アンドレ・ブルトン シュルレアリスム宣言

著者伊東 順二
シリーズNHK 100分de名著 2026 年 8 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2026/08/01(発売:2026/07/25)
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読了2026/08/30

シュルレアリスムには manifeste があるということを初めて知った。

シュルレアリスムというと、何か非現実的な世界のことかと漠然と思っていたら、 ブルトンは、むしろそれは表面に現れない現実そのものだと考えていたということを 初めてちゃんと認識した。 前衛芸術において、先行するダダやキュビスムが破壊や解体を旗印にしていたのに対して、 シュルレアリスムは現実の裏側を抉り出して現実と統合することを目指した。

著者(伊東)はこうまとめている:

ブルトンのシュルレアリスムは、基本的に人間およびその生を肯定し、人間の真の能力を 解明する思想です。(中略)それは国家主義や全体主義との闘いでもあり、機械的進化という 合理性への価値妄想を生み出した近代主義が行き着いた戦争への激しい怒りと結びついていました。

シュルレアリスムが悲惨な第1次世界大戦への反動として生まれた意味もあるということも 初めて知った。それが合理主義への反動としての非合理の肯定いう形で現れる。 テキストでは、シュルレアリストで作家、ジャズ・トランペット奏者の Boris Vian も 紹介されている。彼が書いたシャンソン「脱走兵 Le déserteur」の歌詞の一部も引用しておく。

Monsieur le Président
Je ne veux pas la faire
Je ne suis pas sur terre
Pour tuer des pauvres gens.
大統領閣下
わたしは戦争をしたくありません (la は引用した部分の前に出てきている la guerre を指している)
哀れな人びとを殺すために
わたしは生まれてきたのではありません ( Lyrics translate 訳)

私は若い頃、岡本太郎が書いたものを好んで読んでいたが、ああいう思想が 現れた理由の一端が分かった。彼がなぜ子供の絵を称揚したかと言えば、常識に絡めとられる前の 子供の見方に自然な真実を見るからである。今となってみれば「無垢な子供の魂」などという 手垢のついたフレーズは大変疑わしいと思うが、シュルレアリストが夢や無意識のうちに 自然な真実と自由を期待したということを知ると、その空気の中で青春時代を過ごした 岡本太郎が子供の絵を称揚した訳も理解できる。

気に入ったフレーズをいくつか引用しておく:

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 二十世紀最大の芸術革命

シュルレアリスム

アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を書くまで

第一次世界大戦とブルトン

ダダ dada とブルトン

フロイトの精神分析理論とブルトン

自動記述 Automatisme

シュルレアリスム

第2回 超現実とはなにか

超現実

詩

第3回 異質なものを並置せよ

デペイズマン Dépaysement

芸術は行動

第4回 シュルレアリスムと未来

アンドレ・ブルトンの後半生

1924 年『シュルレアリスム宣言』を発表。
1929 年シュルレアリスム第二宣言。 1920 年代には共産主義が台頭した。その中で自分たちの原点を見つめ直そうとしてブルトンは第二宣言を出した。 政治的立場などをめぐって、ブルトンは仲間たちと決裂した。
1936 年ロンドンで第1回シュルレアリスム国際展 開催。
1938 年パリで第2回シュルレアリスム国際展 開催。 第1回、第2回では、マルセル・デュシャンが空間構成、ブルトンが企画、ダリが作品を発表した。 今でいえば、インスタレーションと言えるような総合的な展示を行った。
1939 年第2次世界大戦勃発。
1941 年ブルトン、アメリカに亡命。1946 年に帰国。 第2次世界大戦の時、多くのシュルレアリストがアメリカに亡命し、アメリカ美術に大きな影響を与えた。 たとえば、ジャクソン・ポロックは、自動記述を発展させたドリッピングという手法を用いた。
1966 年ブルトン、70 歳でパリで死去。
1969 年シュルレアリスム解散宣言が発表される。

シュルレアリスムの日本への影響

シュルレアリスム