しばしばノーベル賞候補と噂される坂口氏が自ら業績の紹介をしている本。
NHK BS の「ヒューマニエンス」の 2023/08 の「免疫」の回は、制御性T細胞のはたらきの紹介がメインに
なっていたこともあって読んでみた。
内容は坂口氏の研究を振り返りながら、制御性 T 細胞(T reg)発見の経緯から、
研究の最前線までを紹介するもの。T reg は、必要に応じて免疫の働きにブレーキをかける
細胞である。若干論理が粗いのと、とくに後半の内容がてんこ盛りのために、記述にわかりにくいところが
散見されるものの、ノーベル賞候補と言われるだけあって迫力がある研究紹介になっている。
サマリー
まえがき
免疫における「自己」と「非自己」の境界は曖昧なものである。著者は、免疫が自己を攻撃しないように
制御している「制御性T細胞」の研究をしてきた。
第1章 ヒトはなぜ病気になるのか
免疫は微妙なバランスの上に成り立っており、反応が過剰になると、アレルギー反応や炎症性腸疾患(免疫系が腸内細菌に
過剰に反応することによって起こる病気)や自己免疫疾患などを起こす。
反応が過剰になるのを抑制するのが、制御性T細胞である。
制御性T細胞は、著者の坂口が 1980年代初頭に発見した。それをしっかり同定できるようになったのは、1995 年に
制御性T細胞の分子マーカー(表面にある目印の分子)を特定したときであった。2003 年に、制御性T細胞の発生、
機能発現、分化状態の維持を制御しているマスター遺伝子 Fox p3 (forkhead box P3) を発見した。それは
転写因子をコードしている。転写因子とは、DNA のどの部分を RNA にコピーするかを制御するタンパク質である。
このときから制御性T細胞の重要性が研究者の間で認められ、研究が著しく増えた。
制御性T細胞を病気の治療に使えるようになることが期待されている。自己免疫疾患が、制御性T細胞がうまく働いていない
ために起こるのだとすれば、何とか制御性T細胞を増やせばよい。がん細胞では制御性T細胞が過剰になっているので、それを
減らせばよい。
第2章 「胸腺」に潜む未知なるT細胞
著者は 1976 年に京都大学医学部の大学院に進学した。そこで自己免疫疾患の勉強をしているとき、
1969 年に西塚泰章(にしづか やすあき)と坂倉照妤(さかくら てるよ)が Science に発表した論文が目にとまった。
それは、雌マウスの赤ちゃん(生後2~4日)から胸腺を摘出すると、成長後に卵巣が萎縮するというものだった。西塚らは、胸腺からのホルモン分泌が
遮断されたためだと考えたが、それでは説明できない事象もあった。
マウスの胸腺を除去する実験を最初に行ったのは、Jacques Francis Albert Pierre Miller で、
1961 年のことだった。生後数時間以内に胸腺を摘出したマウスは、リンパ球が減っていて、免疫不全によって死んだ。
つまり、胸腺は免疫系に深く関係した臓器であることがわかった。西塚らに続いて、児島昭、田口修らも
マウスの赤ちゃん(生後3日前後)の胸腺摘出を行うと、自己免疫疾患が起こった。つまり、胸腺由来であるはずのT細胞が
無くなったはずであるにも関わらず、過剰な免疫反応が起こってしまった。これは不可思議なことだ。
当時、免疫の基本概念は、Frank Macfarlane Burnet による「クローン選択説」であった。
高等生物には、1種類ずつの抗体を産生するリンパ球が予め多数用意されており、抗原が侵入すると、
対応する抗体分子を受容体として持つB細胞が選択され、そのクローンが作られるというものだ。
著者は、西塚の弟子になるために、1977 年、愛知県がんセンター研究所実験病理部門の研究生になった。
リンパ球には、T(thymus-derived)細胞、B(bone marrow-derived)細胞、NK(natural killer)細胞などがあり、
さらにT細胞には機能の異なる多数の種類のものがある。これらは形は似ていて、見ただけでは区別が難しい。
1980 年代に入って、モノクローナル抗体を使って分類する方法が確立されたが、1970 年代にはその方法は無かった。
そこで、リンパ球表面に現れる Ly 抗原を使ってリンパ球集団を分類した。ただし、実験には非常に手間がかかった。
実験を積み重ねて、(1) 胸腺摘出マウスのある種のT細胞が卵巣に障害を起こすこと、
