第 1 章 地球惑星科学とはどのような学問か?

1-1 学ぶ意味、科学を学ぶ意味

君たちは勉強しないといけない
前期の講義用
まず、名古屋大学に入学した君たちへ。入学おめでとう、そしてご愁傷様。 なぜご愁傷様と言ったかといえば、それは君たちにたっぷり勉強してもらうことを 望んでいるためだ。大学に対する最大の誤解があって、 それは大学に入ったらあんまり勉強しなくて良いというものだ。 そんなのは全くの嘘であって、大学では高校よりも高度なことを教えるのだから、 当然のことながら、よりたくさん勉強してもらわないと理解できるわけがない。 このことはまずしっかりと頭においてほしい。 それが五月病を予防する第一歩である。

もちろん、好奇心だけで勉強ができる人には、これ以上説明する必要はない。 私は、個人的にはそれだけでも充分であったが、そうでない人に 動機付けを与えるために、もうちょっと学ぶ意味について考えてみよう。

皆さんは万博(愛・地球博)に行っただろうか?
(適当に余談、あるいは学生に質問)
さて、万博で考えて欲しいことにもいろいろあるが、ここでとりあえず考えて 欲しいことは、同じ地球に生まれてきながら、いろいろな境遇の人がいるという ことだ。とくにこんなに貧富の差があるということだ。ほんとうに貧しい人は そもそも日本なんかには来られないから、万博だけでは本当のすさまじさが わからない。皆さんもぜひ発展途上国に一度行ってみて考えてみてください。 私はケニアに行ったことがあって、そのことが初めて実感できた。それは もちろん、歴史の結果であり、アフリカは奴隷貿易と植民地とグローバル化で 痛めつけられているというかわいそうな歴史があるせいである。
(適当に余談、あるいは学生に質問)

ただ、アジアとアフリカを比べてみると、アジアは何とか全体的なレベルも 上がってきているのに対し、アフリカはますます沈んでいる。万博を見ても サブサハラアフリカは共同館しか出していない。ほとんど観光物産展を やっていた。その物産もたいしたことはない。この違いは何か? この違いの原因が、ひとことで言えば文化であり文明である、と私は思う。 教育がひとつの大きい問題だが、今沈降している国々は、金がなくて 教育が満足にできなくて、文明を支える人がますますいなくなるという ことが起こっている。文化や文明を支えるのは、君たちを含むいわゆる 知的エリートだ、と私は思う。知的エリートという言葉を差別と取る人が いるかもしれないが、これは違う。自給自足ではない世の中は役割分担で 動いているので、単に役割を示しているに過ぎない。 君たちは「頭が良いから」名古屋大学に入ったのではない。 「ある程度の知的能力があり、それを生かす社会的役割を果たすことを 決心したから」名古屋大学に入ったのだ。そのために君たちは勉強しないと いけない、と私は思う。

知的エリートを排除するとどうなるかということがわかる典型的な実験が 中国の文化大革命(1966-1976 ころ)だ。そこでは、労働者がエライのであって、 知的エリートは何も生産していないブルジョワなので怪しからん、農村で働け、 ということが起こった。その結果として中国の教育と科学技術は決定的な ダメージを受けて、ようやく今頃 30 年経って立ち直りつつあるところだ。 路線を変更したからこそ中国の今の繁栄があるのであって、文化大革命が 続いていたら、ひどいことになっていたはずだ。科学の分野ではまだ 遅れている。ただし、アメリカに渡った中国人は今や日本人よりも優秀で、 これらの人々が中国に帰って中国の科学を再建するようになってくると、 やがて日本の科学も中国に追い越されるかもしれない。なにしろ人口が 多いので、政治が邪魔をしなければ、トップレベルは日本を超えて不思議はない。 なにしろ、今の中国の執行部の胡錦涛国家主席(水利工学専門)も 温家宝首相(地質学専門)も理系のテクノクラートで、科学技術を重視する 政策を取っている。この点は日本よりも優れているように思う。

