科学論文の英語用法百科 第2編 冠詞用法

著者Glenn Paquette
企画理論物理学刊行会
発行所京都大学学術出版会
刊行2016/10/20、刷:2017/01/20(初版第2刷)
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読了2023/04/17
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英語の冠詞とそれに関連して名詞の数の使い方はいつでも悩ましくい。 そんな中、本書は冠詞と数の使い方を系統的に論じてあり、分厚いが、じっくり読めば 非常に配慮が行き届いていることが分かる。これを読むと、英語の冠詞の感覚が だいぶん分かったような気になる。とはいえ、読み終わった後でも、いつでも正しく冠詞を 選べる自信は私にはない。でも、正しく使われた冠詞用法に関して、なぜそうなのかを説明することは かなりできるようになった気がする。本書は、言語学者ではなく物理学者が書いたもので、 数学書的な雰囲気が漂っているのも特徴である。例はほとんど科学論文から取られている。

冠詞の用法の基本ルールは以下の1つの表にまとめられている (p.35)。

可同定不可同定
単数形 可算thea/an
複数形 可算the無し
不可算-無し

これがすべてで、この分厚い本は、これの実際の場面への適用法が詳述されている。

上の表にも、重要な特徴が一つある。それは、不可算名詞には the が付かないとしている点である。 この本の立場では、何ら限定なしで使った場合に不可算になる名詞は「本来不可算的名詞」と呼び、 それが修飾などの限定により輪郭が明確になると可算になって the が付くという考え方をする。 たとえば、pp.48-49 に載っている light(光)という本来不可算的名詞を使った例を以下に引用する。

このように丁寧な分析がなされている。こんなに丁寧な分析が書かれた冠詞の本は他に知らないし、 こういう考え方をすれば冠詞の使い方が理解可能になるのだと感心した。

しかし、問題は一筋縄ではいかないことが例を通して説明される。一つは、本来不可算的名詞だか 本来可算的名詞だかわかりづらい場合、あるいは意味によってどちらでもあり得る場合である。 紛らわしい算性 (countability) に関する一般的目安として、以下のようなことが挙げられている。

数学的操作は本来不可算的名詞、数学的対象は本来可算的名詞 (8.2 節)
  • differentiation(微分)は本来不可算的名詞だが、derivative(微係数、導関数)は本来可算的名詞である (p.129)。
  • multiplication(乗算)は本来不可算的名詞だが、multiplication operator(乗算演算子)や product(積)は本来可算的名詞である (pp.131-132)。
数学的に表現される具体的な現象は本来可算的名詞、状況に限定されない現象一般をさすときは本来不可算的名詞 (8.2 節)
  • instability は、具体的な現象を全体として指す場合は本来可算的名詞、 状況に限定されない抽象的な現象を表す場合は本来不可算的名詞である (p.113)。したがって、
    We refer to this tendency of the systema as a "small wavelength instability." (p.111)
    のような場合は具体的な現象なので本来可算的名詞だから不定冠詞が付き、
    When carrying out these experiments, we attempted to remove all possible sources of instability. (p.113)
    では具体的な不安定を指していないので本来不可算的名詞であり無冠詞になる。
  • interaction は、関数形で明確に表現できる場合は本来可算的名詞、数学的に特定されない物理現象を 表している場合は本来不可算的名詞である (p.128)。したがって、
    The interactions among the particles are expressed as follows.
    では具体的に数式で表現できているので可算、
    Interaction amomg the particles eventually results in the equipartition of energy.
    では具体的ではない何かの相互作用なので不可算である。
  • non-linearity は、本来不可算的名詞であるが、数式で表現できるような明確な定義がある場合は可算になる (p.114)。 したがって、
    The non-linearity of the Einstein field equations is their essential feature. (p.111)
    は数学的に表現できているものなので可算である。
中身がはっきりしている理解は本来可算的名詞、中身が定まっていない理解は本来不可算的名詞 (8.3 節)
  • interpretation は、解釈の中身が定まっている場合は本来可算的名詞、定まっていない場合は本来不可算的名詞である (pp.133-134)。 したがって、
    The quantity h has a clear physical interpretation.
    では、当該の量に既に決まった解釈があり、それがこのあと説明されると予期できるので、可算。
    Further interpretation of this point awaits new experimental results.
    では、将来どんな解釈になるかわからないので、不可算。
論理的概念を内容が定まった全体として指しているときは本来可算的名詞、範囲が限定されていない場合は本来不可算的名詞 (8.4 節)
  • analysis の例 (pp.137-138):
    The analysis presented below is a variation of that presented in Ref.[3]
    では、以下で具体的に内容が述べられている解析なので、本来可算的名詞。
    Riele et al. applied unitary analysis to data obtained in such experiments.
    では、「ユニタリー解析」が場合によっていろいろな形態をとることから、本来不可算的名詞。
過程を全体として指しているときは本来可算的名詞、過程という動作や行為を指している場合は本来不可算的名詞 (9.2 節)
  • analysis の例 (pp.140-143):
    The authors also carried out a numerical analysis of the BS amplitudes.
    では、具体的に完結した解析を指しているので、本来可算的名詞。
    To this time, Eq.(5.4) has defied all meaningful attemps at analysis.
    では、analysis は「解析すること」という意味なので、本来不可算的名詞。
形のない物質は本来不可算的名詞だが、物質の種類を種類を指しているときは本来可算的名詞 (10.2 節)
  • fluid は、流体という物質を指す場合は本来不可算的名詞、流体の種類を指している場合は本来可算的名詞である (p.113)。 したがって、
    We study the gravitational collapse of a circularly symmetric stiff fluid. (p.111)

