言わずと知れた「百人一首」。本解説は、非常に多角的であるところが素晴らしい。
歌の解釈にとどまらず、百人一首から生まれた「リメイク」に一つの回(第3回)を当てているのが
特筆すべきだと思う。「リメイク」には、落語、浮世絵、かるた競技まで含まれており、
百人一首文化の広がりを改めて認識させられる内容になっている。
これからの百人一首ということで講師が行っている超訳と英訳も面白い(第4回)。
現代的にあるいはグローバルな形でリメイクしていくことで、時空を超えた広がりが出るし、
伝統を生きた形で引き継いでいくことができる。超訳は、伝統的な本歌取りの技巧にも
つながるし、英訳ができることで世界の文化の一翼を担うことになる。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 「外から」見た魅力と謎
「百人一首」
- 「百人一首」というタイトルは謎。「百人百首」とするのが自然なのに。なぜそうしたのかには諸説ある。
英訳したときは、One Hundred Poets, One Poem Each として each を入れた。
- 選者は藤原定家だとされてきたが、最近の主流の学説では定家ではないとされている。
- 百人の内訳は、男性 79 人、女性 21 人。テーマでは、恋が 43、四季が 32、それ以外が 25。
- 当時、和歌はコミュニケーション・ツールだった。彼女をゲットするにも、宮中儀礼でも必要だった。
和歌と解説
和歌/詩 | 解説 |
四〇 平兼盛 しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
四六 曾禰好忠 由良の門を渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな
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- 男性の恋心を詠んだ歌。
- 兼盛の歌は、講師も似た体験をしたことがあるので、好き。
- 好忠の歌では、恋愛が、櫂をなくして方向性が定まらない舟に譬えられている。恋は思い通りにならない。
- 百人一首の歌には、こうした普遍的なことがらが詠われているものが多い。
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九 小野小町 花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに
私はべアールの老婆、
かつてはいつも新しいドレスを着ていた
今日――みすぼらしい姿になって――
私は捨てられたドレスさえまとっていない
五月祭がやってくると乙女たちは喜ぶ
私にとっては悲しみが日常
私は惨めな老婆
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- 衰えていく美を詠った和歌とアイルランドの詩。
- 詩は、アイルランド神話に登場する女神を描いたもの。若さを夏に、老いを冬に対応させている。
- 和歌は集団行為で、敷居が低い。西洋の詩は、自分だけにしかない世界観を詠んでいく。
西洋の詩は、メランコリーや孤独感を求める。
- 小町の歌では、掛詞や縁語の技巧が駆使されている。
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二三 大江千里 月見れば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど
四 山辺赤人 田子の浦にうち出でてみれば白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ
九九 後鳥羽院 人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は
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- 千里の歌では、「千々に」と「ひとつの」が対句になっている。
- 赤人の歌では、実際に山頂に雪が降りしきる様子が見えているわけではない。山頂の情景は想像上のもの。
- 後鳥羽院の歌は、承久の乱のおよそ十年前に詠まれたもの。幕府に圧迫されてゆく苦悩が表現されている。
人を愛すると同時に恨めしいという複雑な気持ちが描かれる。
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第2回 古典文学への入口
和歌と解説
和歌/詩 | 解説 |
三 柿本人麿 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝ん
一七 在原業平 ちはやふる神代もきかず龍田川から紅に水くくるとは
八八 皇嘉門院別当 難波江の葦のかりねの一(ひと)よゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき
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- 「あしびきの」は、「山」または「峰」にかかる枕詞。「あしびきの」の意味はよくわかっていない。
- 「ちはやふる」は「神」の枕詞。「ちはやふる」は、荒々しい様子を表す。
- 「かりね」は「刈り根」と「仮寝」の掛詞。「一よ(ひとよ)」は、「一節(ひとふし)」と「一夜」の掛詞。
「みをつくし」は「澪標」と「身を尽くし」の掛詞。
- 「かりね」と「一よ」は、葦の縁語。「みをつくし」と「わたる」は、難波江の縁語。
縁語は、連想の広がりを与える。
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四二 清原元輔 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは
一〇 蟬丸 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関
二九 凡河内躬恒 心あてに折らばや折らん初霜の置きまどはせる白菊の花
六九 能因法師 あらし吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり
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- 「末の松山」が歌枕。今の宮城県多賀城市にあったとされる山。海に近いのに決して波が越えることはないとされる。
なので、ありえないことの譬えとして使われている。
- 「逢坂」が歌枕。山城国から近江国へ向かう時に逢坂の関を越える。逢坂の関は、東国への入り口だった。
- 歌枕の機能は、動きを感じさせる連想。
- 躬恒は、「白菊」を「初霜」に見立てている。白を際立たせている。
- 能因法師は、紅葉を錦に見立てている。美しさを引き立てている。
- 見立ては、西洋にない発想。
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三三 紀友則 ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらん
シェイクスピア ソネット18番「君を夏の日にたとえようか」
人が呼吸し、目が見える限り、
この詩は生き続け、
君に命を与え続ける
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- 「ひさかたの」は「光」の枕詞で、「悠久の」「不変の」という文脈で使われる。友則は、自然を擬人化し、
桜のはかなさに美を感じている。
- 西洋では、美は永遠であることに価値があると捉える。人間には死がやってくるが、神と芸術は永遠に生き続ける。
- 日本の美は不完全さを求めるが、西洋の美は完璧を求める。完璧だからこそ永遠。
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第3回 リメイクの広がり
百人一首かるたの普及とリメイクの広がり
- 百人一首かるたは、江戸時代初期に生まれた。
- 公家の嫁入り道具として人気を集め、やがて「光琳かるた」など芸術的なものが出てくると武家にも広まった。
- その後、寺子屋でも使われるようになって、庶民にも広まった。
- すると、俳諧や狂歌でもリメイクされるようになった。
和歌とリメイクと解説
和歌 | リメイク | 解説 |
七四 源俊頼朝臣 うかりける人を初瀬の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを
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松尾芭蕉 うかれける人を初瀬の山桜
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- 「憂かりける」を「浮かれける」に変えることで、光景を一変させた。
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七 安倍仲麿 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
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仲麿はいかい歯ぶしの達者もの三笠の山にいでし月かも
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- 「月かも」を「月噛もう」とわざと読み間違えて、望郷の感傷を茶化している。
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三二 春道列樹 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり
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質蔵にかけし赤地のむしぼしはながれもあへぬ紅葉なりけり
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- 川の「流れ」を「質流れ」に転換して、江戸の庶民生活をユーモラスに描いている。
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六 中納言家持 鵲(かささぎ)の渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける
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室町時代の「扇の草子」
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- 鵲は、天の川に橋を架けて、七夕の日に織姫を彦星のもとに導くという伝説がある。
- 鵲は、日本では京都や江戸では見られない。そこで、「扇の草子」では、傘と鷺で表現されている。
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六一 伊勢大輔 いにしへの奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな
