金曜1限 地球惑星の科学  吉田茂生先生

         動物の進化

 

 

            

医学部保健学科看護学専攻

                       170401537  古谷美咲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<はじめに>

 生物の進化の話には、生物を勉強し始めた頃から興味があったので、講義でこの分野の話が出てきたときに、これについてのレポートを書くことを決めた。私が読んだ本の中で最も印象深かったところは、「生物の進化の証拠は、化石記録に頼っている。」という文章と、前から興味のあった「古生代・中生代・新生代における動物の進化」の分野であったので、このレポートではその2点に重点をおいて、まとめたいと思う。

 

<化石>

 最初に述べたが、生物が進化するには何万年もの長い時間を必要とするので、その証拠は化石記録に頼っている。そこで、生物の進化をたどる前に化石についてまとめる。

 

定義 化石とは…生物が過去に存在した証である。また、過去の生物が残したすべての痕跡をそう呼ぶ。

化石の種類

体化石は、生物体そのものが一部でも保存されているものであり、印象化石は、生物の体の形状が指紋のように地層中に鋳型として残ったものである。生痕化石は、生物が活動した痕跡(足跡や巣穴)が地中に残されたもので、これからその動物の運動様式や摂食行動、生殖行動、社会行動まで読み取ることができる。化学化石は、堆積物中に保存されている有機物のことである。その他、化石には胃石という恐竜が消化を助けるために飲み込んだものや、魚竜の排泄物である糞石や、ゴカイなどの糞粒、海鳥の糞が変質したリン鉱石、恐竜の卵などがある。

 

産出した化石を現在の生物群と比較することによって、その化石が産出した地層が新生代のものなのか、あるいは中生代、古生代のものであるかが分かる。新生代の化石は現在の生物と似ていて、主に哺乳類の化石である。中生代は現在の生物とはあまり似ていなくて、主に爬虫類(恐竜)、頭足類(アンモナイト類)の化石である。古生代は現在の生物とは全く似ていなくて、主に三葉虫、腕足類、魚類(甲胄魚)の化石である。古生代は「カンブリア紀・オルドビス紀・シルル紀・デボン紀・石炭紀・ペルム紀」の6つに分類することができる。これらの区分は、すべて産出する動物化石の変遷に基づいている。植物界の変遷は常に動物界に先行しているので、これらの区分は植物界の変遷とは一致しない。

特定の地質時代からは特定の化石が産出するので、各地の地層から産出する化石の種類と地層内での産出範囲が特定できれば、地層を細かく分類したり地層同士で年代の対比ができたりして、地層の相対的な地質年代を決めることができる。ここで、地質時代を決めるための有用な化石を「示準化石」という。

 ※示準化石(標準化石ともいわれる)とは、特定の地質年代に限って産出し、その地層の堆積した地質年代を特定することのできる化石のことである。その生物が生きていた時代をより正確に特定するために、示準化石はその種や属の生存期間が短いほど(すなわち進化速度が速いほど)有効である。また、種や属の生息範囲が広いこと、環境条件に支配されにくいこと、産出量が多いことなども有効条件のひとつである。示準化石として有名なものには、古生代の三葉虫・筆石・腕足外・サンゴ、中生代のアンモナイト・三角貝、新生代の哺乳類、貨幣石がある。

 最近では、有孔虫・放散虫・ケイ藻・石灰質ナノプランクトンという海性の浮遊性原生生物が地質年代を決定するときに使われている。また、コカコーラの瓶やプラスッチクの袋なども、製造年月日まで正確に特定できる現代のよい示準化石である。

 

 ◎生きた化石◎ 生きた化石(生きている化石)とは現生する近縁の仲間は少ないが、化石としてはよく知られている祖先の特徴を保ち続け、現在も生存している生物のことである。それらの例としては、過去の繁栄していた時期に比べて個体数が激減したアメリカヤギュウ、分布域が縮小したイチョウ、その体制や形態がほとんど変化しないオウムガイやカブトガニ、シーラカンス、類縁種が絶滅したゾウ、過去の適応形質を新しい環境でも残しているバイカルアザラシやオオサンショウウオ、生物系統的に原始的であるカモノハシなどがあげられる。

 