(2) 胸腺摘出マウスに正常マウスのある種のT細胞を注入すると病気が防げること、がわかった。
この結果、自己免疫疾患を抑制する働きがあるT細胞ががあることがわかった。
第3章 制御性T細胞の目印を追い求めて
著者は、1980 年に京都大学に戻った。そこでは、自己に対する免疫反応を抑制するT細胞の表面に特徴的に現れている
分子を特定しようとする研究を始めた。
当時、モノクローナル抗体の技術が普及し始めた。モノクローナル抗体とは、特定の抗原決定基(エピトープ)にだけ
反応する単一の抗体の集団のことである。これを使って、細胞表面に発現しているタンパク質が同定できるようになった。
細胞表面の分子は、1982 年から CD (cluster of differentiation) 分類がなされるようになった。代表的なのは、
ヘルパーT細胞に現れる CD4 とキラーT細胞に現れる CD8 である。
著者は、まず CD5 に注目し、免疫を抑制する能力があるT細胞は CD5 high 細胞の中に多く含まれていることを発見した。
しかし、CD5 を発現するT細胞は、ヘルパーT細胞(CD4+T細胞)の8割を占めており、制御性T細胞に特異的とは
言えなかった。
1982 年、著者は愛知県がんセンターでの研究を基に博士論文をまとめた。
著者は、1983 年からジョンズ・ホプキンス大学に留学した。
1985 年、CD5+T細胞の研究を論文にまとめた。
著者は、次に、スタンフォード大学に移り、さらに、スクリプス研究所に移った。
スクリプス研究所では、制御性T細胞に特異的なマーカーが CD25 らしいというところまで絞り込めた。
ライバル研究グループも現れ始めた。1990 年、英国の Don Mason と Fiona Powrie が CD45 RC low 群に
自己免疫疾患を抑制する作用があることを示した。1993 年、Fiona Powrie は CD45 RB low 群にも
自己免疫疾患を抑制する作用があることを示した。
1992 年、著者は「さきがけ21研究」に採用されて帰国し、理化学研究所で研究することになった。
研究の結果、著者らは CD25+CD4+T細胞こそが制御性T細胞(Regulatory T cells, Treg, Tレグ)であることを突き止めた。
さらに、マウスの実験から、Tレグは、新生児の胸腺のみならず、成熟した胸腺でも作られていることが分かった。
この研究結果は、1995 年に The Journal of Immunology に掲載された。
そのころ、「さきがけ21研究」は終わって、著者は、東京都の老人総合研究所に定職を得た。
CD25 分子の正体は、以下の通り。サイトカインの一種であるインターロイキン2 (IL-2) と結合する受容体は
α鎖、β鎖、γ鎖の3つの分子からなる。このうちのα鎖が CD25 である。
ここまでわかったところをまとめると以下のようになる。T 細胞のうち、CD4+ 細胞には自己免疫疾患を促進するものと
抑制するものがある。抑制するものは CD4+ 細胞全体のたかだか 10% 程度で、CD25+ という特徴がある。
これを T reg と呼ぶ。T reg は、CD5 high 分画、CD45 RC low 分画、CD45 RB low 分画に含まれる。
第4章 サプレッサーT細胞の呪縛
1971 年、米国のエール大学の Richard K. Gershon が免疫を抑制する機能を持つ「抑制性T細胞 (suppressor T cells)」
という仮説を提唱した。この仮説は、1970 年代から 80 年代半ばまで流行した。suppressor T cells は、外来抗原に
誘導されてできるものだとされていた。加えて、suppressor T cells は CD8+ だと信じられていた。
著者が追究していた T reg は、正常な個体の中にもともとあるものであり、CD4+ であるという点で
suppressor T cells とは異なる。1980 年代になってsuppressor T cells の存在が疑われるようになり、
80 年代後半には免疫学の世界からは姿を消した。そのあおりを受けて T reg の存在はなかなか認められなかった。
免疫研究の大御所の一人である米国国立アレルギー・感染症研究所の Ethan Shevach が、
著者の 1992 年と 1995 年の論文に目を留め、追試を行った。それが成功し、T reg の存在が本当らしいということになり、
