阪神・淡路大震災から 30 年ということで、心の傷の問題を考えるために取り上げられた本である。
私は安克昌のことを全く知らなかったが、被災者に寄り添い続けた精神科医だということだ。
安自身が在日コリアンだったということもあって、弱い立場の人の心の傷に敏感だったと解説されている。
阪神・淡路大震災の後数か月してから私は神戸に重力観測に行ったので感慨深い。
当時私は若かったので、被災者の心の傷にはあまり思いが至っていなかったなあと反省する。
地震後すぐに観測に行っていないのは、当時の上司の被災者への配慮もあったので、
もちろん一定の配慮はあったのだが、この番組の解説を聞きテキストを読むだけで、
被災者の心の傷の深さが分かり、当時なかなかそこまで分かっていなかったと思う。
もっとも、被災者のことを考えてばかりいると、なかなか地震の研究ができなくなってしまうという問題はあるのだが。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 そのとき何が起こったか
安 克昌(あん かつまさ、1960-2000)
- 精神科医で、日本におけるトラウマ研究の先駆者。震災後、被災者の心のケアに取り組んだ。
- 2000 年、病気のために他界。
記述と解説
| 記述の紹介 | 解説 |
発災 |
- 安自身も激しい揺れを経験する。朝、職場の神戸大学附属病院まで歩いて行った時、街の惨状を目にする。
- 病院は、怪我人でごった返していた。遺体の前で悲しむ遺族の姿も見た。
- 同僚の医師や看護師は、一見冷静に仕事に打ち込んでいるように見えたが、感情を抑えているようだった。
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- 安は、震災から2週間後に執筆開始。当事者の中から誰かが書く必要があると思って書いたらしい。
- 震災以降、心の傷は人によって千差万別なのだということがだんだん認識されるようになってきた。
- 衝撃的な体験をしたときに心を守る働きを「防衛機制」という。否認(傷ついたことを否定する)や
解離(実感が伴わない感じになる)がある。
- 平気そうに見えても無理していることがあることに周囲の人が気付いてあげることが大事。
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トラウマ |
- J さんは、命を奪われるかもしれないと感じた。彼女は火の中を逃げ惑った。
路上には「助けて!」という人がいた。でも助けてあげられなかった。今でも耳元で「助けて!」という声がする。
- ある消防士は、無力感に苛まれた。
- ある人は、倒壊した建物は、家の「死体」だと感じた。「内臓」が出ているようだった。
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- トラウマは、破局的な体験によって引き起こされる心の傷。
- トラウマになる出来事 (1) 凄まじい恐怖。J さんは、恐怖を感じると同時にサバイバーズ・ギルト
(生き残ってしまったという罪悪感)まで引き受けた。
- トラウマになる出来事 (2) 無力感に苛まれる体験。手が出せない辛さ。助けたいのに助けられない。
- トラウマになる出来事 (3) 戦慄するようなグロテスクな光景。無惨なものを見てしまう。
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人と人とのつながり |
- 地震の前、私(安)は、コミュニティに属しているという実感はなかった。
- 災害の後、皆が声を掛け合うようになった。災害心理学では「ハネムーン現象」「ハネムーン期」という。
- 「人間とはすばらしい存在であると私は思った。」
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- 人間はピンチの時に社会的に生き残ろうとする。自然に互いに助け合う。社会のつながりを実感する。
- ハネムーン現象が思いやりのあるコミュニティを育む土壌になると安は言っている。
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第2回 さまざまな「心の傷」を見つめる
PTSD (PostTraumatic Stress Disorder)
今日は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)について説明する。PTSD とは、トラウマ体験から約1ヵ月経ても
社会生活に支障来たすほどの苦痛が残る症状である。
PTSD の症状は主に4つに分類できる:
- 過覚醒:ある種の感覚が鋭敏になり、緊張した状態になること。安心できない状態が続く。
- 再体験:排除していた記憶が何かのきっかけで蘇る症状。フラッシュバック。
- 回避:思い出さないようにすること。そのように努力することで情報を遮断するので、抑鬱状態に陥ることもある。
- 否定的認知・気分:自分自身の否定や、他者・社会に対する怒り。
記述と解説
| 記述の紹介 | 解説 |
死別の傷 |
- 娘を亡くした人が、何度か自殺を試み、酒浸りになった。自分が元気になったら、娘が遠ざかってしまう気がすると言う。
- 大震災では、多くの親が子供をかばって命を落とした。生き残った子供たちは、自分が死ねば親が助かったかもしれないと感じている。
- 親を失った子供たちは、悪夢、わがまま、アトピー性皮膚炎などのさまざまな症状によって心の傷を訴えている。
