C線上のアリア

著者湊 かなえ
連載朝日新聞朝刊 2024/04/01--2024/10/31
読了2025/03/13
参考 web pages

認知症の親族の介護とか、嫁と姑の確執だとか、女性が直面しがちの問題を描きつつ、その裏にミステリ仕立てで 過去に起こった悲劇の謎を書くという小説。ミステリ仕立てといっても、探偵が謎解きをするわけではなく、 認知症になった主役の過去の日記を読んで謎が解けるという仕組みなので、その意味ではそれほどミステリぽくはない。 しかし、伏線を張っておいて後で回収するという仕掛けが随所にみられるところがミステリ仕立てで、 ミステリ風に楽しめる。

最初のうち主人公は語り手の浜辺(旧姓)美佐であるかのように見えるが、美佐は語り手役で、 実は本当の主人公はその叔母の森野弥生さんである。美佐が、認知症になった弥生さんの介護に行く というところから話が始まる。それは、姑にいびられて息苦しい家からの逃避でもあった。 しかし、美佐の夫や姑のことは断片的にしか書かれていない。そして、弥生さんの日記帳から 弥生さんの過去のことが分かっていき、ある大事件の真相が分かったところで物語が終わる。 最後は、確執を克服した明るい未来が暗示されて終わる。

本小説の主題は、嫁と姑、夫と妻の間の日常的なちょっとした行き違いが、二人の死を招いてしまう というドラマチックな展開で、それがミステリ仕立てで展開するところがエンタテインメントである。 美佐はその真相を知って一回り成長する。美佐は、介護施設に出入りするようになって、自分も介護の仕事を したいと思うようになる。私も両親を介護施設に入れて、介護施設の有難みを実感している。

以下のようにあらすじのメモを取りながら読んだのだが、メモを取っていなかったらおそらく途中で 伏線を忘れていただろう。ミステリは新聞連載には向いていないかもしれない。前にでてきた伏線を 読み直さないといけないからである。

メモを取っていなかったらおそらく人間関係も分からなくなっていただろう。その理由の一つは、 美佐と弥生さんがダブル主人公のような感じもあって、途中で印象が重なってきてしまうことである。 美佐には菜穂さん、弥生さんには菊枝さんという友達がいて、それも二人の印象が混ざってしまう原因である。 メモを取ってみると、それぞれの人間模様(姑や夫などとの関係)が、姑の嫁いびりという枠組みは共通でも それぞれ少しずつ書き分けられていることが分かる。 理由のもう一つは、ミステリ仕立てというだけあって人間関係を複雑にしてある点である。弥生さんと菊枝さんが 友達で、弥生さんの姪の美佐と菊枝さんの息子の邦彦が元恋人で、邦彦は弥生さんに思いを寄せていた という構図は、メモを取っていないと途中でわからなくなってしまいそうである。

著者は、月毎にきっちり章分けをするという技巧を見せている。新聞には休刊日があったりして、月ごとの回数が 一定しないにもかかわらず、だいたい一月で一つずつ小ストーリーが完結するように仕立ててある。それもまた ミステリ的仕掛けと言えようか。