<動物の進化について>  

◎先カンブリア代 

 この時代は次に続く古生代のカンブリア紀に先駆けて、酸素が地球を汚染し、酸素呼吸をする生物が増え、それによって生物が多細胞化した時代である。

 まず、有機物を発酵することによってエネルギーを取り入れていた嫌気性の細菌の増殖によって、有機物が減少した。そして、そのことにより無機物(硫化水素、水素)の化学反応による酸化還元エネルギーを得る仕組みを持って有機物を合成する化学合成細菌が出現した。また、これに続いて光エネルギーを用いて生体エネルギーを獲得する緑色硫黄細菌・紅色硫黄細菌(光合成細菌)も出現した。酸素を発生する光合成反応は緑色硫黄細菌と紅色硫黄細菌が合体してできたものと考えられている。酸素は今まで嫌気的な環境で生きてきた生物にとっては有害で、酸素に適応できない、あるいは酸素のない環境に逃げることのできなかった生物は大量に絶滅した。おそらく、これが地球生命史におきた「生物の最初の大絶滅とすみわけ」である。酸素呼吸はエネルギー生成率がとても高いので、多細胞生物への進化を成功させる上で重要な鍵となったと考えられている。また。大気中での酸素の蓄積はオゾン層の形成を促し、生物の組織を破壊する太陽からの紫外線を遮った。これらによって生物の繁栄はより加速された。

 先カンブリア代の化石として、北オーストラリアの地層から環形動物と思われる穿孔生物の生痕化石が発見されているのでおおよそ10億年前くらいに多細胞生物が出現したと見ることができる。

◎古生代

 古生代はカンブリア紀・オルドビス紀・シルル紀・デボン紀・石炭紀・ペルム紀に分かれている。大きな特徴としてはカンブリア紀に生物の大爆発が起こり、シルル紀からデボン紀にかけては魚類の出現、デボン紀の末期には両生類の出現、ペルム紀の大量絶滅があげられる。

☆カンブリア紀〜生物の大爆発〜

 この時代には地球上に炭酸カルシウムやリン酸カルシウム、あるいはケイ質の骨格をもった多細胞生物がいっせいに現れ、多様化していた。この現象を「カンブリア紀の生命大爆発」という。カンブリア紀の動物群の特徴は、捕食者が出現したことである。それに伴って、生きていくためには外骨格で防御するか運動能力を増すか、堆積物中にもぐって身を隠す方法をとらざるを得なかったと予想できる。実際、カンブリア紀以前の軟骨組織のみからなる生物群の化石はカンブリア紀の始まりとともにまったく産出しなくなり、代わりに硬い骨格をもつ生物が登場している。また、捕食者もこれらに対抗して進化していった。つまり、カンブリア紀以降の生物進化にはそれ以前にはなかった捕食者と被食者との駆け引きが持ち込まれた。

 カンブリア紀はまさに「生命進化の実験期」であったといえ、多種多様な生物が存在していて、現在よりも多い動物門を構成していた。これらの一部は今も存在している後生動物の祖先となって生きのびることができたが、大部分のものはカンブリア紀末期には絶滅している。

☆オルドビス紀

 この時代に魚類と同じように進化していたのが軟体動物の頭足類で、アンモナイトの祖先にあたるノーチラス(オウムガイ)の仲間であった。ノーチラスは「生きた化石」であり、その祖先である直角貝は体調がとても大きく魚類の捕食者であった。また、クモやサソリの祖先である節足動物のウミサソリやカブトガニ(生きた化石)もこの時代に繁栄していた。

 オルドビス紀を指し示す化石としては原索動物に分類されている筆石類と錐歯類がある。筆石とは、海生化石動物の一群で、キチン質の硬質物を持つ群体を形成し、枝上に固体が発芽する。これは、浮遊生活をしていたと考えられる。錐歯類の化石は、リン酸カルシウムからなる歯状の微小な部分化石で、コノドントと呼ばれている。この2つは両方とも進化速度が速く分布域が広いので、地層の対比に使用しやすい示準化石である。

※キチン…節足動物・菌類などの外皮や細胞壁を形成する窒素を含んだ多糖類である。

     弱酸やアルカリには溶けないが、強酸には溶ける。

☆シルル紀〜生物の海から陸への初進出〜

 この時代の動物はほとんどすべて海生であるが、シルル紀の後期になるとカレドニア造山運動によって陸化した沿岸地域の汽水環境に適応した大型の広翼類(ウミサソリの仲間)や無顎類が栄えた。また、カンブリア代から徐々に作り続けられていたオゾン層は、それまで紫外線を避けて水面下に生息していた生物が陸上と空に進出するきっかけをつくった。ここで、それまでは弱者であった生物が、この陸上への進化の道を選んだと考えられる。紫外線の影響が少なくなると、海面には緑藻類が繁茂し始めた。そして、広大な湿地帯やデルタ地帯に最初に上陸したのは細菌類であった。そして、土壌が形成されると植物の陸上への進出は加速された。

