短い小説なので「100分de名著」で取り上げられたのを機に青空文庫でも読んでみた。
ハンセン病療養所に入る日のハンセン病患者の苦しみと生きる希望が書かれている。
差別を受ける病気というものがある。ハンセン病、AIDS、初期の新型コロナと思い浮かべてみると、
特徴としては、感染力の低い伝染病であり治療法が無く死亡率が高いもの、ということが挙げられよう。
なかでもハンセン病は長期にわたる差別と偏見の歴史がある。最近読んだ名探偵ポワロものの
『エジプト墳墓の謎』の中でも leper(ハンセン病患者)
という言葉に「世間の嫌われ者」という意味もあるということが推理の鍵の一つになっていた。
ヨーロッパにも差別と偏見の歴史があるということである。
病気に限らず、差別の問題を扱っているのだと読むこともできる。主人公の尾田は、
まず自分が被差別の対象である癩者だと認めることから始めなければならなかった。
これと同様、たとえば、最近話題になる LGBTQ の問題にしても、当事者はまず自分がそうであると
認めるところから始めなければならない。これは心理的に大きなハードルである。
それを認めてから新しい人生が始まるというのもハンセン病に似ている。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 せめぎ合う「生」と「死」
ハンセン病
当時は、治療法のない病。感染すると、隔離されていた。患者は差別に苦しんだ。
ハンセン病が伝染病であることが分かり、1907 (明治 40) 年、ハンセン病患者の収容を目的とした
療養所の設置を定める法律が公布された。1931 (昭和 6) 年、健康な青少年を感染や発症から守り、
強力な軍隊を作るために、患者の絶対隔離を定める「癩予防法」が制定された。
北條民雄
- 1914 (大正 3) 年、京城に生まれる。翌年徳島に移住。
- 野球少年で、読み書きが得意で、将来作家になりたいと思っていた。
- 1933 (昭和 8) 年、19 歳の時、ハンセン病と診断される。
- 1934 (昭和 9) 年、全生病院に入院。
- 1936 (昭和 11) 年、『いのちの初夜』発表。
- 1937 (昭和 12) 年、死去。享年 23。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 尾田高雄は、これから療養所に入院するところ。半年前にハンセン病の宣告を受けた。
- 尾田は、ハンセン病の宣告を受けて以来、絶望の余り、自殺することばかりを考えていた。
でも、死にきれなかった。
- 病院を取り囲む垣根が見えてきた。心は揺らぐ。尾田は病院の門をくぐった。
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- 北條自身もハンセン病の宣告を受けてから、何度も自殺を試みている。
- 北條自身の回想でも、絶望したり、希望を持ったりしていた。生と死が交錯する。
- モデルとなっている病院は、全生(ぜんせい)病院。現在の国立療養所多磨全生園(ぜんしょうえん)。
- 北條は、昭和 9 年 5 月に全生病院に入院した。当時は 1050 人の患者が入院していた。
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- 尾田は、風呂場に連れて来られた。脱衣場は粗末だった。風呂から上がると、棒縞の着物を着させられた。
- 所持金は没収され、代わりに金券を受け取った。
- 尾田は、不安で惨めな気持ちになった。
- 尾田は、ある患者の奇怪な顔を見て、衝撃を受けた。
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- 入浴シーンや金券のシーンは、社会から隔離されてゆくステップを踏んでいくことを示すもの。
- 全生病院には火葬場や墓地もあった。患者は、死んでも社会から隔離されていた。
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第2回 「いのち」を観察する眼
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 尾田は佐柄木(さえき)という男に会う。佐柄木は、片目は濁り、片目は義眼で、明らかに患者だった。
- 尾田は佐柄木に連れられて、重病室に入る。自分もそうなるだろうと考えて恐ろしくなった。
- 病院では、軽度の患者が重病者に付き添って世話をしていた。佐柄木は、その付添夫の仕事をしていた。
- 尾田は佐柄木と少しずつ親しくなるが、同時に嫌悪感を覚えた。
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- 尾田は、重病室で自分の未来の姿を見る。
- 療養所の中では色々な仕事があった。大工、床屋、農業、包帯巻き直しなど。
- 尾田は、佐柄木と仲良くなりたいと思う一方、そうなると自分のハンセン病を受け入れなければならなくなるという
葛藤に陥る。
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- 尾田は、耐えられなくなって、一人、建物を飛び出す。
- 尾田は、首を吊って死のうとする。でも死にそうになったら、苦しくなって藻掻いて死ねなかった。
「死というものは、俺には与えられていないのか。」でも、病院にも戻れなかった。
