春休みの絵本特集。紹介されているのは、どれも知らない絵本であった。
第1回は、宮崎哲弥が『100万回生きたねこ』を紹介する。
輪廻とそこからの解脱の現代風解釈と言っても良いような内容である。
主人公の猫は、飼い猫として生と死を100万回繰り返していたのだが、
最後に1回自由に生きることができた後に、もはや生き返らなくなる。
猫は悟りを開いたわけではないが、初めてのびのびとした猫らしい生を全うしたとき、輪廻から外れる。
爽やかな解脱と言って良いのではないだろうか。
第2回は、ヤマザキマリが自ら訳した『だれのせい?』を紹介する。
自分の悪気のない行為が巡り巡って自分を含んだ多くの人に害をもたらすという
ある種の因果応報が描かれている。最初の原因となる行為をしたクマは素直に反省して、罪を償う。
その素直さが、伸びやかな読後感に結びつく。
第3回は、サヘル・ローズが『ぼくのこえがきこえますか』を紹介する。
トランプ大統領やネタニヤフ首相といったキチガイ指導者のおかげで、世界中で多くの命が失われている中、
心に染みる。戦争反対というとお花畑だと言ってバカにして偉ぶる人が良くいるけれど、そういった人々こそ
戦争のリアリティを無視するという形でお花畑に住んでいる阿呆である。
第4回は、若松英輔が『おおきな木』を紹介する。
もらい続ける少年と与え続ける木の物語。幸福とは何かということについて考えさせてくれる。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 輪廻する「とらねこ」が解放されるまで―『100万回生きたねこ』
講師:宮崎 哲弥(評論家)
取り上げる絵本:佐野 洋子(作・絵)『100万回生きたねこ』(1977)
あらすじ
主人公は、100万回輪廻する「とらねこ」である。様々な飼い主の猫として生きてきたが、
不幸な生と死の繰り返しだった。飼い主に可愛がられていなかったわけではないが、猫は幸せではなかった。
結局、猫は誰かの所有物でしかなかった。猫は、死ぬのも平気だった。ところが、
100万1回目の生で野良猫になり自由に生きることができるようになった。
猫は一匹の白いメス猫と出会い、深く愛し合う。子供もたくさん生まれた。
やがて、白い猫はおばあさんになって死んだ。猫は泣き続けて息絶えた。
それで死んだあとは二度と輪廻しなかった。
解説
- 宮崎「人間が自分の人生を生きられるようになったのは、1970年代後半からの先進国。」
- 宮崎「自分に対して外側から影響を与えてくれる者が愛すべき人。」
- 佐野(ラジオ音源)「どんな人でも一回しか生きないという非常に平凡なことが大事だ。」
- 宮崎「100万回生きることで、唯一の生の大事さが浮かび上がってくる。」
- 宮崎「真の愛と生が終わるという悲嘆の中で、猫からこの世に対する執着が消え去る。」
- 伊集院「最後のページの絵は風景画。猫は空気そのものになった。」
- 宮崎「最後は、猫は輪廻から解放されて爽やかだ。」
第2回 寓話に込められた希望―『だれのせい?』
講師:ヤマザキマリ(漫画家・文筆家)
取り上げる絵本:ダビデ・カリ(作)、レジーナ・ルック・トゥーンペレ(絵)『だれのせい?』(2022)
あらすじ
昔、クマの兵士がいた。手あたり次第のものを、剣で切っていた。
ある日、森中の木を切ってしまったところ、ダムから急に水が流れてきて、クマの砦が壊れてしまう。
クマは犯人探しを始める。ダムの門番のアリクイに聞くと、突進してきたバビルサのせいだという。
バビルサの尻には矢が刺さっており、突進したのはその矢を放ったキツネのせいだという。
キツネに聞くと、矢を放ったのは鳥たちが自分の果物を奪ったせいだという。
鳥たちに聞くと、キツネの果物を奪ったのは森の木が切り倒されたせいだという。
クマは、それが自分の過ちだったと気付いた。
クマは、罪滅ぼしをする。アリクイには盾をやり、バビルサには矢を抜いてやり、キツネには果物をやり、
鳥たちには木を植えて、さらに巣を作るための家を作ってやった。
裏表紙には「すべては思っていた通り、とはいきません」と書かれている。
原文は、Non tutto è come sembra で、直訳すると、
「すべてが見た目通りというわけではありません」という意味。
解説
- ヤマザキ「絵は、複雑な色彩感覚で描かれている。
- ヤマザキ「クマはけだかい兵士だった。この「けだかい」の元のイタリア語は orgoglioso で、