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- トラウマは恐怖であるのに対して、喪失体験はなくなったものにどんどん引き込まれていく。
- 長い間、悲嘆や喪失感を感じ続けている人々がいる。
- 泣き叫んだり取り乱したりすることがもっと許容されて良い。個々人のタイミングを尊重するのが良い。
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リアル病 |
- 安さん自身も、ものの感じ方が変わっていた。災害に遭っていない普通のきれいな街が空虚に見えた。
- 理屈っぽいことに対して拒否反応が起きる。口先のことは、ひとたび地震が来ると崩れ去ってしまうと感じた。
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- 「リアル病」は安さんの造語。あらゆることは崩れてしまうと感じられる。言葉が空々しく思える。虚無感や無常観につながる捉え方。
- 支えになるような価値観や世界観がないと、何で生きないといけないのかといった問いに戻ってしまう。
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耳を傾ける |
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- 苦しみに耳を傾けること、アドバイスを与えないこと、一緒に何かをすること。
- 安さんは、精神医学的なテクニックでできることはほんのわずかしかないと書いている。
心のケアは社会全体で担わなければならない。
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第3回 心のケアが目指すもの
今日は、安さんの心のケアの活動を見ていく。
記述と解説
| 記述の紹介 | 解説 |
避難所でのケア活動 |
- 震災後すぐ被災地の保健所に無料相談所が設置された。安は、それだけでは駄目だと気付き、避難所を訪ねた。
- 安は、避難所で人々に話しかけた。安は、ボランティア医師の調整役も務めた。看護師が医師と被災者を繋いだ。
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- 当時は、精神科にかかることへの敷居は高かった。
- 安は、手探りで心のケア活動の調整役をやった。先駆的な活動だった。
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悩みの共有 |
- 救援者に対するケアも重要である。
- 感情を共有することも看護スタッフへの重要な心のケア。
- 安は、「兵庫・生と死を考える会」(子供を失った親たちの自助グループ)に出会って、共有することの重要性を強く感じた。
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- 安は、被災者の心の叫びを静かに聞いていた。安は、良い聞き手だった。何を話しても良いという安心感を与えることが重要。
- 経験や感情を共有することが重要。
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心の恢復 |
- 本人の自発性を損なわないようにすることが大事。被災は受身的な体験で無力感に苛まれる。
これに対して、自分にできることがまだたくさんあると気付いてもらうことが重要。
- 心的外傷体験を抱える強さを持ってもらう。本人に前向きの意志を持ってもらうことが大切。
- 心的外傷体験で失ったものを取り戻すことはできない。それを乗り越える姿は崇高である。
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- 医師が患者を治せるわけではない。本人の恢復のタイミングを待つこと。
- post-traumatic groth(心的外傷後成長):苦しんだ結果の心の成長。
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第4回 心の傷を耕す
心のケア活動の普及
- 震災復興事業として、兵庫県では「こころのケアセンター」が設立された。全国初の取り組みだった。
- その後、2004 年には「兵庫県こころのケアセンター」が設立される。全国初の施設だった。
現在では、日本各地にこころのケアセンターが作られている。
- 日本トラウマティック・ストレス学会が作られて、心のケアの専門家の養成が進んでいる。
- ボランティアの経験と知識が蓄積されてきた。1995 年は「ボランティア元年」。
心理的な居場所
- 心理的な居場所とは、そこにいることが安全に感じられるような環境である。
- 家を失ってコミュニティを離れると、心理的な居場所が無くなる。
- 人とのつながりが大事。仮設住宅や復興住宅では孤立しやすい。
- 自分の役割を見つけられると良い。
- 社会の「品格」が重要。「品格」は、英語で言えば decent。弱い人を守る謙虚さ・優しさ・敬意のこと。
マイノリティ性
- 安は在日コリアンの家に生まれた。だから、安は居場所探しをしている人に敏感だった。だから誰も見放さない。
- 社会が弱い立場の人を助けてあげることができるかどうかが社会の課題だと安は考えていた。
心の傷を耕す
- 安は、亡くなる前、宮地に『多重人格者の心の内側の世界』の翻訳作業の取りまとめを託した。
- 喪失の悲しみを乗り越えて、生き残った人々が死者から託されたことを引き継いでいくことを宮地は「心の傷を耕す」と言っている。