トーマス・マン 魔の山

著者小黒 康正(おぐろ やすまさ)
シリーズNHK 100分de名著 2024 年 5 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2024/05/01(発売:2024/04/25)
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読了2024/05/31

『魔の山』はタイトルは知っていたもののどういう小説なのかは知らなかった。 解説を聞いて、デカダンスに耽溺していた作者が第一次世界大戦の悲劇を経験して変わったことが、 まさに投影された小説であると知った。執筆も第一次世界大戦をはさんでいるため、前半と後半で 筆致が変わっている。その生々しさゆえに名著となっているということのようだ。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 「魔の山」とは何か

『魔の山』基本情報

トーマス・マン (1875-1955)

物語の進行と解説

物語の進行解説
  • 主人公は、裕福な青年ハンス・カストルプ。
  • 1907 年 8 月、造船会社に就職が決まったハンスは、療養中のいとこを見舞いに結核療養所「ベルクホーフ」に行く。
  • ハンスは、汽車の中で不安を覚える。
  • 駅に着くと、いとこのヨーアヒム・ツィームセンが迎えに来ていた。彼は意外に元気そうだった。
  • ヨーアヒムは、ここでは時間の流れ方が下界とは違うと言う。
  • 語り手は饒舌。前置きで、物語は長くかかると述べている。
  • いとこのヨーアヒムは、軍人志望だが、結核で5か月前からベルクホーフで療養している。
  • ハンスは、療養所で 37 号室に案内される。一昨日、そこでアメリカ人女性が死んだという。
  • ハンスは、食堂に向かうとき、ひどい咳を聞いた。
  • 食事は豪勢で、大いに食べたが、体長が少しおかしい。
  • ハンスは、医師のドクトル・クロコフスキーを紹介される。
  • トーマス・マンは、深刻な話を淡々と語るので、ユーモラスですらある。
  • 療養所の暮らしは優雅。1日5度食事があり、その合間は散歩や安静治療。
  • ハンスは、療養所を快適に感じ、自堕落な生活を送るようになる。つまり、療養所は、第一次世界大戦前の ヨーロッパのデカダンスを象徴する。
  • 18世紀末から19世紀初頭のヨーロッパは、都市化が進み、領土をめぐる対立が出てきた時代である。 ドイツはその潮流に後れを取っており、急速な発展を目指した。それで、個人に対する統制が強くなり、 国民には国家に奉仕することが求められた。
  • 知識人や文化人はそうした流れに反発し、世の中の価値規範に背を向けた。そうした生き方をデカダンスと呼ぶ。
  • トーマス・マンの『ヴェニスに死す』は、徹底してデカダンスを描いた。『魔の山』は、デカダンスの克服を目指した。
  • ハンスは、幼い頃、両親を病気で亡くす。ハンスは、保守的な祖父の下で育った。 ハンスは、祖父が持っていた洗礼盤を眺めるのが好きだった。
  • ハンスは、祖父の死後、叔父の下で育った。
  • ハンスは、将来何をしたいのかわからなかった。
  • ハンスがめまいを起こす体験は、時間感覚を失った感じになる体験とつながっている。
  • 語り手は、ハンスのことを常にフルネームで「ハンス・カストルプ」と呼んでいる。 ハンスは、ありふれた名前。ハンスは、ドイツの普通の人を代表している。 トーマス・マンは、時代の閉塞感を個人を通じて描いている。