あらすじ

第1章 カントリー (2024/04/01--30; 1--29 話)
私(美佐)は、中学三年生の時に交通事故で両親を亡くし、高校の三年間を田舎にいた叔母(母の妹)の弥生さんのもとで暮らした。
今、私は結婚して 20 年。役場から弥生さんの様子を見に来てほしいという連絡があった。どうやら弥生さんが認知症になっているらしい。
行ってみると、弥生さんは確かに認知症になっていた。英国風の庭があることからみどり屋敷と呼ばれていた弥生さんの家は、ゴミ屋敷になっていた。 弥生さんは、もともとできるだけゴミを出さないようにといろいろなものを再利用する人だった。それが認知症になって再利用などできなくなり、 ゴミだらけになってしまっていたのだった。
役場の介護保険課の相談窓口に行ってみると、思っていたより親切に対応してもらえた。
翌日、弥生さんは、通帳、年金手帳、札束などをポシェットにまとめて持っていることがわかった。 それで、費用の心配をすることなく介護施設探しができた。
ひと月後、弥生さんを介護施設に入居させることができた。隣町のすすきケ原高原の麓にある介護付き老人ホーム「やすらぎの森」というところで、個室だ。
次は、ゴミ屋敷の片付けだ。業者に頼むことも考えたが、結局自分でやることにした。やり始めてみると、いろいろなところから現金が 見つかった。
数日かけてようやく二階に上がれるようになった。一番手前が私の部屋だ。埃をかぶっている以外は昔のままだった。 隣は弥生さんの部屋だ。入ってみると、そこに金庫があることに私は初めて気付いた。
第2章 コード (2024/05/01--31; 30--59 話)
金庫の中身を確かめなければと思い、弥生さんの許可を取ろうと老人ホームを訪れた。
弥生さんに会ってみると、ぼうっとしていて元気が無い。どうやら介護職員の人たちが名字で森野さんと呼びかけるのがいけないようだと気付いた。 弥生さんと呼びかけてもらうと、弥生さんはしっかり返事をするようになった。
持ってきた弥生さん手作りの刺繍入りクッションを見せると、弥生さんは刺繍を間違えてやり直したことを思い出し、私もその時のことを思い出した。 私はその時『ノルウェイの森』の下巻を読んでいた。
弥生さんの返事がしっかりしてきて、私のことを頑張り屋さんとまで言ってくれるようになった。 そこで、私は金庫のことを訊ねてみると、弥生さんの表情が険しくなり、過呼吸になってしまった。大切なものが入っているらしい。
私は「なんでもザウルス」という業者に金庫の開錠を依頼した。三日後、業者から松田というプードルパーマの若い男がやってきた。
松田によると、この金庫は 1960 年代後半に作られた『ダブルヒャクマン』という愛称の金庫だとのこと。100×100×100 の数字の組み合わせがあるダイヤルが 2つ付いている金庫だという意味だ。松田は、ダイヤルを回したときの音に違和感があるので、ひょっとすると開けられないかもしれないと言う。
私が庭の雑草取りをしていると、松田から一つ目のダイヤルが開いたという声がかかった。松田に番号の調べ方を聞いてみると、 指先を耳にして耳を受信機にするというイメージなのだと言う。それで、分かった番号は、44-11-22 だった。その番号には何の心当たりもない。
翌日、松田は二つ目のダイヤルに取り掛かった。私は一階の奥の客間(和室)の片付けを始めた。大きな段ボールがあった。 それは、私が大学時代にアパートから自分宛てに送ったもので、その後忘れていたものだった。それを開けようとしたところ、松田から ダイヤルが開いたという声がかかった。
金庫を開けてみると延長コードが一つ入っていただけだった。二つ目のダイヤルの番号は、55-11-77 だった。
第3章 カバー (2024/06/01--30; 60--88 話)
私は、一階にあった『ノルウェイの森』の下巻を自分の部屋で開いてみた。カバーは緑地に赤の文字だ。 ちなみに上巻のカバーは赤字に緑の文字であった。『ノルウェイの森』は、私が高校の頃ベストセラーだった。
高校の頃、父や弥生さんのコレクションがあったせいもあって、私は洋楽をよく聞いていた。
高校1年の秋、同学年の山本邦彦が The Beatles の Norwegian Wood のレコードを貸してくれと言ってきた。 『ノルウェイの森』を読んで聞きたくなったのだという。そこで、私はレコードを貸すことにして、 代わりに邦彦から『ノルウェイの森』の本を借りることにした。
次の日曜日、私と邦彦は音楽ホールで待ち合わせて、本とレコードを交換した。ところが、邦彦が持ってきた本は、 二巻本の下巻のみだった。上巻は買っていないという。下巻だけでもすばらしくて、それで満足しているのだと邦彦は言った。 私は上巻を買うことにした。
