3か月でマスターする古代文明 10~12月号

講師関 雄二
ゲスト講師三宅 裕・常木 晃・津本 英利・河合 望・小茄子川 歩・中村 慎一・久米 正吾・周防 芳幸 ・小野 林太郎・青山 和夫・坂井 正人
編集日本放送協会・NHK 出版
協力NHK エデュケーショナル
シリーズ3か月でマスターする 2025 年 10-12 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2025/10/01(10月号)、11/01(11月号)、12/01(12月号)
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読了2025/12/22

古代文明について新しい知見を交えて解説するということで、毎回初めて知るような見方を知ることができた。 世界の文明は、それぞれの地域の特性に応じて極めて多様であったということが良く分かった。

以下、回ごとにポイントとなることがらをまとめておく。

第1回 衝撃!最古の古代遺跡 見直される“文明の始まり”
狩猟採集時代の今から 1 万 1 千年前の文明の存在を示すギョベックリ・テペ遺跡が見つかった。
文明は農耕生活によって始まったとする従来の定説は打ち砕かれた。
第2回 メソポタミア 都市は“最終手段”だった?
北メソポタミアでは、小集落が集まってくる形で都市が形成された。人々は、防衛のために やむを得ず集まってきたようだ。
これに対して、南メソポタミアは自然環境が厳しく、トップダウン型の都市ができた。
第3回 ヒッタイト“鉄の帝国”のヒミツ
ヒッタイトは「鉄の帝国」と言われてきたが、実はそれほど鉄が使われていたわけではなかった。
ヒッタイトは、多民族、多文化、多言語国家で、寛容な統治が行われていた。
第4回 エジプト ピラミッドと黄金が王国を変えた
古王国時代は、ピラミッド・コンプレックス建設を通じて国が発展していった。
新王国時代は黄金が特徴的で、金の支配を失うとともに国が衰退した。
第5回 インダス 王も武器もない文明
インダス文明の都市遺跡からは、権力者がいたという証拠が全く出土しない。 インダスの人々は、メソポタミアと接触したことで、都市の暴力性を知ってそれを拒絶し、 外界とのバッファとして都市を作ったのではないか。
第6回 中国 黄河・長江さらに… “交雑”が生んだ王朝
5500-4600 年前、長江下流に良渚(りょうしょ)文化があった。宗教的な権威のある権力者がいて都市が作られた。
さまざまな地方文化の交雑の中で、3800-3500 年前、黄河中流域の中原に二里頭文化があった。大きな宮殿のある都市が作られた。 「夏」王朝に相当するかもしれない。
第7回 中央アジア シルクロードの原点を探る
紀元前2500年頃の中央アジアの遺跡で麦と黍の種が見つかり、東西交流があったことが分かった。移牧をする遊牧民が交易を中継していたのだろう。
紀元前2000年頃のゴヌール・デペ遺跡からは、インダスとメソポタミアの影響が見られるものが出土する。オクサス文明と呼ばれ、交易で栄えたと見られる。
第8回 ギリシャ ネットワークが育んだ“民主政”
ミノア文明やミケーネ文明とその後のギリシャのポリスの社会においては、強大な王のような権力者が存在せず、 比較的平等な社会ができた。ギリシャは山がちだったので大きな統一国家は作られなかった。アテネの民主政が その典型で、意見の対立する人々の間では融和が図られた。
第9回 オセアニア 海を渡った人類と謎の巨石
太平洋の島々の人々は、台湾が起源である。言語的な共通性があるし(オーストロネシア語族)、巨石文化を共通して持っている。
その中でも特色があるイースター島のモアイ像とポンペイ島の海上都市遺跡であるナンマトル遺跡が重点的に紹介されている。
第10回 マヤ 統一なき王国の謎
マヤ文明の特徴としては、たくさんの王国が点在して一度も統一されなかったこと、金属器を使わず石器を洗練させた都市文明であったことがある。
初期には強い王がいない水平的な社会であったが、やがて中央集権的な王を中心とする垂直的な社会になった。王は神官でもあった。王や貴族は、 自ら美術工芸品を制作した。
第11回 ナスカ 地上絵・文字なき文明の道しるべ
ナスカの地上絵には線タイプのものと面タイプのものがある。線タイプのものは大型で、カワチ神殿など聖なる場所 へ向かう巡礼の道を示し、儀礼が行われていたのだろう。面タイプのものは小型で、街道沿いに描かれている。 学習、コミュニケーション、小規模な儀礼などに使われていたのだろう。
第12回 アンデス 初めに神殿ありき
アンデス文明の形成期と言われる紀元前3000年~紀元前後の頃の特徴は、古い神殿を壊してはその上に新しい神殿を 作るという「神殿更新」が行われたことである。
初期には権力者はいなかったようであるが、紀元前1000年頃の遺跡の中には外から来た権力者の存在を示すものがある。 そうした場所では神殿更新が行われなくなった。しかし、同時代の別の遺跡では相変わらず神殿更新を続けていたものもあり、 地域によって多様である。