2000 年以降、関連論文が世界中で出るようになってきた。
次の目標は、T reg が免疫自己寛容(免疫が自己を攻撃しないこと)を生み出すメカニズムを解明することで、
そのためには T reg を支配する遺伝子を突き止める必要がある。それは第5章で説明するとして、
その前に免疫自己寛容について整理をする。
免疫自己寛容を作り出すメカニズムには3つある:
- 胸腺における自己反応性T細胞の排除。胸腺上皮細胞が未熟なT細胞に「MHC-自己抗原の複合体」を提示することで、
過剰に反応する「過敏な」ものや全く反応しない「鈍感な」ものを選別し、殺す。
- 自己反応性T細胞の不活化。
- T reg による抑制。
著者は、1995 年頃、次のステップに進むために、以下の仮説を立てた。(1) T reg は発生学的にプログラムされている。
(2) 自己免疫疾患の原因は T reg の異常にある。(3) 自己免疫疾患の治療に T reg が使える。
第5章 Foxp3 遺伝子の発見
T reg の機能が試験管内でも確認できるという成果が 1998 年、Shevach らのグループと著者らのグループにより
独立に発表された。
1998 年、著者は京都大学再生医科学研究所の教授になった。評価された業績は、T reg ではなく、
慢性自己免疫性関節炎を自然発症するマウス(SKG マウス)の系を確立したことだった。
2003 年には、SKG マウスの関節炎の原因遺伝子が ZAP-70 であることを突き止めた。
CD25 は T reg だけではなく、T reg ではない活性化されたエフェクター T 細胞でも発現する。
CD25 は、細胞が活性化すると発現する分子なのであった。
そこで、T reg に特異的な別のマーカー探しを始めた。2001 年、著者の研究室に加わった堀昌平が
自己免疫疾患である IPEX 症候群の原因遺伝子である Foxp3 遺伝子に注目した。
Foxp3 遺伝子は、2001 年、Fred Ramsdell がマウスの自己免疫疾患の原因遺伝子として同定した。
ほどなくして、Foxp3 遺伝子が IPEX 症候群の原因遺伝子であることも分かった。
そこで、著者と堀らは、Foxp3 遺伝子が T reg と関係していると考え、それを確かめる研究を行った。
その結果、(1) Foxp3 遺伝子は、T reg (CD25+CD4+ T 細胞) に特異的に発現していること
(2) 非 T reg 細胞 (CD25-CD4+ T 細胞) に Foxp3 遺伝子を導入すると T reg に変わること
(3) そのような Foxp3 発現 T 細胞によって自己免疫疾患の発症が抑制されること、
がわかった。つまり、Foxp3 遺伝子は T reg のマスター遺伝子であることが分かった。
この結果は、2003 年の Science に発表された。
Foxp3 遺伝子は CD25 の発現をコントロールする。このほかの細胞表面分子として CD152 (CTLA-4)
や CD357 (GITR) の発現もコントロールする。こうした分子を欠損させると、自己免疫疾患が起きる。
T reg のおおもとは、骨髄で作られ、胸腺で選別される。自己の細胞との親和性が強く、
自己を攻撃してしまうものはアポトーシスに追い込まれる。自己の細胞との親和性が弱いものは
ナイーブ T 細胞となり、やがて活性化されると免疫機能を発揮する。自己の細胞との親和性が
中間的なものが T reg となる。
T reg は以下のような多様な機構で免疫を抑制する:(1) 表面に発現した CD25 がサイトカイン IL-2 を
高効率で消費することによって、周囲の T 細胞の活性化や増殖に必要な IL-2 を奪う。
(2) CD152 (CTLA-4) が高効率で抗原提示細胞の CD80/86 とくっつくことによって、ナイーブ T 細胞が
抗原提示細胞によって活性化されるのを阻害する。(3) 腸管粘膜などでは、免疫抑制性サイトカイン IL-10
などを放出する。(4) 細胞障害性物質を放出して、エフェクター T 細胞をアポトーシスに導く。
(5) 1 型糖尿病では、過剰に活性化している 1 型ヘルパー T 細胞にくっついて鎮圧する。
T reg が発する免疫抑制信号を受け取ったナイーブ T 細胞は、自己の細胞との親和性の強さによって、
