「100分でde名著」春休み特集で、10代の少年少女のために本を紹介するという趣向。3度目である。
1回ずつ別々の講師がそれぞれ1冊ずつ名著を紹介する。私が読んだことのあるものはなかった。
これまでの「for ティーンズ」と少し趣が違って、現代の問題を意識した本が多く選ばれている。
第1回は、齋藤孝によるシュリーマン『古代への情熱』の解説。若者の夢を鼓舞するという意味で
選書も適切だと思えるし、解説も手馴れたもので安定感があった。
第2回は、松下幸之助『道はひらく』。こうした処世訓の常として、書かれていることは、
松下幸之助でなくてもそのようなことを書いているのではないか、という醒めた見方もできる。
さらに、松下には
今で言えばパワハラまがいの言動があったという話を聞くにつけ、素直に受け取れなくなる。
といっても、松下は人格が優れていたので、叱責されても感謝する人が多かったとのことである。
このように、処世訓は、著者の人格や人生と密接にかかわっているので、受け取り方が難しい。
第3回は、ロビンソン『思い出のマーニー』。河合俊雄が、現代的なバーチャルコミュニケーションや
今の心を開かない若者たちと通じるところがあるということで選書した。実際、解説を聞いてみると、
心の傷の救済の物語として優れた作品だということが分かった。
第4回は、『石垣りん詩集』。これも現代の課題を反映する作品である。家族を支えるために働いた
経験に基づいた詩は、ヤングケアラー問題に通じる。戦争を描いた詩は、今もガザやらウクライナやら
で続く悲惨を思い起こさせる。最後に、私という個人を強く意識した詩「表札」と「島」が紹介され、
力強く生きる希望で締めくくられた。
今回の司会は加藤シゲアキ(作家・タレント)と安部みちこアナウンサー。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 シュリーマン『古代への情熱』
講師:齋藤 孝(教育学者)
講師は、高校生の頃に出会い、衝撃を受けた。夢やロマンを追う勇気をもらった。
内容は、シュリーマン自伝
基本情報
- 著者は、ハインリヒ・シュリーマン (1822-1890) で、商人でもあり考古学者でもあった。
- 2部構成で、1章は自伝。2章は、シュリーマンの死後、発掘の業績を友人たちがまとめた。
- 内容は、トロイアを発掘すると決心したシュリーマンの少年時代とその後の人生。
- 本には事実と異なることもいくつかあるが、今回は成長物語と読む。
自伝の進行と解説
自伝の進行 | 解説 |
- 1822 年、牧師の家に生まれる。
- 父親からホメロスの叙事詩を聞かされて育った。
- シュリーマンは、『子供のための世界史』を読んで、トロイアの存在を信じた。
- 幼馴染のミンナだけが、シュリーマンの遺跡発掘の夢を応援してくれた。
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- ミンナとの愛情が印象的。
- ホメロスの情熱にシュリーマンは憧れた。憧れに憧れることが教育の基本。
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- 9 歳のとき、一家は村八分となり、シュリーマンは村を離れざるを得なくなった。
- 5年後、ミンナと再会して、ミンナの愛情を確信する。それで頑張ろうと思った。
- 14 歳から小さな雑貨店で働く。ある日、店にやって来た酔っ払いがホメロスの詩を暗唱した。シュリーマンはそれに感動した。
- その後、船のボーイになるが、最初の航海で船が難破。オランダに流れ着いて、懸命に働いた。
- 仕事が軌道に乗って、ミンナに求婚しようとするが、彼女はすでに結婚していた。
- シュリーマンは、商人として成功した。
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- シュリーマンは、失恋のショックを勉強の力に変えていく。
- シュリーマンは、40代で遺跡の発掘を始める。
- シュリーマンは、多くの言語を習得している。そのおかげで商人としても成功した。
音読、暗唱、作文とそのチェックを続けて、多言語を習得した。
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- 36 歳ごろには十分金持ちになって、44 歳になってトロイア発掘を決意する。
- 当時、古代都市トロイアはトルコのピナルバシの丘にあるとされていた。しかし、シュリーマンは、ここではないと感じた。
- シュリーマンは、2 年後、遺跡発掘に成功する。その後も、シュリーマンは、ギリシャで古代遺跡の発掘を続けた。
- シュリーマンの言葉「才能とは、エネルギーと粘り強さであり、それ以上のものではない」
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- シュリーマンは、トロイア戦争を事実だと信じた。ホメロスの詩が体に浸み込んでいた。
- シュリーマンの「没頭する力」が大切。
- 「ミッション、パッション、ハイテンション」が本書から受け取るメッセージ。
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第2回 松下 幸之助『道をひらく』
講師:土井 英司(えいじ、ビジネス書評家)
基本情報
- 著者は、松下幸之助 (1894-1989) で、「経営の神様」と呼ばれている。
- PHP 研究所の機関誌に掲載された短文をまとめた随想集。
- 1968 年に書籍化され、ベストセラーになった。
松下幸之助の人生と文章
- 1894 年、和歌山県の裕福な農家に生まれる。
- 父が破産したので、9 歳のとき、大阪に丁稚奉公に出る。
- これからは電気の時代になると思って、大阪電灯の見習工になる。
- 23 歳のとき、松下電気器具製作所を創業。会社を世界的企業に成長させた。
- 100 パーセント正しい判断などできない。あとは勇気と実行力。
- 素直な心とは、とらわれない心。
- 素直とは、ものごとをありのままに見る心。私利私欲を捨てる。
- 分からなければ、人に聞く。人の話に耳を傾ける。
- 人が偉く見えるようでなければならない。
- 衆知を集めることが大切。松下は、人の意見をよく聞いた。
- 真剣ならば、失敗してもただでは起きない。
- 松下が奉公していた自転車店では、よく客から煙草を買ってくるように頼まれた。