ところで、大学の民営化を唱える人が最近多いけど、文化大革命と 似た響きを感じる。いわく、大学は役に立たない研究ばかりしている。 もっと産業と協力して役に立つ研究をしろ!というわけで、農村が産業に 変わっただけとも言える。危険である。

一方で、現代というのは不思議な時代で、かくも文明が発達している中で、 知的好奇心というものが急速に失われている。いわゆる「理科離れ」が その典型である。その理由は次のようなことだと思っている。 文明が発達した、まさにそのことのために、身の回りのものが理解できなく なっている。たとえば、建物を自分では立てられないし、どう建てたらよいか わからない。人々は、携帯電話を持っている。が、携帯電話が通話できる仕組みは 誰も知らない。人々はスーパーで牛肉を買う。でも、この牛がどこでどうやって 育てられたか誰も知らない。言いたいことは、文明が発達しすぎると、ま わりで起こっていること、普段使っているものが理解を越えるものばかりに なってきていて、それを理解しようとさえ思わなくなってしまった。 これが理科離れということだろうと思う。これで良いのだろうか? (その点、ケニアのほうが、まわりにあるものが等身大で良い、と言うこともできる。 実際、そういうのが好きでケニアに移住した人もいる。何が幸せかは人それぞれ。) しかし、日本人の誰もが携帯電話を理解しなくなったら、作れもしなくなる。 と、ゆくゆくはアフリカへの道を転落する。私としては、ある程度以上の 知的エリートは、たとえば携帯電話の原理くらいは知っていないといけないと思う。 そういうことが、君たちが学ばねばならぬ理由ではないかと思う。

要するに言いたいことは:「知識は力である」

Scientia et potentia humana in idem coincidunt
Human knowledge and human power meet in one; for where the cause is not known the effect cannnot be produced. Nature to be commanded must be obeyed; and that which in contemplation is as the cause is in operation as the rule.
人間の知識と力とはひとつに合一する。原因を知らなくては結果を生ぜしめないから。 というのは、自然とは、これに従うことによらなくては征服されないからである。 そして、知的な考察において原因にあたるものは、実地の作業ではルールにあたる。 (桂寿一訳、岩波文庫)
Francis Bacon, Novum Organum(新機関)
まわりの文章と合わせると、要は「自然のことをよくよく理解してはじめて 自然にはたらきかけることができる」というきわめて当たり前のことを言っている。 どこがエライかと言えば、自然科学が何とか出来はじめる 1620 年(日本では 江戸時代初期!ガリレイの落体の法則が 1604 年)に書かれたことばだからである。

1-2 教養とは?

次に、教養とは何か?を考えてみたい。教養を考える上で啓発的な本として、
立花隆「東大生はバカになったか―知的亡国論+現代教養論」(文藝春秋)
というのがある。この本、もしくはこれの元となった記事は、 大学にも影響を与えていて、最近教養が見直されるようになってきた きっかけのひとつである。

この本で、教養を定義しているところを見ると

教養=人類社会の遺産相続
これは、さっきから言っている、文化あるいは文明を受け継ぐ、ということだ。
文化、文明の継承
そして、大学の役割には、さらに、
専門教育と研究=遺産をさらに豊かにする、文化の創造
もある。この2本柱が大学の使命だ。これらを常に行っておかないと文明が滅びる。 文明は、継承が遮断されると滅びる。たとえば、イラクを考えよう。 バグダッドは8−9世紀頃はアッバース朝の元で最盛期を迎え、 世界の文明の中心だった。ところが、13世紀にモンゴルの侵攻で陥落して以来、 文明が滅びて、今のようにアメリカに負けるようになった。

とくに、なぜ教養が必要かということに対し、立花氏が言っていることは、 社会を動かすのは、教養のあるジェネラリストだからだ、ということだ。 組織のトップというのは、いろいろなことが一通りわかっていないといけない。 技術も経営も営業も全部わからないといけない。そのためには、 人文科学、社会科学、自然科学すべてを一応一通り知らなければならない。 なぜかというと、そういう知的エリートの社会の中での役割は判断だからだ。 日本は、そういったこと、とくに自然科学が重視されない。 そこで、アメリカに負ける、というわけだ。