第2回 二つの極のはざまで

物語の進行と解説

物語の進行解説
  • 滞在初日の朝、食堂にはいろいろな人が集まっている。
  • ハンスは、医師のベーレンス顧問官を紹介される。
  • ハンスは、セテムブリーニというイタリア人の人文学者と知り合いになる。
  • いつも食堂のドアをバタンと閉める女性がいた。ロシア人のクラウディア・ショーシャ夫人だ。
  • セテムブリーニとハンスは、よく議論をするようになる。たとえば、ハンスは、死や病気を尊重すべきものと看做したのに対し、 セテムブリーニは、病気を徹底的に拒む。
  • セテムブリーニは、ハンス・カストルプの教育者役。
  • ショーシャ夫人は、魔性の女。ハンスは、ショーシャ夫人が小学校の時に出会った少年ヒッペに似ていることに気付く。 トーマス・マンがバイセクシュアルだったことが反映している。
  • ハンスは、風邪をひく。ベーレンス顧問官は、肺結核の初期症状だと診断し、療養所で安静に過ごすことを勧める。 ハンスは、患者になった。
  • ハンスは、ショーシャ夫人に惹かれてゆく。見かねたセテムブリーニは、ハンスに山を下りるように勧める。
  • ハンスとショーシャ夫人の関係は、なかなか進まない。
  • セテムブリーニは、ハンスのことを「人生の厄介息子」と呼ぶ。
  • セテムブリーニはヨーロッパの合理、進歩と啓蒙、秩序を象徴している。 ショーシャ夫人はアジア(東方)の非合理、エロス、混沌を象徴している。 ハンス・カストルプは、東西に挟まれたドイツを代表している。
  • 当時ヨーロッパでは、ロシア革命とかロシアの文化に大きな関心が持たれていた。
  • 滞在7か月目、年に一度の謝肉祭がやってきた。 ハンスは、ショーシャ夫人に夢中。セテムブリーニは、ショーシャ夫人は魔物だと忠告する。 ハンスは、ショーシャ夫人に愛の告白をする。
  • ハンスとショーシャ夫人がどうなったか明示的には書かれていないが、どうも一夜を共にしたらしい。 これでデカダンスが完成する。その後、ショーシャ夫人は山を下りる。
  • 最初の構想では、小説はデカダンスが完成して終わるはずだった。しかし、第一次世界大戦が終わって、 トーマス・マンは小説をここで終えられなくなった。戦前、トーマス・マンは、戦争によって 古いデカダンスが一掃されて、新しいドイツが生まれると思っていた。しかし、戦争で多くの若者が 死ぬのを目の当たりにして、小説に新しい要素が入って来る。
  • 前半の上巻は滞在7か月。これから後半の7年に入っていく。

第3回 死への共感

物語の進行と解説

物語の進行解説
  • ユダヤ人のラテン語学者のナフタが登場する。ナフタは過激な思想の持ち主で、 セテムブリーニとしばしば激しく口論する。
  • ハンスは、たびたびナフタのもとを訪れる。
  • いとこのヨーアヒム・ツィームセンが、自己責任で療養所を去ると宣言し、山を下りる。
  • ハンスは、山を下りても良いと医者に言われているが、療養所に居残り続ける。
  • レオ・ナフタは、独裁を良しとする全体主義を支持し、戦争にも賛成している。 それに対し、セテムブリーニは、ヒューマニストで民主主義を擁護する。
  • セテムブリーニのモデルは、トーマス・マンの兄の作家ハインリヒ・マン。 トーマス・マンが第一次世界大戦を初め擁護していたのに対して、ハインリヒは民主主義者で、 トーマスとハインリヒは戦時中決別していた。しかし、戦後トーマスは戦争支持を改め、 兄弟は和解する。そのトーマスの思想の変化がセテムブリーニの描き方にも影響している。 前半では茶化すようなところがあったのに、後半では共感をもって描かれている。
  • 2度目の冬、ハンスは、スキーを始めた。
  • ある日、ハンスは吹雪で遭難し、山小屋の軒下で朦朧とし、夢を見る。南国の楽園のような場所。 神殿に入ると、残虐な儀式が行われていた。目覚めたハンスは、夢を反芻しながら、「死への共感」を疑い始める。
  • ハンスは、無事「ベルクホーフ」に戻る。夜には夢のことはすっかり忘れていた。
  • 楽園の夢は、精神医学と関連している。
  • ハンスは、幼い頃両親と祖父を病気で亡くしたので、死は高尚で荘厳なものだと考えていた。 しかし、この場面に至って「生への奉仕」を加えないといけないと思うようになった。
  • グロテスクな場面がある夢は、人間の素晴らしい面と恐ろしい面の両方を示している。 戦争ではジェノサイドが起こることにトーマス・マンが気付いたことの反映だと考えられる。
  • ハンスは、生への奉仕という理念を獲得する。次章でそれが実践へ向かう。
  • 8月、軍隊に入っていたヨーアヒムが戻って来る。ヨーアヒムの病状は悪化し、ハンスは看病をする。 ある日、ヨーアヒムは息を引き取る。
  • ヨーアヒムは髭を剃れなくなって、髭ぼうぼうになる。それは軍人精神の象徴と考えられる。
  • ハンスは「忘却、死への共感」を象徴し、ヨーアヒムは「想起、生への奉仕」を象徴する。 ヨーアヒムは下の世界のことを忘れず、軍人として生に奉仕するが、残念ながら死んでしまった。