- 佐柄木が一部始終を見ていた。佐柄木が優しく連れ帰ってくれた。
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- 自殺未遂の場面は、少しユーモラスに描かれている。
- 尾田は死ねなかったので、これ以降死のうとは思わなくなった。
- 尾田には、社会的には生きる場所は無いけれども、命はある。
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- 佐柄木は尾田に話しかける。「癩病に成りきることが何より大切だと思います。(中略)
同情ほど愛情から遠いものはありませんからね。」
- 少し仕事をした後、佐柄木は尾田に再び話しかける。
「(癩に)一度は屈服して、しっかりと癩者の眼を持たねばならないと思います。
そうでなかったら、新しい勝負は始まりませんからね。」
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- 自分が癩だということを受け止めると、次の未来が見えてくる。同情されただけでは役に立たない。
- 自分自身を冷静に見つめる目が必要。
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第3回 再生への旅立ち
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 尾田は夢を見る。尾田は何者かに追われている。次の場面では、巨大になった佐柄木に炎の中に投げ込まれそうになる。
- そこで尾田は目を覚ました。すると、一気に現実に引き戻された。
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- 火炙りの刑が出てくる背景には、ハンセン病が業病(原罪が引き起こした病)と言われていたことがある。
- 現実も病人に囲まれていて悲惨。
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- 病室では、佐柄木が何かを書き続けている。
- 佐柄木は尾田に「(患者はもう)人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。」と言う。
「ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。」
- 佐柄木は「苦悩や絶望、それがどこから来るか、(中略)過去の人間を探し求めているからではないでしょうか。」と言う。
佐柄木は、もうすぐ盲になるはずだ。
- やはり生きてみることだ。
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- 尾田は、夜明けとともに「生きる」方に軸足を置くことにする。
- 「びくびくと生きている」という表現は、生命力、生命の誇りを感じさせる。
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川端康成と北條民雄
- 川端康成が「いのちの初夜」という題名を付けて、この作品を世に出した。
- その1年半前、北條は、秩父晃一のペンネームで全生病院の機関誌に4枚の作品『コント 童貞記』を発表する。
- その後、北條は、院内の印刷所で編集部員として働き始める。
- 北條は、川端康成に手紙を書く。何とか文学で救ってほしいという気持ちが伝わる手紙であった。
川端は返事をくれる。その後すぐ、童話『可愛いポール』を書いている。仔犬が子供に救われる話である。
- 川端は、北條の第一作『間木老人』(ペンネーム:秩父號一)を雑誌「文學界」に掲載する。
- その3か月後『いのちの初夜』が出版される。
第4回 絶望の底にある希望
今日は、北條の晩年に迫る。
- 『いのちの初夜』は文學界賞を受賞。
- ある日、北條は、賞金をもらいに行って、銀座のカフェに案内される。
- 翌日、川端に会いに鎌倉に行く。いざとなるとお宅に行くのは躊躇して、駅前で会った。
そのときのことは、川端が『寒風』に記している。
- その後、北條は、療養所に帰ってゆく。孤独を感じながらも、生きていることに喜びを覚える。
- 『いのちの初夜』は評判も高く、芥川賞を取るかもしれなかったが、川端が反対した。
世間の好奇に晒されることをおそれたのであろう。
- 童話『すみれ』には、庭の片隅に咲くスミレの生きる誇りが書かれている。
スミレとハンセン病患者が重ね合わされているのだろう。
- 北條は結婚を望んだが、当時、院内で結婚するには、断種をしなければならなかった。
北條はそれには踏み切れなかった。
- 作品『癩院受胎』には、舟木兵衛というハンセン病患者が出てくる。妹の茅子もハンセン病だったが、
茅子は妊娠していた。当時、療養所のハンセン病の患者は堕胎しなければならなかった。
兵衛は片目を義眼にする手術をする日の朝、茅子に「生め!」と言った。
- 1937 (昭和 12) 年、北條は重病室に移される。すでに腸結核を患っていた。
随筆『続重病室日誌』の最後には、栗を食べる幸せが書かれている。
- 12 月 5 日、死去。最期の言葉は「おれは恢復する、おれは恢復する、断じて恢復する」だった。
- 1938 年、川端が編纂した『北條民雄全集』が刊行される。
- 生誕百年を機に、本名七條晃司(しちじょう てるじ)と出身地徳島県阿南市が公表される。