さらに、教養には「テクネー」と「エピステーメー」がある、と立花氏は言う。

「テクネー」体験的に覚える : 話す、書く、議論する、外国語を使う etc
「エピステーメー」知識として覚える
一応、ここの共通教育としては
「テクネー」基礎セミナー
「エピステーメー」講義
という対応だが、そうきっちりわけられるわけでもない。本講義でも、質問をすれば、 議論をする能力が身につく。こんな大人数の中で質問するのは大変ですが、 努力をすれば、それは大事な能力が身についたことになる。

それと、それに関して言えば、大学というのは「テクネー」を身につけるところで、 基礎的な勉強は「大学らしくない」という人が時々いますが、これもちがう。 良かれ悪しかれ、19−20世紀に科学は非常に発達してしまった。 これの基礎を学ぶだけでも、高校だけではぜんぜん足りない。大学でも基礎的な知識も 学ぶ必要がある。とくに自然科学はそう。知的エリートには科学的知識が必要で、 それを身に着けるには、忍耐が必要です。しかし、それを身につけると、世の中が 良く見えるようになるので、それを楽しみにしてがんばってください。 能動的に努力をすることはもちろん大事だが、基礎固めもしっかり。

学んで思はざれば則ち罔(くら)く、思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし

1-3 地球惑星科学の位置づけ

以上を踏まえた上で、なぜ地球惑星科学を学ぶのかを考えよう。

先のシラバスで説明したように、教養としての地球科学には2つの側面があると思う。

役に立たない生きてゆく意味
役に立つ生きるための知恵

「生きてゆく意味」の心は次のように言うこともできる。 われわれが生きていく上で重要な問いは

われわれはどこから来たのか
われわれは何者か
われわれはどこへ行くのか
である。[ゴーギャンの絵を見せる] これは別にゴーギャンの発明ではなくて、 人間が昔から問いつづけてきたことである。それを解明する学問のひとつが 地球惑星科学だ、と言いたい。

この意味では地球科学は2本の柱からできていると思う。

  1. われわれが宇宙と地球の歴史の中で何を継承しているのかを知る。 いいかえると Origin 探し。短い時間スケールでは、親が誰か、 先祖が誰か知りたい、そういった先祖の歴史をわれわれは否応無く 背負っている。われわれはこんな先祖から生まれたくなかった、 とはいけない。正の遺産も負の遺産も素直に見つめるところから 未来が開ける。
  2. われわれが住んでいる世界を知る。われわれが住んでいる世界が いかなるものかを知ることによってはじめて、われわれは世界に 正しく働き掛けることができる。
次に「生きるための知恵」について:
[人間社会と自然環境の対峙の図を板書]
われわれ人類は、自然環境と対峙している。そのインターフェースのところで、 自然からいろいろ恩恵を受けたり災害を受けたりする。 それが役に立つ地球科学の部分だ。 たとえば、君たちは将来ダムを造ることに携わるかもしれない。 そのときに、それが良いかどうかの判断は、ジェネラリストとしての判断だ。 経済のことも自然のことも考えないといけない。 その自然の側の判断の材料として、地球科学や生態学などを 知っていることが非常に重要。

これらの分け方は必ずしもはっきり分かれるものではないけれど、 これらを、本講義の章立てと対応させると、

生きる意味
歴史(時間)宇宙と地球の歴史 (2,5)
環境(空間)地球や惑星のありさま (3,4)
↓(知を力に転換する)
生きるための知恵
資源問題 (6)、環境問題 (6)、防災 (7)