 植物を追って次に陸に上がったのは、節足動物のムカデの仲間である多足類であった。昆虫類はすでに水中でクチクラという外骨格をもち、重力の影響を受けにくい小さくて軽い体と、動ける脚を持っていた。しかも、気管系が用意されていて、呼吸システムの変更が容易であった。

☆デボン紀〜両生類の登場〜

 陸に進出することで、生物体は乾燥から身を守るために鱗や皮膚、殻を持った卵を開発し、生命維持装置である海の環境を持った卵や子宮をつくった。また、海に代わってミネラルを供給するためにリン酸カルシウムを蓄えた太く硬い骨を発達させ、体を支えるために背骨と内臓を強化した。

 約4億年前のデボン紀は「魚類の時代」ともいわれ、魚類の基本型が完成された時代である。シルル紀中期に出現した棘魚類は顎と歯を持つようになり、獲物を積極的に追ってえさにするようになった。これらの器官の発達は必然的に脳や神経系の発達を促し、筋肉も強力になって、甲冑を背負った板皮類(甲冑魚とよんでいる)から軟骨魚類や硬骨魚類に受け継がれていった。

→板皮類 原始的な魚類であり、骨質の下顎と頭蓋が結合した上顎をもち、歯は骨の突起として発達している。これは頭部から胸部は皮甲で覆われて、胸鰭と腹鰭とを持っているが後部は外骨格で覆われてなかった。この仲間はデボン紀の初期に多くの種に分化したが、ほとんどがデボン紀末に絶滅している。

→軟骨魚類 骨格が軟骨からなる原始的な魚類である。現在のサメやエイを含む板鰓類とギンザメを含む全頭類に分けられる。

→硬骨魚類 内部骨格としてリン灰石の骨をもつ。その骨は体を強く支持するとともに抜群の運動性を発揮でき、さらにカルシウムを貯蔵する組織でもある。

 

 魚類の中から最初に陸上に向かったのは、肉鰭類であった。肉鰭類は、すでに内鼻孔

や肺が発達していて、空中に頭を出して空気呼吸をしていた。また、鰭を使って這い、乾

期には水場を求めて内陸部の沼地まで移動していた。このように、内骨格をもった両鰭は

四肢に変化していった。例えば、ユーステノプテロンは肺を持っていて空気呼吸が可能で、

体表は硬い鱗で覆われていて、硬い骨格と鋭い歯をもち、さらに力強い尾と発達した鰭を

持っていた。

 最初の陸上脊椎動物といわれる最古の両生類は、デボン紀末期の地層から発見された迷

歯類のイクチオステガである。両生類は幼生時はえら呼吸をするが、成体になると陸上に

あがって肺呼吸をはじめる。しかし、卵は乾燥から守るために水中になければならない。よって、水から離れて繁殖することはできない。ここで、両生類から進化するためには、

肺呼吸をすること、体重を支えて移動を可能にする四肢、卵や体表面を乾燥から守る皮膚が必要であり、それを得ることができなかった生物は、一度は陸に上がれても再び陸に戻っていった。また、クジラやイルカはもともと水辺で魚をえさにしていた肉食性陸上動物であったが、再び体型や生理機能を適応させた。

☆石炭紀〜爬虫類の登場〜

 石炭紀は森林の生産性が高く、多量の炭化物を蓄積した。湿地帯の水は泥炭でよどみ、

酸素が欠乏してバクテリアによる有機物の分解が妨げられ、厚く堆積した植物遺体は石炭

として地下に貯蔵された。この時代の森林がもとになってつくられた炭田が世界各地に多

くある。また、両生類から進化した爬虫類は、卵を炭酸カルシウムの殻で包み、羊膜に保護された羊水のなかで胚を育てる方法を得た。最古の爬虫類は石炭紀後期から発見されている。

 この時期、光合成でできた酸素と比べて有機炭素の分解に使われる酸素の量は相対的に

少なかったので、大気中の酸素濃度は現在より2倍ほど高かった。これにより、この時期

の昆虫類は大型化し、大きなゴキブリやトンボの化石が見つかっている。

 石炭紀の北半球は熱帯性の気候であり、陸上では沼沢地に石炭のもととなった大森林

が形成され、海域ではサンゴや腕足貝、ウミユリ、コケムシなどが繁栄し、特に後期に繁

栄した頭足類と紡錘虫(フズリナ)や錘歯類(コノドント)は示準化石になっている。

☆ペルム紀〜生物の大量絶滅〜

 ペルム紀の後期には、乾燥気候のために北半球の大陸内に広大な砂漠ができ、南半球ではかつてないほど大規模な氷河が発達した。これにより、地球全体の気候が大きく変化し、生物界に大きな影響を与えた。古生代を通して多様化し、繁栄した多くの生物群は、この時代の末期にはほとんど全滅した。なかでも、フズリナ類、四方サンゴ類、三葉虫類はとりわけ顕著な絶滅群であった。この大量絶滅は地球史上、最大級のものと考えられていて、海生無脊椎動物種の96%、陸上動物の70%の種が姿を消した。