現在に戻って、今ここにある下巻は邦彦に返したはずのものだ。なぜみどり屋敷にあるのかよくわからない。邦彦に返しに行こうと思った。
私は邦彦の家に行ったことはなかったが、卒業アルバムに実家の住所が書かれていた。
地図を頼りに邦彦の実家に行ってみると、大きな日本家屋だった。縁側に邦彦の妻と母親と思しき人がいる。 見ていると、姑の方がエルメスのスカーフを盗んだだろうと言って嫁に怒り出したので、嫁の方はスカーフの束を姑の口に押し込もうとした。
驚いた私は、家の中に入って二人を引きはがした。二人が落ち着いたところで、姑の方が私のことを「みどり屋敷の 弥生ちゃん」と言った。さらに、エルメスのスカーフは私が持っていると言った。ちょうどその時、デイサービスの迎えが来て、 姑の方が連れられて行った。
果たして女性二人は邦彦の妻の菜穂さんと母親の菊枝さんだった。私は菜穂さんとイタリアンレストランに行くことにした。 菜穂さんは、寝たきりで認知症の菊枝さんの介護で苦労しているらしい。ランチを食べながら、お互いに姑の愚痴をこぼし合った。
私は菜穂さんに一週間旅行に出ることを勧めた。その間、菊枝さんの送迎と掃除を行うことを申し出た。
第4章 キャビン (2024/07/01--7/31; 89--118 話)
その夜、菜穂さんは早速北海道行きの航空券を購入し、翌日、私は駅まで菜穂さんを送って行った。
朝、菊枝さんを送るときにスカーフを巻いてあげたら、気に入ってもらえた。私はかつて航空会社の グラウンドスタッフをしていたから、スカーフを巻くのは得意だ。
車で送っている道すがら、菜穂さんと雑談をしていると、邦彦はよく森にあるログキャビンで一人で過ごしているということがわかった。
私は、山本家の玄関に『ノルウェイの森』の下巻を置きっぱなしにしてきたことを思い出した。
菜穂さんを駅まで送った後、私は「やすらぎの森」に弥生さんを訪ねた。弥生さんは、クリスマスリース作りの 教室が楽しみで、そわそわしていた。弥生さんは、身支度をしている時、今度はスカーフを持って来てほしいと私に言った。
その後、山本家で掃除をした。それが終わった頃、菊枝さんが帰ってきた。送ってきた介護施設の職員から スカーフの結び方教室をしてほしいと頼まれた。
みどり屋敷に帰って夕食を済ませると、二階の弥生さんの部屋でスカーフを探した。すると、見覚えのあるコスモスのスカーフがあった。
タンスの中に茶封筒を見つけたとき、固定電話に山本邦彦から電話がかかってきた。『ノルウェイの森』の下巻を 見つけて、私がみどり屋敷に来ていると気付いたらしい。
3日後の土曜日の夕方、私は邦彦とすすきケ原高原の森でたき火をしながら夕食を食べることになった。 高校の頃にもここで二人でたき火をしたことがあった。
邦彦が準備してくれた夕食はおいしかった。エビとキノコのアヒージョ、ジャークチキンと大学の時の二人の思い出の「オムちらし」だった。
食後、邦彦にキャビンでコーヒーを飲もうと誘われたが、私は自分の車の中で寝ることにした。
私が家事代行をしていることは、邦彦に気付かれていた。菊枝さんと弥生さんの関係は、邦彦も知らなかった。
第5章 チェンジ (2024/08/01--31; 119--148話)
その夜、私は一睡もできなかった。朝、みどり屋敷に戻ってから眠った。
昼に起きてテレビを点けてみると、弥生さんが定期購入していた「命の水」が水道水だと分かったという報道がされていた。 水道水に祈祷したものらしい。
午後、「やすらぎの森」に弥生さんを訪ねた。すると、山本菊枝さんのことを話してくれた。菊枝さんは「とても危険な人」だと言う。
弥生さんは菊枝さんとメアリー先生の英語教室で出会った。教室では、菊枝さんはデイジーさん、 弥生さんはローズさんと呼ばれていた。
教室でいろいろな活動に参加しているうちに、だんだん英語の勉強が楽しくなって、夫の公雄さんと一緒に英語の詩を訳すようになった。 ここまで話した後、弥生さんは涙ぐんだ。
弥生さんから、その訳した詩を書いた赤い革表紙の日記帳を探して持って来てもらうように頼まれた。それと、赤いセーターを持って帰るように頼まれた。
みどり屋敷に戻って探してみると、スピーカーの箱の中に赤い革表紙の日記帳があった。中を見ると、書いてあるのは 詩ではなく、本当に日記だった。5 月 17 日から始まっていた。
9 月 2 日の日記に、公雄さんからプレゼントとして赤いスカーフと赤い革表紙の日記帳を2冊もらったと書いてあった。 弥生さんはそれに訳詩を書くことにしたということだった。
10 月 6 日の日記にはデイジーさん(菊枝さん)と友達になったことが書かれていた。デイジーさんは教室の人に 向学心が足りないことが不満で、その中でははっきり進歩が見られる弥生さんに声を掛けたのだった。
