熱力学

著者岸根 順一郎
シリーズ物理学レクチャーコース
発行所裳華房
刊行2023/11/25(第1版第1刷)
入手九大生協で購入
読了2025/04/14
参考 web pages本のサポートページ

秋学期に熱力学の授業を担当することになったので、そのテキスト候補として読んでみた。 その結果、最も望んでいたタイプの教科書だということが分かり、テキストに採用することにした。 温度をエントロピーから定義するのが、熱力学の内的な論理からは自然なのだが、 かといって天下り方式でエントロピーを設定するのは、あまり初学者向きではない。 そこで、エントロピーを丁寧な論理で導入する教科書が必要なのだが、いよいよそれが出てきたという感じだ。

この教科書では、エントロピーを断熱遷移可能性の指標として定義するということで 論理が一貫しており、すがすがしい。熱力学の論理の一貫性が明確で、気持ちの良い教科書である。

勉強になったことの一つに pp.255-257 におけるクラペイロン方程式の導出方法がある。 私が知っていた導出方法は (P,T) 面で議論が行われるのに対して、ここのやりかただと (V,T) 面で 議論が行われているので、最初読んだときは面食らった。しかし、よく考えると、(V, T) 面では 二相共存領域において、(1) T 一定とすると、U や S が V の1次関数になること (2) V 一定で T を動かすと、P が相境界に沿って動くこと、の二つのことを利用した巧妙な議論だとわかった。

本書は、上記のような意味で、非常に良い教科書なのだが、補足が必須だと感じた場所もある。 もちろん完璧すぎると授業で補足するところが無くなって、教員としてそれはそれで困るのだが。

一番補足が必要だと思ったところは、エントロピーの定量的な決め方が本文ではなく、Practice 5.2 として 章末問題に入っているところだ。本文だけ読んでいると、エントロピーの相対的な大小は分かるが、 そこにどうすると物差しが入るのかが分からない。それなのにいつの間にか微分できる量ということに なっているので困惑する。で、よく見ると、章末問題に記述があることが分かる。しかし、そういう 基本に関わる大事なことは、本文に書いておくべきではないだろうか。

それと、エントロピーが受け渡しできる量だと解釈できるということがなし崩し的に出ている点も 補足が必要そうである。この教科書の論理展開は断熱遷移を基軸としているため、第2法則が、等温遷移の時に ΔS >= Q/T となることが基本事項として明示的には出て来ない。そのため、熱 Q のやり取りに伴って、エントロピー Q/T が やり取りされるという解釈が明示的に出て来ない(ただし、なし崩し的には p.173 や p.182 などで 出て来る)。この解釈は、非平衡系に熱力学を拡張するときにも重要である。

私が誤りだと思う記述も5か所あった(本筋に影響はない)。

  1. p.28 で、粘性抵抗による散逸をいくらでも小さくできるとしているのは誤りだと思う。 F ≠ γ x のもとで τ を無限大にするには、準静的過程なら γ を無限大にせざるを得ず、 γ/τ は有限になると思う。
  2. p.121 と Practice 8.5 で、熱平衡が成り立っていないのに、 力学的平衡だけ成り立つということはあり得ないとしているのは誤りだと思う。Problem 8.5 の状況で 2つの部屋の少なくとも一方に図 4.11 のようなブラシを付けておけば、やがて2つの部屋の圧力が等しいが 温度は等しくないという平衡状態に達するはずである。それは、力学的平衡は成り立っているが、 熱平衡が成り立っていないという状態である。
  3. p.205 の黒体を実現する空洞の議論で、「電磁波を完全に反射する鏡を内壁とする容器」 としてあるのは誤りで、「電磁波を吸収・放出する板を内壁とする容器」が正しい。 そもそも空洞を設定するのは、理想的な黒体が存在しないので、光を閉じ込めておけば何度も反射しているうちに いずれ吸収・放出が起こり、壁と空洞内部の光子が平衡になることを期待するためである。 だから、電磁波を完全に吸収する板を内壁とすれば最も速く平衡になるはずだが、 そうでなくても光を閉じ込めておけばいずれ平衡になるだろうというのが、空洞の議論である。 電磁波を完全に反射してしまっては平衡にならない。 なお、電磁波を吸収する板は、必ず電磁波を放出もする。
  4. p.206 のシュテファン-ボルツマン定数の単位が W m2 K4 となっているが、 正しくは W m-2 K-4
  5. p.225 の (11.41) の式変形が、固定する変数が途中から T から S にすり替わっているため、 間違えている。正しく計算し直すと、

    2F/∂V2 = ∂2U/∂V2 - ( ∂2U/∂S∂V )2 / (∂2U/∂S2) > 0

    となる。