 ペルム紀は、両生類と爬虫類との中間的特徴をもつセイムリアや原始的な爬虫類である杯竜類、水生爬虫類の中竜類などが栄え、中生代型生物が台頭しはじめる新旧交代のじきでもあった。

 

◎中生代

 中生代は熱帯の海ではアンモナイトやサンゴが繁栄し、陸では恐竜が全盛を誇り、裸子植物が大発展した時代である。

 ペルム紀には、現在ある各大陸はまだ1つの超大陸パンゲアを形成していて、それらはすべて陸続きであったが、中生代中頃に超大陸パンゲアは南北に割れて、北半球のローラシア大陸は北アメリカとユーラシアに、また南半球のゴンドワナ大陸は南アメリカとアフリカ、インド、オーストラリア、南極に分裂をはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆三畳紀〜恐竜の出現〜

 この時代、水がなければ繁殖できない両生類の卵から、乾燥に耐えることのできる卵への改良が始まった。すなわち、有羊膜卵の開発である。「有羊膜卵」は胚を羊膜で包み込み、内部は羊膜液で満たされていて乾燥を防ぐことができる。この羊膜はさらに石灰質の卵殻に包まれ、乾燥した陸上での繁殖に適応していった。爬虫類の卵は羊膜でできた袋の中で卵黄襄に包まれた多量の卵黄を吸収して発生し、孵化したときには、十分に発育していてすぐに陸上生活を始めることができるようになった。このようにして多様化した爬虫類は、単弓類(哺乳類型爬虫類)として陸上のあらゆる環境に進出して、四肢動物の70〜80%を占めるまでに繁栄した。

 ◙恐竜の出現◙

 最古の恐竜の骨格化石とされる肉食で二足歩行のエオラプトルは、アルゼンチンの三畳紀後期の地層から発見されている。三畳紀からジュラ紀のなかごろまでは、超大陸パンゲアの時代であり、恐竜はこの1つの超大陸に三畳紀の後期に出現し、多くの脊椎動物との生き残りの競争を経て、やがてこの次のジュラ紀には地上の支配者になっていった。

☆ジュラ紀〜恐竜の繁栄と鳥類の出現〜

 ジュラ紀にはいって、地球全体が亜熱帯気候となり、湿潤な気候の中で恐竜は急速に繁

栄し、世界的に分布した。ジュラ紀の初期はアフリカと南アメリカ、北アメリカとユーラ

シアの大陸は互いにつながっていて、恐竜群には地域的な差はあまり見られず、世界中ど

こでもほぼ同じような種類が生息していた。そして、ジュラ紀末に北のローラシア大陸と

南のゴンドワナ大陸が分離すると、恐竜はそれぞれの大陸に分かれて独自に進化した。つ

まり、現在とほぼ同じ大陸分布になった白亜紀末にすべての恐竜が絶滅するまでずっと、

恐竜の進化は大陸移動の影響を受けていた。

〜恐竜について〜

 恐竜は変温動物であったという説が強い。理由は、脳容積の解析や産卵状況からみると、

現生のカメやワニのような爬虫類に近かったからである。

 草食恐竜は針葉樹林などの裸子植物やシダ植物を主に食べていた。硬い葉を食べるために歯が生え替わり、噛んだり、咀嚼したりする代わりに、胃の中に石臼の役目をする胃石を持っていたと推定される。

 恐竜は白亜紀にかけて著しく種類が増え、中生代のほぼ全期間にあたる1億6000万年を支配した。その生存期間は、人類が登場してから今日までの歴史のほぼ80倍にあたる長さである。

〜鳥類の出現  始祖鳥〜

 鳥類と考えられる最初の化石は、ゾルンホーヘン(石灰岩採掘場)で発見された始祖鳥である。始祖鳥は前肢の3本の指先の鋭い鉤爪、羽の生えた翼、そして歯を持っていたため、木によじ登り、木から木へと滑空し、肉食性であったと考えられている。

☆白亜紀〜生物の大絶滅〜

 カンブリア紀以降、生物界には大きいものだけで5つの大絶滅事件があったが、そのなかでも中生代末の恐竜を含む絶滅事件は、50〜60%の生物が絶滅するという大規模なものだった。 