    We regard the medium to be a Newtonian fluid. (p.149)
    では fluid で流体の種類のことを言っているので不定冠詞が付く。

同定性の問題(identifiability;the の問題のこと)も難しい。the の問題で一番難しいのは、広い意味で「総称」的な使い方である。本書ではいくつかに分けて説明されている。 しかし、本書を読んでもなかなか自分できちんと使い分けられる自信はない。

  1. 複数形名詞や本来不可算的名詞が「全体」として同定される場合(本書の用語では「Type II 包括性」)。 複数形名詞や本来不可算的名詞に the を付けるのは、基本は名詞句が示している全てのものが対象となる場合 (本書の用語では「Type I 包括性」)なのだが、当てはまらない部分があってもそのことに注目せず 大まかに全体として見ている場合は the を付ける。ただし、対象がある範囲に限られるものに限る(本書の用語では 「閉じたカテゴリー」)。(16, 18 章)
    • The people of Northern Europe are quite tall. (pp.84-85)
      北欧の人の中には背が低い人がいるかもしれないが、the を付けることにより、北欧の人を1つのグループとして見て、 平均的な性質を見ていることが分かる。the を削除すると、個々の人を見ている感じがするので、客観的な事実というより 個人的な経験だとみなされる。
    • The turbulent flow over the wings for speeds above v0 causes large-amplitude vibrations that result in failure. (pp.190-192)
      においては、流れの中にはひょっとすると振動を引き起こさない部分があるかもしれないが、著者はそんなことには 注目していなくて、流れを全体として見ているので可同定になっている。
    • A tendency often interpreted as 'positivism' can be seen in the early works of Einstein, although he would later claim not to be a positivist. (pp.198-200)
      Type I 包括性だけを考えると the early works of Einstein はアインシュタインの初期の研究のすべてを指すように思えるが、 著者は tendency のことを述べているので、一つ一つの研究を見ているというよりも初期の研究全体の流れを指していると 解すべきである(Type II 包括性)。だから、個々の研究の中に実証主義的でないものがあったとしても the を付ける。
    • We chose the initial conditions so as to best reflect the statistical characteristics of experimental data. (pp.198-200)
      データの統計的性質の中には初期条件に関係が無いものもあるから the が無いのが正しいとも思えるかもしれないが、 統計的性質を全体として考えてそのうち重要なものを選んだ上で初期条件を選択しているはずなので、the を付けるべきである。 もしも付けないと、重要な統計的性質の中で無視されたものがあるのではないかという疑いが出る。
    • In this paper, we consider the quasi-static deformation of fluid systems of this type. (pp.218-221)
      において、deformation は本来不可算的名詞と捉えられ、具体的な変形過程ではなく、変形現象を指していると解される。 それが修飾語句によって可算・可同定化され閉じたカテゴリーとなっている。一方、deformation を具体的な変形過程として 本来可算的名詞として用いた
      In this paper, we consider quasi-static deformations of fluid systems of this type.
      も可能である。この場合、変形過程は無尽蔵にあるので開いたカテゴリーとなり、the は付かない。
  2. Type II 包括性の「全体」が当てはまるのは、対象がある範囲に限られる場合である。対象が無尽蔵にあったり、 境界がなかったりする場合(本書の用語では「開いたカテゴリー」)に、 複数形名詞や本来不可算的名詞が一般的なものを指すときは不可同定で、the が付くことはない。(16.3.3 節)
    • In metallic superconductors, this attractive interaction exists only for fermions near the Fermi surface. (pp.202-204)
      では、金属超伝導体は将来も新しいものが見つかるかもしれない範囲の定まらないものなので、定冠詞を付けてはいけない。ただし、
      In a metallic superconductor, this attractive interaction exists only for fermions near the Fermi surface.
      のように「任意の種類の金属超伝導体は」という意味で単数形にしても良いし、
      In the known metallic superconductors, this attractive interaction exists only for fermions near the Fermi surface.
      のように known が入っていれば「これまで知られている金属超伝導体においては例外なく」という意味で定冠詞を付けても良い。
  3. 本来可算的名詞が、いくつかの種類のものを代表している場合(普遍体)、the + 単数形名詞となる。(19.2 節)
    • The next-generation electrical vehicle motor developed by this company is produced in four different models, for use in four classes of automobiles. (pp.231-232)
      においては、「次世代型電気自動車モーター」は、具体的には4つの形態をとるモーターを一般化して代表する普遍体 であるとみなされ、可同定となっている。
  4. 普通のものから抽象化によって得られた完璧な形態を理想体という。名詞が可算であれば、the + 単数可算名詞となる。 名詞が不可算であれば、冠詞は付かない。名詞が不可算の時は、冠詞用法からはそれが理想体であるかどうか判断できない。 (19.3 節)
    • The mass of the electron is approximately 0.51 MeV/c2. (pp.236-237)
      において、「電子」は具体的な電子を指しているのではなく、電子という理論的な概念を指している。