そこで松下は買い置きをすることにした。まとめ買いをすると割安だし、時間も節約になる。
ところが、他の丁稚からあいつだけ儲けていると妬まれた。
幸之助は、自分のことばかり考えていると失敗すると反省した。
- 真剣であれば、失敗から学べる。
- 道は自在に変える。
- プランBを考える。
- 志を立てよう。
- ビジネスは、志を立てることから始まる。夢は大きいほうが良い。
- 力強い生きがいは、困難に直面し、切り抜けていくことから生まれる。
- 時期というものがある。時期が来なければ、事は成就しない。時期はいずれ必ず来る。
- 大阪電灯時代、電球ソケットの試作品を作ったが、上司からは一蹴される。
その後、自分の会社を設立して、ソケットを作った。
- 松下は、「困っても困らない」ということを言っている。自在な考え方をすることで、道が開ける。
第3回 ロビンソン『思い出のマーニー』
講師:河合 俊雄(臨床心理学者)
『思い出のマーニー』は、「生きづらさ」を乗り越えるヒントになる。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 主人公のアンナは、幼い時に父と別れ、母を自動車事故で亡くす。祖母も死に、ロンドンのブレストン夫妻に引き取られる。
- アンナは、喘息の転地療養のためノーフォーク州リトル・オーバートンのペグ夫妻に預けられる。
- アンナは、「しめっ地屋敷」で金髪の少女マーニーと出会う。
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- アンナは誰にも心を開いていない。他者が自分の中に入り込まないようにしている。
- アンナとマーニーの間にはチャムシップ(双子的関係)が生まれる。
- 自分自身とつながることと他者とつながっていることは関係している。
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- マーニーは外出がままならないようで、村の人は誰もマーニーを知らない。
- アンナは、マーニーには心を開くことができた。母と祖母に置いて行かれたという気持ちを話す。
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- アンナはマーニーを最初羨望の目で見ていたが、やがて事情が分かるにつれ、同情に変わる。
自分の不幸が相対化されていく。アンナは、みんながそれぞれ悩みを抱えていることに気付く。
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- ある日、アンナが風車小屋に行くと、マーニーがいた。
アンナはここを出ようと促すが、マーニーは恐怖で体が動かない。二人はその場で眠ってしまう。
- アンナが目を覚ますと、マーニーは従兄弟のエドワードとともにアンナを置いて出て行った。
- アンナは怒って「しめっ地屋敷」に行く。マーニーは閉じ込められていた。マーニーは明日どこかにやられるのだと言う。
マーニーは、アンナに赦しを請う。アンナの恨みは溶け去った。
- この後、アンナはマーニーに会うことはなかった。
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- アンナにとって、置いて行かれたことは二度目の裏切りだった。一度目は、母と祖母に置いて行かれたこと。
- 二度目の裏切りを乗り越えることで、アンナは辛い思い出を乗り越えることができた。
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- マーニーが去った後、「しめっ地屋敷」の新たな一家が引っ越してくる。
アンナは、そこの次女プリシラと親しくなる。
- プリシラが、屋敷で少女時代のマーニーの日記を見つける。
- マーニーはアンナの祖母であったことが分かる。
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- マーニーは、アンナのイマジナリーコンパニオン(想像上の友達)。しかし、アンナの成長に伴って忘れられていく。
- チャムに出会えることは、心の傷を乗り越える上で重要。
- この物語を再読したとき、複式夢幻能を連想した。
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第4回 『石垣りん詩集』
講師:文月 悠光(ふづき ゆみ、詩人)
石垣りんの人生
- 大正 9 (1920) 年、東京赤坂に生まれる。実家は、燃料を扱う商家。母親は、りんが 4 歳の時に亡くなる。
- 幼い頃から文学少女だった。
- 14 歳のとき、丸の内の日本興業銀行で見習い事務員となる。
- 21 歳のとき、太平洋戦争開戦。
- 昭和 21 年、東京大空襲で生家が全焼、父親が半身不随となる。りんが 6 人の家族を養わないといけなくなった。
- 昭和 32 年、父親が死去。
- 昭和 33 年、ヘルニアで手術、入院。
- 39 歳のとき、第1詩集刊行。
- 50 歳のとき、一人暮らしを始める。
- 55 歳のとき、定年退職。
- 84 歳で死去。
生活の詩
- シジミ
- 口を開けて呼吸するシジミと「うっすら口をあけて」寝ている私が重ね合わされている。
- くらし
- 「食わずには生きてゆけない。(中略)四十の日暮れ/私の目にはじめてあふれる獣の涙。」
- 月給袋
- 商品が「透明な金庫」に守られている。紙幣はそれを開ける鍵。でも、家族を支えなければならない。
- 屋根
- 家族の生活を支える私が詠まれている。ヤングケアラーに通じる。
- その夜
- 入院を詠んだ詩。
詩作について
石垣りんのエッセイでの言葉「自分の内面にありながらはっきりした形をとらないでいたものが
徐々に明確に出てくる、あらためて自分で知るといった逆の効果が、詩を書くことにはあるようです。」
石垣りんのインタビューでの言葉「ふだん何も言わないけれども、詩を書く時だけは何物も恐れないと言っては大げさだけど、
書いちゃったんだと思います。」
戦争の詩
テキストでは、「挨拶―原爆の写真によせて」と「崖」の2作品が紹介されているが、
放送では省略されていた。
個であること
- 表札
- 「自分の住むところには/自分で表札を出すにかぎる。(中略)石垣りん/それでよい。」
- 島
- 「姿見の中に私が立っている。(中略)姿見の中でじっと見つめる/私―はるかな島。」