プライドが高いとか高慢ちきだという意味だ。でも、クマの顔つきを見たとき、ただの高慢ちきではなくて、
中世的な気高さを感じて、「けだかい」と訳すことにした。」
- ヤマザキ「正義は、普遍的なものではない。正義を振り回してもうまくいかない。」
- ヤマザキ「クマは利他の償いをする。」
- ヤマザキ「最後の場面で、クマは端に「見切れ」で描かれている。そこに謙虚さが表されている。」
- ヤマザキ「多様性を認めて共生しようというメッセージを感じる。」
- ヤマザキ「裏表紙は、世の中は予定調和ではいかない、というメッセージ。」
第3回 沈黙に耳を澄まして―『ぼくのこえがきこえますか』
講師:サヘル・ローズ(俳優・タレント)
講師は、イラン・イラク戦争で戦争孤児となり、8歳で育ての母とともに来日した。
貧困や紛争に苦しむ人々への支援を行っている。
取り上げる絵本:田島 征三(作)『ぼくのこえがきこえますか』(2012)
あらすじ
僕は、皆に励まされて戦争に行った。母さんだけが泣いていた。僕は、砲弾に当たって飛び散った。
僕は魂になって、悲しみに暮れる母さんの姿を見る。復讐に燃える弟も戦地に赴く。
誰のために戦うのか?死者たちが魂になって昇ってくる。弟も死んだ。母さんの悲しみが見える。
「ぼくのこえがきこえますか」
解説
- サヘル「僕の体が飛び散る絵が、花火のように描かれている。私は花火の音を聞くと、爆弾を思い出す。」
- 伊集院「親は、夕焼けの日によく東京大空襲の話をしていた。」
- サヘル「弟の怒りが根っこのように描かれている。怒りを癒すと根っこが生えて新しい何かが宿るのではないか。」
- 伊集院「次のページで、怒りが戦地の弟の姿に変わっている。」
- サヘル「戦争の無意味さを突き付けられる。」
- 田島「どこの国の人にもどの時代の人にも説得力を持たせたいと思った。それで抽象的に描いた。憎しみは何も生み出さない。」
- 伊集院「想像力をはたらかせないと聞こえない言葉がある。」
第4回 しあわせとは何か―『おおきな木』
講師:若松 英輔(批評家・随筆家・詩人)
取り上げる絵本:シェル・シルヴァスタイン(作)『おおきな木 (The Giving Tree) 』(1964)
あらすじ
ある一本の木があって、その木はある少年のことが大好きだった。少年はその木が大好きだった。
木は幸せだった。少年は若者に成長した。すると少年は「お金を頂戴」と言うようになった。
木は、リンゴを持って行って町でお売りなさいと言った。少年はリンゴを集めると、姿を消した。
長い時間がたって大人になった少年がまたやってきた。少年は「家が欲しい」と言った。
木は、自分の枝を切って持っていくように言った。少年は枝を切り落として持って行った。
長い月日の後、老いた少年がやってきて船が欲しいと言った。木は、幹を切って船を作りなさいと言った。
少年は、幹を切り落とした。さらに時がたって、すっかり年老いた少年が戻ってきた。
木にはもはやあげられるものは無かった。少年は腰を下ろして休める静かな場所を求めた。
木は、切り株の上にお座りなさいと言った。少年はそこに腰を下ろした。それで木は幸せだった。
解説
- 若松「原題は The Giving Tree。絵本に出てくる木は与え続ける。」
- 若松「最初の頃は言葉が少ない。言葉が無くても少年と木が通じ合っている。」
- 若松「人生には、所有と存在がある。所有は、物の話。存在は、内から湧き上がる充足の話。」
- 若松「木は、限りなく与える。存在対存在のつながりを深めたいと思っている。」
- 伊集院「木が幹を切り倒されたとき、And the tree was happy... but not really(それで木はしあわせに
… なんてなれませんよね)と書かれている。これは誰が言っているのか?」
- 若松「この言葉は、アニメーション化された時にはカットされている。シルヴァスタインも無くても良い
と思ったのではないか。」
- 伊集院「but not really は要らなかったのではないか。」
- 伊集院「最後は、「それで木はしあわせでした。おしまい」。こういうハッピーエンドもあるんだと思った。」
- 若松「老年になってくると、所有の幅が狭くなってくる。人は居場所を求めている。居場所は元からあったのだ。」
- シルヴァスタイン「何歳の人でも、ぼくの本の中で、じぶんを見つけ、それを拾いあげて、発見するという個人的な感覚を味わってほしい。」