これに関連して、紛らわしい同定性に関する一般的目安として、以下のようなことなどが挙げられている。

不可同定物に属するものであっても、その任意のものの特定される属性は可同定物である。(13 章)
  • Such behavior is realized in the core of a proto-compact star resulting from a supernova explosion. (pp.165-167)
    においては、星は特定されていないが、その星を決めてしまえばそのコアは1個しかないので core は可同定とみなされる。
変数は、多くの実現値を抽象的なレベルで代表するものだから普遍体と看做され、文脈によって唯一のものであれば可同定。 モデルパラメタも同様に普遍体であり、多くの場合可同定。通常は特定のモデルという文脈で語られるし、 その中の特定のパラメタについて語っているからである。値の言い方に付いての算性・同定性については Appendix D にまとめてある。(17 章, 19.2 節)
  • Here, q and p are the position and the momentum of the oscillator. (pp.232-233)
    においては、qp は変数(普遍体)であり、文脈から唯一の位置や運動量だから可同定。
  • Here, ξ is a random force with zero-mean Gaussian distribution. (pp.234-235)
    においては、random force は普遍体というより具体的な一つの実現と看做されるので、不可同定。
  • In this case, we have k|T|<-μN, where μ is the frictional coefficient. (pp.206-207)
    において、摩擦係数は文脈から特定されているモデル中のパラメタなので可同定。
  • The distribution in this case is a Gaussian with a mean of 0 and a variance of A/2. (pp.209-210)
    「量を表す名詞 of 数値」は一般に不可同定。というのは、上の例で言えば、「0 という平均値」を持つ分布はそこらじゅうに あるからである。
  • These devices have nearly 100 TB of memory. (pp.275-276)
    「数値 of 量を表す名詞」の場合、「量」は性質と看做され、不可算・不可同定となる。
学問分野は、それほど境界がはっきりしないので本来不可算的名詞 (8.4 節) で、かつ単独で用いられるときは 不可同定(開いたカテゴリー)。ただし、修飾語が付けば閉じたカテゴリーになり可同定になる (18.2 節)。
  • classical mechanics, geometry, biology, group theory, bioengineering など。
  • ただし、the field of bioengineering において field は可同定になるし、修飾語が付けば the bioengineering of artificial organs のように可同定になる。