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葛飾北斎の浮世絵「百人一首 姥がゑとき」
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- 元の歌は、八重桜が奈良から朝廷(九重)に献上された際に、伊勢大輔(いせのたいふ)が即興で詠んだもの。
- 北斎の作品では、桜の枝ではなく桜の大木が運ばれている。姥(うば)の間違った解釈が描かれていてユーモラス。
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八八 皇嘉門院別当 難波江の葦のかりねの一(ひと)よゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき
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葛飾北斎の浮世絵「百人一首 姥がゑとき」
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- 元の歌は、一夜の短い旅の契りを交わしたことで恋い焦がれる切ない思いを表現している。
- 北斎の作品では、巨大な荷車で大量の葦が運ばれている。「身をつくし」が肉体労働だと解釈されている。
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七七 崇徳院 瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
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落語「崇徳院」。若旦那が「瀬を早み岩にせかるる滝川の」と書かれた紙を残して去ったお嬢さんに
一目惚れする話。オチは「割れても末に買わんとぞ思う」。
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- 元の歌は、また逢おうという恋の歌。
- 落語のネタになっていることから、この歌が庶民に浸透していたことがわかる。
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一七 在原業平 ちはやふる神代もきかず龍田川から紅に水くくるとは
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落語「龍田川」。長屋の御隠居による歌の出鱈目な解釈。力士の龍田川が遊女の千早と神代に振られる。
やがて千早は貧乏になって井戸に身を投げる。
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第4回 時空と国境を超えて
超訳
和歌 | 超訳 | 解説 |
六〇 小式部内侍 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
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別にカンニングしてないし。実力なめんな。
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- 元の歌は、母親で歌人の和泉式部が丹後に行っている時に、娘が歌会で即興で披露した歌。
「母親の助言をもらうために使いを出したのですか?」とからかわれたのに対応して詠んだもの。
- 超訳は、内侍の悔しさを現代の若者に置き換えて表現したもの。
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五 猿丸大夫 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき
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ハロウィンの翌日渋谷で踏み分ける大量のゴミ
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- 元の歌は、秋の切なさを表現したもの。
- 超訳は、現代の都市の秋の風景の虚しさを表現している。
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三三 紀友則 ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらん
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このおだやかな春の日に、どうして私の鼻は落ち着きがないのだろうか
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- 元の歌は、のどかな春の日にはかなく散る桜を詠ったもの。
- 超訳は、花を鼻=花粉症に置き換えて、現代の季節感を表現している。
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九 小野小町 花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに
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私がおばあちゃんになっても
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- 元の歌は、老いを嘆くもの。
- 超訳は、森高千里の「私がおばさんになっても」をオマージュ。
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九 小野小町 花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに
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新車で乗ってはや十五年いつまで一緒にドライブできるか
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世界に広がる百人一首
世界各国で百人一首かるた大会が開かれている。
講師は、英語の百人一首かるたを作った。大山札も作った。
和歌 | 英訳 | 解説 |
四〇 平兼盛 しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
九五 前大僧正慈円 おほけなく憂き世の民におほふかなわがたつ杣(そま)に墨染の袖
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Though I try to keep it secret,
my deep love shows in the blush of my face.
Others keep asking me -- 'Who are you thinking of?'
Though I am not good enough,
for the good of the people,
here in these wooden hills,
I'll embrace them with my black robes of the Buddha's way
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- どちらも Though I で始まり、決まり字が3音節目に来るようにした。
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三 柿本人麿 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝ん
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The long tail of the copper pheasant
trails, drags, on and on
like this long night alone
in the lonely mountains, longing for my love
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- long, on, alone, lonely, longing と似た音を繰り返すことで、聴覚的な効果を出している。
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一〇 蟬丸 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関
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So this is the place!
Crowds, coming going meeting parting,
those known, unknown ---
the Gate of Meeting Hill
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一六 中納言行平 立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む
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Though I may leave for Mount Inaba,
whose peak is covered with pines,
If I hear that you pine for me, I will return to you.
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- 掛詞の「まつ」を pines(松の木)と pine for(人を恋しく思う)で表現した。
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六〇 小式部内侍 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
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No letter's [stamp] come from my mother
nor have I sought her help,
crossing Mount Oe, taking the Ikuno Road [goint it alone]
to her home beyond the Bridge of Heaven
[] 内の言葉はルビで表現されている。
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- 掛詞をルビで表現した。「文」と「踏み」を letter と stamp(stamp には「切手」の意味もある)を
重ねて書くことで表した。
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