コロナ危機の中、人々の行動や国際協力が変化している。
米中の分断は、世界の不安定化要因である。
石油や天然ガスが重要であることは今後もしばらく変わらない。その一方で、エネルギー転換が進むであろうことも確かだが、 どのくらいの速さになるかはわからない。
エピローグ―実質ゼロ
カーボンニュートラルに向けて世界は動いている。アメリカは 2050 年における達成、中国は 2060 年における達成を目標にした。 しかし、実現への道は困難である。
低炭素化への動きの中、石油・天然ガス企業の中には、総合エネルギー企業へと転換を図っているものがある。
炭素排出実質ゼロへ向けて次の3つの分野が目立つ。(1) 炭素回収 (2) 水素 (3) バッテリーと電力貯蔵、である。
バッテリーに関しては、バッテリーの材料となる鉱物資源の地政学も大事になってきている。現在、世界の電池生産能力の 8割を占めているのは中国である。リチウムの産出の 80% 以上をオーストラリア、チリ、アルゼンチンの3カ国が占め、 希土類の産出の 60% は中国で、コバルトの産出の 70% はコンゴ民主共和国である。
近年、米中の覇権争いが激化することで、地政学が重要になってきている。
2020 年、イスラエルと UAE が和平協定「アブラハム合意」に調印した。バーレーン、モロッコ、スーダンもこれに追随した。 イスラエルとアラブが接近した理由としては (1) イランやトルコという共通の敵の存在 (2) イスラエルの技術とドバイの金融を 結び付けられること (3) 米国が産油国になったので中東から手を引き始めていること、がある。
付録―南シナ海に潜む4人の亡霊
南シナ海での米中の争いを考えるとき、4人の歴史的人物が思い浮かぶ。
(1) 中国明朝で永楽帝に仕えた鄭和。鄭和は大船団を率いて世界各地で交易をした。鄭和の死後、官僚たちが海軍を嫌ったので、 新しい皇帝のもとで、船団は焼却された。
(2) 国際的な海洋法の基盤を作ったオランダの法学者フーゴ―・グロティウス。海洋と交易の自由が普遍的に与えられるべきだと論じた。
(3) 米国のアルフレッド・セイヤー・マハン提督。海軍戦略の理論を構築し、米軍の海軍力増強の理論的基盤となった。 さらには、現在の中国が海軍力と制海権を重視するのもマハンの影響だ。
(4) ジャーナリストのノーマン・エンジェル(本名ラルフ・レイン)。世界の経済的な結びつきは強いので、戦争をすると、 勝った側も損失が利益を上回ると論じた。