10 月 13 日の日記:デイジーさんは、家でちょっと洒落たことをしようとすると、姑から戦時中を引き合いに出され、 嫌味を言われるのだと言う。私(弥生さん)も姑からいろいろ嫌味を言われる。
10 月 20 日の日記:キャサリンさんが妊娠して教室をやめる。デイジーさんも私(弥生さん)も子供がいないので、家では肩身が狭い。
10 月 27 日の日記:教室の後、デイジーさんとすすきケ原高原にドライブに行った。デイジーさんが教室に通っていることを お姑さんは良く思っていないらしい。デイジーさんは、週2回交換家事をすることを私に提案してきた。
第6章 クライム (2024/09/01--30; 149--177話)
11 月 1 日の日記:交換家事を始めるにあたって、デイジーさん(菊枝さん)が私(弥生さん)の家を訪問した。 姑は、私でも滅多に入れない応接室でデイジーさんを歓待した。私も山本家に挨拶に行ったら、 邦子さん(菊枝さんの姑)に歓待された。
11 月 8 日の日記:二回目の交換家事でじゃがいも掘りを手伝った。帰宅して、そのじゃがいもでポテトサラダを 作ったら珍しく姑に褒められた。
11 月 10 日の日記:デイジーさんから畑仕事を手伝わないでほしいと言われた。姑に嫌味を言われるそうだ。
11 月 12 日の日記:山本家にポテトサラダを持って行ったら邦子さんは涙を流した。戦争中に亡くなった姉を 思い出したのだそうだ。ついでに嫁に対する悪口まで聞かされてしまった。
詩が書かれた日記帳も見つかった。片付けをしていると、編み掛けのセーターが目に留まった。
その日記帳を弥生さんの所に持って行った。弥生さんに公雄さんとの出会いを聞いてみると、 公雄さんは幼馴染のお兄さんの大学時代の親友だったそうで、お互い一目惚れだったとのこと。
11 月 24 日の日記:デイジーさんから私の姑とうまくいっていることを誇らしげに話された。
11 月 29 日の日記:山本家に私の家にあった紅茶と砂糖があった。デイジーさんが盗んだのか?
12 月 1 日の日記:デイジーさんに紅茶と砂糖のことを訊いたら、姑にもらったのだという。 姑は一人では二階に上がれないはずなのにと思ったが、腹這いで二階に上がったのだとのこと。 姑が二階に上がれるのだとすると、日記帳などを隠すのに私には金庫が必要だ。
12 月 3 日の日記:6 日には公雄さんが帰ってくるので、交換家事は中止にすることにした。
12 月 6 日の日記:公雄さんが2か月ぶりにイギリスから帰ってきた。姑と私へのお土産は、シャネルの香水だった。 公雄さんに金庫をおねだりしたら、公雄さんはクリスマスプレゼントにすると言った。
12 月 12 日の日記:公雄さんと近所の電気屋に行った。公雄さんがカセットデッキを買った。 一緒にヘッドホンと延長コードも買った。
12 月 13 日の日記:姑が公雄さんに交換家事のことを話してしまった。ただし、姑は、デイジーさんから聞いていた通り、 それはメアリー先生が出した課題だと説明した。
12 月 15 日の日記:メアリー先生の教室の後、デイジーさんが皆で先生にクリスマスプレゼントを渡す提案をした。
12 月 17 日の日記:夜中、目が覚めたら、姑と公雄さんの会話を立ち聞きしてしまった。 姑は、菊枝さんは公雄さんが見合いをするはずの相手だったと言っている。公雄さんは、そんな話は不愉快だと怒った。
12 月 20 日の日記:年内最後の交換家事の日、邦子さんから手編みのマフラーをもらった。
12 月 22 日の日記:教室のクリスマスパーティーで、デイジーさんはエルメスのスカーフをしていた。
12 月 24 日の日記:クリスマスイブの日、公雄さんが会社のお下がりの金庫を設置してくれた。その後、 公雄さんが二階の物置からエルメスのスカーフがなくなっていると言う。柄は黒地に馬の模様で、まさにデイジーさんがしていたものと同じのようだった。 姑が菊枝さんを二階に上がらせて、物置から好きなものを持って帰って良いと言ったという。しかし、 そのスカーフは、公雄さんから姑へのクリスマスプレゼントだった。公雄さんから私へのクリスマスプレゼントは、 赤地に緑の植物のエルメスのスカーフで、金庫に入れてあった。
第7章 ケア (2024/10/01--31; 178--207話)
スカーフを物置から出したのは、姑なのか、菊枝さんなのか?どちらが嘘をついているのか?
12 月 26 日の日記:交換家事はデイジーさん(菊枝さん)の提案だと公雄さんに打ち明けた。 公雄さんは菊枝さんに不信感を抱いた。公雄さんは、母親(弥生さんから見ると姑)が自分で二階に上がったはずはない、 菊枝さんが嘘をついていると思うので、交換家事を止めるように私に言った。私がデイジーさんにどう言ったものか思案していたところ、 デイジーさんの方から交換家事を打ち切ろうという電話がかかってきた。1 月 10 日にお互いの家を訪問して 挨拶をすることにした。