アポトーシス、アナジー(免疫不応答)、増殖しない状態に変えられる。
自己免疫疾患は、Foxp3 に異常が無くても、Foxp3 遺伝子が制御する下流の遺伝子の異常や、
それが発現させるタンパク質の異常によっても起きる。たとえば、CTLA-4 や CD25 に異常があると、
IPEX 症候群に似た病気になる。
2004 年、著者のこれまでの業績が評価されて、著者は Shevach とともに William Coley 賞を受賞した。
第6章 制御性T細胞でがんに挑む
20 世紀になって、Paul Ehrlich が、「体内ではいつも癌細胞が出現しているが、免疫系がそれを排除している」
という概念を提唱した。この考えを基に 1970 年代以降、癌免疫療法が研究されるようになったが、なかなか
うまくいかなかった。癌細胞はもともと自己の細胞に由来するので、免疫応答を引き出すのが難しかった。
しかも、腫瘍内部では、活性化した T reg が異常に増えていることがあることまでわかってきた。
近年、免疫チェックポイント阻害薬が登場した。免疫抑制機能を持つ分子を阻害するものだ。
最初に考案されたのは、抗 CTLA-4 抗体で、T reg や活性化 T 細胞の表面に発現している
CTLA-4 にくっつくことで、免疫抑制機能を発揮させないようにするものだ。
次に発見されたの免疫チェックポイント分子は、本庶佑らが発見した PD-1 で、T reg を含む
活性化した免疫細胞に広く発現している。抗 PD-1 抗体にも癌の治療効果がある。
しかし、T reg に発現している PD-1 を阻害すると、かえって T reg が増加して
腫瘍が増殖する場合もあるので、注意が必要である。
T reg の機能を阻害すると、自己免疫疾患を引き起こすことがあることも、注意が必要な点である。
免疫チェックポイント阻害剤以外に T reg を操作して癌治療に役立てる方法も考えられる。
(1) 癌ワクチンを接種する際に T reg の働きを何らかの方法で抑えること (2) リンパ球を体外で培養して、
T reg を除去しつつ増やし、体内に戻すこと (3) 腫瘍の中の T reg を何らかの方法で減らすこと。
T reg を除去する薬には、Ontak がある。T reg 表面にある CD25 にくっつく分子にジフテリア毒素を
組み込んだものだ。ただし、この方法だと T reg 以外の CD25+ T 細胞まで一緒に除去される可能性があり、
投与法に注意が必要である。
活性化 T reg に特異的に発現する CCR4 という蛋白質を標的としたモガムリズマブという薬も有望である。
これで活性化 T reg を除去し、癌ワクチンを併用することが考えられる。
近年、T reg と結合する抗体に特定の波長の近赤外線と反応する物質をくっつけて、それに近赤外線を
当てて T reg を減らす試みがある。
第7章 制御性T細胞が拓く新たな免疫医療
T reg を使った医療はほかにもいろいろある。
- T reg を使って、臓器移植の時の拒絶反応を防ぐ。レシピエントの T reg をドナーの細胞と一緒に
培養したものを体内に入れる方法と、ドナーの T reg をレシピエントの体内に入れる方法が考えられる。
- T reg 活性を高めることで自己免疫疾患を抑制する。
- T reg を減らすことで免疫応答を高め、感染症に打ち克つ。
- アレルギーは免疫系のアンバランスで起こる。T reg を誘導することでアレルギー症状を軽減させる試みがある。
T reg の重要な働きには以下のようなものもある。
- 腸内細菌への過剰な免疫応答が炎症性腸疾患である。腸内細菌への免疫を抑制しているのは、腸管で
誘導された末梢由来 T reg (pT reg) である。
- 母体が胎児に対して免疫反応を起こさないことには T reg が重要な役割を果たしているが、全容はわかっていない。
第8章 制御性T細胞とは何者か
T reg のまとめ:
- T reg は、胸腺において、機能的に成熟した状態にまで分化・誘導される
(胸腺由来 T reg, tT reg)。このほかに、腸管などの末梢組織で分化・誘導されるものもある
(末梢由来 T reg, pT reg)。
- マウスの胸腺で T reg が産生されるのは生後3日以降、ヒトでは胎生期の14週以降である。
- T reg には、ナイーブ型とエフェクター型がある。