最近の自民党政治家の狂ったような右傾化の背後に日本会議があることを明らかにした本。 この本は安倍政権下で書かれたものだが、岸田政権に変わっても事情は変わっていない。 なにしろ岸田文雄自身、日本会議国会議員懇談会に入っており、洗脳されてしまっているからである。 道理で、安倍を国葬にしたり、防衛費を倍増したり、「サルのように(おサルさん、ごめんね)」憲法審査会を開いたりするわけである。 これらの政治活動のどこが保守本流なのだろうか?
本書が明らかにしているところだと、日本会議の源は、「生長の家」の学生運動にあり、 改憲の目標は文字通りの明治憲法の復元にあるということである。明治憲法のような出来損ないの憲法を 復元しようというのは訳が分からない。憲法改正のターゲットは第一に緊急事態条項の追加、 第二に家族保護条項の追加、第三に自衛隊の国軍化だそうである。いわゆる護憲派の人々はよく九条を 旗印にするが、それは日本会議にとって三番目の重要さしかない。すでに安倍が解釈改憲をしてしまったので、 どうでもよくなっている可能性すらある。第一、第二の点のように基本的人権の尊重を捨て去ることこそが 彼らの目標であることを忘れてはいけない。彼らは、北朝鮮を危険視しておきながら、日本の北朝鮮化を狙っている。 恐ろしいものである。自民党に二世議員、三世議員が多いことも、北朝鮮のような世襲国家を理想的だと 考える要因になっているのであろう。なお、本書に書かれている通り、今の「生長の家」は、こうした極右路線とは 無縁になっている。
本書によれば、日本会議とその周辺の重要人物や重要組織には以下のような流れがある。
- 「日本青年協議会」は、現在、日本会議の事務局として機能している。 「日本青年協議会」会長の椛島有三は、日本会議の事務総長でもある。 椛島は、もともと生長の家学生運動出身で、長崎大学学園正常化運動の中心人物の一人であった。 現参議院議員で「日本青年協議会」で副代表だった衛藤晟一も大分大学で学園正常化運動をしている。
- 「日本青年協議会」設立の経緯は以下の通り。 生長の家学生運動を母体として 1969 年、「全国学生自治連絡協議会(全国学協)」が結成される。 1970 年、全国学協の社会人組織として「日本青年協議会」が結成された。1973 年、日本青年協議会は 全国学協から除名されたので、新たな学生組織「反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)」を作った。 なお、反憲学連は、現在では活動を停止しているようである。
- 「日本政策研究センター」は、1984 年に伊藤哲夫が設立したシンクタンクである。安倍政権を政策面で支えている。 4つの柱は「歴史認識」「夫婦別姓反対」「従軍慰安婦」「反ジェンダーフリー」。 伊藤哲夫は、もともと生長の家青年会の幹部だったが、「生長の家」が 1983 年に政治活動を止めたため、 1984 年に「日本政策研究センター」を設立したと見られる。
- 生長の家が愛国路線を放棄した後、生長の家原理主義者たちは「谷口雅春先生を学ぶ会」に集った。 百地章や高橋史朗などが参加している。『谷口雅春先生を学ぶ』創刊号 (2002 年) の発行人は中島省治である。
- 憲法学者・百地章(日本大学 本書の当時は教授、現在は名誉教授)は「美しい日本の憲法を作る国民の会」幹事長で、 改憲運動を支えている。百地は、1969 年、右派学生の文化活動団体として 結成された「全日本学生文化会議」の結成大会で実行委員長を務めた。 『谷口雅春先生を学ぶ』創刊号 (2002 年) の編集人を務めている。
- 教育学者・高橋史朗(本書の当時は明星大学教授)は、日本青年協議会の幹部だった。 早稲田大学学生の時は、「生長の家学生会全国総連合」の委員長だった(その当時は土橋史郎)。
- 運動全体の裏にいる人物は、安藤巖である。1939 年生まれで、長らく病床にあったときに「生長の家」に帰依。 1966 年に長崎大学に入学する。学園正常化運動で左翼に勝利し、全国学協では鈴木邦男を失脚させた。