1 月 20 日の日記(1 月 10 日の出来事):10 時、山本家に挨拶に行った。邦子さんにバラの編み方を教わっている時、 電話がかかってきた。菊枝さんからだった。何かが起きたらしく、私(弥生さん)にすぐに帰って来てほしいという。 帰ってみると、姑が階段の下でエルメスのスカーフを握ったまま仰向けに倒れていた。デイジーさんは放心状態で座り込んでいた。 デイジーさんは妊娠していて具合が悪いようだった。それが交換家事をやめることにした理由だった。邦子さんが来て、デイジーさんを 病院に連れて行った。姑は救急車で病院に連れて行かれたが、翌日亡くなった。
日記帳は姑の葬儀で終わっていた。
私(美佐)は、菊枝さんの介護施設で職員を相手にスカーフの結び方講習会をした。終わった後、 菊枝さんに会いに行った。すると、菊枝さんは私のことを弥生さんだと見間違えた。それで、私は 菊枝さんに「あの日 (1 月 10 日) 」のことを訊いてみた。あの日、菊枝さんはエルメスのスカーフを 弥生さんの姑に返しに行った。たいしたスカーフじゃないと言われてもらったのに、エルメスのだとわかったからだ。 姑は改めてそのスカーフを菊枝さんにプレゼントすると言った。昼食後に『風と共に去りぬ』が話題になって、 その英語版を探しに菊枝さんが姑の肩を担ぎながら二階に一緒に上がった。その時、菊枝さんは、紐のようなものが 横に張ってあることに気付いたが、姑はそれに引っかかって階段から落ちてしまった。その後、邦子さんが 菊枝さんを病院に連れて行ってくれたおかげで、1か月の入院の後、邦彦を無事出産できた。
菊枝さんは、話し終わると、私のことを弥生さんだと思ったまま、あの紐は私を引っ掛けるために張ったのか と訊いた。私は、慌てて自分は弥生さんではなく姪の美佐だと言った。
「なんでもザウルス」の松田くんからメールが届いていて、金庫の鍵の奥に詰まっていたものは、 手芸用のボンドだとわかったとのこと。それなら弥生さんがやったのだろう。
金庫の第二の番号 55-11-77 は、日記の開始日の 5 月 17 日のことだと思い当たった。
私(美佐)は、みどり屋敷で続きの日記帳を探したが無かった。私は、階段に張られた紐は延長コードで、 菊枝さんを疑っていた公雄さんが張ったのだろうと推測した。それを取り外したのは弥生さんだろう。 私は、日記帳の背表紙を邦彦の森のログキャビンの中で見た気がしてきたので、邦彦に会うことにした。
邦彦が応じてくれたので、森で会った。菜穂さんから離婚届が郵送されてきたという。
小屋に入って、私は邦彦に弥生さんのことが好きだったのだろうという意味のことを言ったら、邦彦はそれを否定しなかった。 邦彦は、大学卒業後、田舎に戻って役所に勤めるようになってから、みどり屋敷によく行くようになった。 でも、弥生さんに結婚を申し込もうと思った矢先、もう会えないと言われた。邦彦にはその理由がわからなかったが、 私の推測では、弥生さんは邦彦が菊枝さんの息子であることに気付いたのだと思う。
小屋の本棚に赤い革表紙の日記帳があった。自分が死んだら美佐に渡してくれと弥生さんに頼まれたものだという。 みどり屋敷に戻ってから読むことにした。
日記の日付は 4 月 12 日だった。金庫の第一の番号 44-11-22 だ。
4 月 12 日の日記:公雄さんの四十九日が終わった。あの日、菊枝さんを疑って階段に罠を仕掛けたのは公雄さんだった。 私(弥生さん)もそのことを知っていたから、私の罪でもある。しかし、姑が転落したのは、罠のせいではなくスカーフのせいだった かもしれない。姑はなぜかスカーフを握っていたのだから。そのことを公雄さんに話しておくべきだった。 公雄さんは自責の念に押しつぶされて自殺した。私も後を追おうと思ったが、妊娠していたさつき姉さんが、 しばらくみどり屋敷に住むことにしたので、その機会も無くなった。罪の証である延長コードは、 金庫に保管しておくことにした。
日記を読み終えた私(美佐)は、老人ホーム「やすらぎの森」に弥生さんに会いに行った。そして、菊枝さんが 語ってくれたあの日の真相を話した。弥生さんは私に、菊枝さんに黒いスカーフを返し、 自分に赤いスカーフを持って来てくれと頼んだ。弥生さんは明るい笑顔を見せた。
私は邦彦に会って、これから介護の仕事をしたいと思うと告げた。菜穂さんの連絡先も教えた。 菜穂さんと邦彦は話し合いが持てそうだ。夫から姑に新しい恋人ができたから食事会をするという連絡が来た。 私も帰ろう。