ちょっとまた見方を変えて、学問領域の間の相互関係から、 地球科学の位置づけ考えると次のようになる
[図を板書]
われわれを取り巻くものを考えてみよう。われわれは、 宇宙の中の太陽系の中の地球の上に住んでいる。学問と対応させると、 天文学が広い宇宙を探り、太陽系の中を地球惑星科学が探る。 そういうわれわれの住処のキャラクタリゼーション、その時間変化を 探るのが地球惑星科学だ。生物と地球がどう進化してきて、いまどういう 状態にあるのか、そして、今後どうなるのか、あるいはどうするのか、 こういったことを地球惑星科学は扱う。

地球の上で、われわれは社会を作っているから、そこに人文社会系の諸学問が 関係していて、そしてわれわれは生物なので、われわれの内側の世界や社会を 研究するのに生物学という学問があり、逆にわれわれが世界をどう認知するかを 知るために、広い意味での認知科学や脳科学がある。

そういった諸学問が複合して、上の根源的な問いに答えることになる。 そのように地球惑星科学を認識してほしい。

1-4 地球惑星科学の視点

ちょっと高校の教科書が近くにあったので眺めてみた。それを見ると、 高校の教科書はけっこう偉くて、表面的な内容から言うと、この講義で話すことと そう変わらなかったりする。しかし、大きい違いがある。高校の教科書は羅列的。 それは、指導要領などで○○は教えてはいけない、なんていう制約があるからだ。 ところが、実際の世界(宇宙)は、すべて因果関係で緊密につながっているので、 決して羅列的なものではない。そのチェインの部分をこの講義では 重視してゆきたい。

そういう意味で、地球科学の全体を眺めてみよう。必ずしもひとつのチェインで あらわされるものではない。いくつかの種類のチェインを想定しよう。

(1) 地球の歴史と進化をたどる(時間軸というチェイン)
チェインがはっきりわかるのは、時間を追って見ることだ。そうすると、因果が はっきり見える。そういう意味で、この講義も次章ではビッグバンから始める。 こういう見方は地球科学や天文学に独特。
例1:宇宙の形成→銀河の形成→太陽系の形成→地球の形成
例2:地球の進化:地球の形成→コアの形成→海と大気の形成
例3:生物の進化:有機物→RNA world→単細胞生物→多細胞生物
(2) 地球と惑星を空間スケールと時間スケールで認識する
空間スケール例1:宇宙→銀河→太陽系→地球→地球の層構造
空間スケール例2:大気の大循環→温帯低気圧→雲→雲粒→エアロゾル
時間スケール:大陸が移動する時間→地震が起こる間隔→津波が到達する時間 →地震が始まってから終わるまでの時間
(3) 輪廻あるいは作用のバランスをたどる
作用(因果)の流れ:地球から熱が出る⇔マントル対流が起こる⇔プレートが動く
物質の輪廻:炭素「大気→植物→動物→大気」
(4) 身近な現象の原因をたどる
急な崖→断層→地震→プレート運動
豪雨→梅雨前線→モンスーン→ヒマラヤ山脈
(5) 地球科学を役に立てる
火山噴火→過去の噴火を調べる→未来の予想→ハザードマップ→防災対策
地球の形の理解→地図を作るための技術に必要な知識→地図
このように、いろいろなことがらは密接に関連している。中学高校の教科書のように 羅列的なものでは決してない。このような関連がわかってくると、地球惑星科学が おもしろくなる。この講義はそういう点に注意をするので、わかって欲しい。 試験もそういう点に着目したいと思っている。

とはいえ、高校の教科書も最近はきれいで中身も上のような不満はあるものの 悪くはない。1組(地学 I と地学 II)手元に揃えておくと、参考書として 便利である。どの教科書を選んでもそれほど違いはない。というのも、 指導要領があったり、大学受験に必要なことが書いていないといけないという 制約があったり、大学の先生と高校の先生が専門ごとに分担して書くという 書き方がどれも同じであったりするせいで、あまり個性が出せないからだ。 ただし、私は高校の教科書とはだいぶん教える順番を変えるし、内容も 重なる部分と重ならない部分がある。