第4回 生への奉仕へ

物語の進行と解説

物語の進行解説
  • 療養所にショーシャ夫人が戻って来た。年配のオランダ人ペーペルコルンと一緒だった。 ペーペルコルンは、風格があって魅力的な人物だったた。
  • ペーペルコルンはマラリアで、病状が悪化して、やがて自殺する。
  • ペーペルコルンは、圧倒的な生を体現する。ハンスもその影響を受けて生への関心を持ち始める。
  • ペーペルコルンは、力強さと老化の矛盾に苦しんで自殺する。
  • ショーシャ夫人は、あっさり去ってしまう。
  • 療養所に霊媒体質の少女がやって来る。ハンスは、交霊会に参加して、ヨーアヒムの霊を呼び出してもらう。 ヨーアヒムの眼差しはハンスに注がれていた。ハンスはヨーアヒムに謝罪し、涙を流した。
  • ヨーアヒムは鉄兜をかぶっていた。この小説は、戦前の物語であるにもかかわらず、戦中のものが入って来ている。 トーマス・マンがオカルト体験をしたのは戦後のこと。
  • ハンスは「すまない」とつぶやいた。これは、直接的にはハンスからヨーアヒムへの謝罪である。 自分こそが生への奉仕をしなければならなかったのに、ヨーアヒムが生への奉仕をするために死んだ。 この謝罪には、トーマス・マンからドイツの青年たちへの謝罪という意味もあるだろう。 トーマス・マンは、はじめ第一次世界大戦を擁護していたが、多くの若者たちが死んでしまった。
  • ハンスは、それでも再びベルクホーフのデカダンスの時空に戻る。
  • 療養所に「いらつき」が蔓延する。
  • ナフタとセテムブリーニは決闘をする。セテムブリーニは銃を空に向けて撃ち、ナフタは自分の頭を撃つ。
  • 戦争の影が迫ってきている。
  • セテムブリーニは自分の信条に従って命を懸けて銃を空に向けた。ナフタは自らのプライドを保つために自決した。 トーマス・マンは、ナフタ的思想の危険性に気付いて、それをここで葬ったのだろう。
  • ハンスが山に来て7年が経った。戦争が始まった。
  • ハンスは、下界に戻って志願兵となる。
  • ハンスは、戦場で戦う。二人の兵士が爆撃で吹き飛ぶ。
  • 「このように世界を覆う死の祝祭からも、雨模様の夜空をいたるところで焦がす 熱病のようなひどい劫火からも、いつか愛が立ち現れるのであろうか。」
  • 第一次世界大戦が始まった。
  • 『魔の山』はレクイエム小説でもある。死んだ二人の兵士は、ハンスとヨーアヒムとも重なる。
  • 愛は立ち現れるのだろうか。世界ではその後もいまだに戦乱が続いている。