地図を見ながら福岡市の歴史と地理を読み解くという楽しい読み物。系統的なものではなく、 見開き2ページで1つのテーマを扱った記事を雑然と集めてある。
初めて知ったことをいくつかメモしておく(本の情報だけでなく、各種ネット上の情報も含む):
- 1925 年 6 月に、現在の JR 筑肥線の前身の北九州鉄道が姪浜から新柳町まで延伸する。 この新柳町駅は、1937 年に筑前高宮駅に改称される。新柳町は、昔の花街で、現在の地名では清川である。 位置関係は古地図を見ると分かる。 北九州鉄道新柳町駅があったのは、現在の地名では那の川2丁目で、新柳町からは南西に外れたところである。 路面電車の博多電気軌道循環線(のちの西鉄)にも新柳町駅があったが、こちらは新柳町の北の端にあった。 北九州鉄道新柳町駅は国鉄筑前高宮駅に改称されたが、高宮の地名の地域から見て北に外れているし、 西鉄高宮駅からも離れている。
- 現在、福岡市植物園がある場所には、1923 年から1976 年まで平尾浄水場があった。
- 福岡県内の唯一の基準水準点が博多区の山王公園内にある。
- 福岡の都市開発に貢献した渡辺與八郎が「渡辺通り」の名前の由来である。 渡辺與八郎は呉服の紙与の主人で、博多電気軌道を設立したり、香椎浜の埋め立て計画を立てたりした。 與八郎は 1911 年に、路面電車計画や香椎浜埋め立ての完遂を見ることなく急逝したが、事業は引き継がれた。 渡辺與八郎は、 福岡医科大学(現在の九州大学医学部)誘致に大きな役割を果たすとともに、九州帝国大学への昇格に当たって、 近くに遊郭があるのがネックになっていたので、遊郭を新柳町(現在の中央区清川)に移した。 紙与産業グループは、 今でも地元を代表する不動産会社である。
- 太田清蔵(四代目)は、衆議院議員で、福岡市の近代化に尽力した。博多湾鉄道汽船の社長を務めたり、 香椎海面埋築株式会社を設立して香椎潟の埋め立てを進めたりした。太田清蔵(四代目)の四男が 博多大丸の会長だった太田清之助で、その息子が自民党の衆議院議員だった太田誠一である。 太田誠一は、福岡3区(福岡市早良区、西区、糸島市)だから、九大の伊都キャンパス移転に関わっていたと 誰かから聞いた気がする(出所不明情報)。
- 九州鉄道(初代)が現在の JR 鹿児島本線を作った時、香椎潟では海の上を走っていた。 現在の千早駅のあたりに相当し、香椎潟埋め立てによって 1920 年代に陸地になった。 JR 千早駅ができたのは、2003 年。
- 江戸時代の 17 世紀後半から 18 世紀の中頃にかけて、海運業で筑前五ヶ浦廻船が活躍した。
筑前五ヶ浦廻船とは、博多湾西部の残島(能古島)、浜崎、今津、宮浦、唐泊の5つの浦に所属する廻船業のことである。
いずれも現在の福岡市西区の博多湾に面したところにある集落である。
参考:博多港「数々の歴史ドラマを秘めた港」~筑前五か浦廻船を中心に~ - 原三信は、代々福岡藩の藩医を務めた。6代目は長崎に留学して、外科医の免状を受けた。 原三信は15代で途絶えたが、 原三信病院の名前として残っている。
- 九州大学医学部のルーツは、1867 年に創設された藩医学校の賛生館(さんせいかん)である。
本書の記述で疑問な点:
- 櫛田神社のルーツを社伝に従って、伊勢松阪の櫛田神社を勧請したとしてある。が、これは疑問である。 そもそも日本の神社のルーツの説明で、江戸時代までの神仏習合時代のことが書かれていないものを私は信用していない。 とくに祇園をスサノオと単純に同一視する説明をしてあるものは信用できない。祇園の神は牛頭天王のはずである。 さらに、櫛田神社は、もともと櫛田宮、大神宮、祇園宮の3社をまとめたもののはずだが、それが書かれていない。