ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考 哲学探究

著者古田 徹也
シリーズNHK 100分de名著 2026 年 4 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2026/04/01(発売:2026/03/25)
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読了2026/05/04

『論理哲学論考』は、いつか通して読みたいなと思いつつ、いつも途中で挫折していた本である。 今回入門的解説が聞けたので、そのうちまた挑戦したいと思う。

今回の解説は非常によくできているように思った。哲学の一般人向けの解説では、重要だけど 難しいところを省いてしまうことも多いけど、核心のところを嚙み砕いて説明してあると 思ったし、生成AIというタイムリーな話題と結び付けて語っているところも良かった。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 言語の限界はどこにある?

『論理哲学論考』は、ウィトゲンシュタインが生前発表できた唯一の哲学書。 ウィトゲンシュタインの若き日の思想が詰まっている。 『哲学探究』は、ウィトゲンシュタインの死後、弟子たちが遺稿を集めて出版したもの。 ウィトゲンシュタインが若いころの思想をどう乗り越えていったかがわかる。 今回は、セットで見ていく。

ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン (1889-1951) の前半生と『論考』

事実と事態

『論考』の冒頭に書かれていることを見ていく。

1. 世界は、成立していることの総体である。
1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。
1.11 世界は諸々の事実によって規定される。
1.13 論理空間の中にある事実が世界である。
1.2 世界は、諸々の事実へと分解される。
2. 成立していること、すなわち事実とは、事態の成立のことをいう。
2.01 事態とは、対象(もの)の結合である。

事態には、成立しているもの(事実)と成立していないもの(虚構)とがある。 あらゆる事態を集めると、「世界の可能性」の全てになる。これを「論理空間」と呼ぶ。 その中で事実のみで構成されるものが「世界」になる。

無意味な哲学的問い

ウィトゲンシュタインは、言葉の定義を明確化しようとした。それによって、 有意味な言葉と無意味な言葉を区別できるようになる。その帰結として、これまで哲学で語られていた 言葉のほとんどが無意味であることを示し、哲学を終わらせようとした。

ウィトゲンシュタインは、命題を現実の模型ととらえた(写像理論)。 しかし、言語は、あまりにも強力な模型作成ツールなので、一見すると有意味な命題もどきを たくさん作ることができる。たとえば、「なぜ世界は存在するのだろう」という哲学的問いの中にある 「世界は存在する」は命題もどきである。「世界」はどんな事物をも指し示していない。 命題は、何らかの事態を描き出している必要があるが、「世界が存在する」ということは、 いかなる事態にも対応していない。

6.44 世界がどのように存在するかが神秘なのではない。世界が存在するという、そのことが神秘なのである。

神秘は、語れないからこそ神秘なのである。世界が存在するということは、語ることができない。

第2回 言葉を話すことはゲームをすること?

『論考』による哲学の破壊

6.54 私の諸命題は、私を理解する人が、それらを通り、それらの上に立ち、それらを乗り越えて、 最後に、それが無意味であることを悟ることによって、解明の役割を果たす。 (言うなれば、読者は梯子をのぼりきったら、それを投げ棄てなければならない。) 読者は私の諸命題を葬り去らなければならない。 そのとき、読者は世界を正しく見るだろう。
7 語りえないことについては、沈黙しなければならない。

ウィトゲンシュタインは、『論考』もろとも哲学の問題を葬り去ったと考えた。 それで、彼は田舎の小学校教師になった。

言語ゲーム

ウィトゲンシュタインは孤立し、教師の仕事は5年で辞めざるを得なかった。

ウィトゲンシュタインは、40 歳のとき、ケンブリッジ大学に復学。

ウィトゲンシュタインは、自分の過去の仕事を批判的に見るようになる。 その結晶が『哲学探究』である。

「意味」という言葉が使用されるおおよそのケースで、人はこの言葉について、 <言葉の意味とは、言語内の使われ方である>というふうに説明することができる。

「机の上にリンゴがある」という言葉も文字通りの意味で使われているとは限らない。 「リンゴを取ってくれ」という意味かもしれないし、「リンゴを片付けて」という意味かもしれない。 言葉の意味とは、その使われ方である。こうしたことは「言語ゲーム (Sprachspiel)」と表現される。

「おはよう」は、前期ウィトゲンシュタインの言語観からすると無意味になってしまう。 「おはよう」は文脈によって多様な意味になる。たとえば、遅刻した後輩に対して言えば「遅い」という意味だ。

「言語ゲーム (Sprachspiel)」の Spiel は、ゲームだけでなく、遊びや演技・演劇なども意味する。 我々の言語活動が多種多様であることを表現するのに「言語ゲーム」という言葉が使われている。 言語が持っているゆるやかな類似性を「家族的多様性」と呼ぶ。

文を理解するとは、言語を理解することである。 言語を理解するとは、技術に通じるということである。

言葉は定義によらず理解される。このような考え方は、本質主義を大きく揺さぶる。 定義を求めると、そこから逃れる部分が必ず出る。言葉は、生活の中に息づいている。 上の引用の、「技術」とは「生活の術(すべ)」のこと。

第3回 生成AIは言語を理解しているのか

後期ウィトゲンシュタインと生成AI

第4回 心はどこにある?

晩年のウィトゲンシュタイン

思想の代金は何によって支払われるのだろうか。私の考えでは、それは勇気によってだ。(『文化と価値』)

哲学には、自分を変えようとする勇気が必要である。

私はもっぱら鏡であるべきだ。私の読者は、そこに自分自身の思考を歪んだままの姿で見ることによって、 その歪みを直すことができる。(『文化と価値』)