原因 有力説:巨大隕石の衝突

       隕石の衝突により、強烈な衝撃波と高熱が発生して、大量の粉塵が成層圏まで舞い上がり、地球全体を覆って太陽光を遮断し、寒冷化が起こった。この環境の急激変化により、光合成植物→草食動物→肉食動物の順に被害を受けて、生態系は一気に破壊された。このようにして、地球上の大半の生物が大打撃を受けた。

しかし…恐竜の絶滅の原因はこれだけではないと考えられている。恐竜は、7600万年

    前は35種存在したが、7000万年前には19種、6500万年前には9種に減少した。つまり、恐竜は比較的緩やかに、徐々に衰退していったということができ、隕石の衝突によって急激に消滅したわけではないことが分かる。しかし、隕石の衝突による生物の消滅は捕食者である恐竜にとって大きなダメージであり、また、気温の低下は変温動物である恐竜には不利な環境であるということから、隕石は恐竜の絶滅の直接原因ではないが、原因説の1つであると考えられる。

 

◎新生代  〜ヒトの出現〜

 新生代は、それまでの恐竜の支配に代わって、哺乳類が本格的に発展した時代である。

哺乳類の特徴としては、皮膚に体毛と汗腺を持ち、体温を一定に保つ恒温性の動物であり、子は胎生で、歯は分化し、大脳の発達が著しいことなどがあげられる。

 その中でも、私たち人類の誕生が特徴的で印象的な出来事である。人類の祖先は食料の豊富な森林での樹上生活をしていた霊長類たちである。最初に出現した霊長類はメガネザルやロリスのような原猿類で、樹上生活に適応したことにより、嗅覚が退化する代わりに視覚が発達し、両眼が顔の前面に出ることによって、見る範囲が広くなり、遠近感のある立体視が可能になった。また、はじめは昆虫食であったが、やがては果実や葉を食べるようになった。このような食性の変化は、身体の大型化を促し、夜行性から昼行性へ、単独生活から集団生活へと変化させていった。

<ヒト科の誕生>

 ・ヒトの特徴

直立歩行をし、手で物をつかんだり、投げたり、運んだりすることが可能である。また、細工を加えたり、武器にしたり、採集物を運搬したりすることも可能である。また、言語を発し、脳の容積は類人猿や化石人類の約3倍である。

 

 初期の猿人としては、トゥーマイ猿人とラミダス猿人が発見されている。トゥーマイ猿人は中央アフリカ、チャドの700万年〜660万年前の地層から発見された。この化石はほぼ完全な頭骨からなり、脳容積は約350ccで、犬歯は短く、類人猿と猿人との特徴を併せ持っている。しかし、頭骨以外の化石が見つかっていないので、二足歩行していたかどうかは分かっていない。ラミダス猿人はエチオピア、アラミスの約440万年前の地層から発見された。頭蓋骨や腕骨、乳臼歯のついた下顎骨は猿人と類人猿との中間的特徴を持ち、とくに脊柱の通る大後頭孔が頭蓋底の中央に位置していることから、直立姿勢で二足歩行していたとされている。

 これら初期の猿人に続いて現れたのが、アファール猿人(アウストラロピテクス)である。まず、1924年に、南アフリカの350万年前の地層から子供の頭骨が発見された。その脳容積はチンパンジーの300〜400ccよりもやや大きい、380〜450ccであった。その後、アファール猿人の化石は多数発見され、その中には、身長1mほどで、二本足で確実に歩いていたことを証明するものもあった。

 アファール猿人はその後、食性の違いによって2つに分化した。硬い種子や地下茎、乾いた果実などを食べるためのエナメル質の厚い歯と頑丈な顎を発達させた系統(アフリカヌス猿人、エチオピクス猿人、ボイセイ猿人、ロブスト猿人)と、動物の生肉を食べ、資源を活用することで石器を開発し、脳を大型化させた原人の系統である。前者の系統は100万年前にはすべて絶滅した。後者は、240万年前に誕生した現代人の直接の祖先であるホモ・ハビリスである。

 タンザニアで発見されたホモ・ハビリスの頭骨化石は約600ccの脳容積を示していた。そして、180年前になると脳容積は850ccに増え、顎や臼歯の著しく小さな新タイプの原人、ホモ・エレクトスが現れた。ホモ・エレクトスには、ジャワ原人と北京原人の地域的亜種がいる。ジャワ原人は、インドネシア、ジャワ島のトリニールで発見され、サル的な頭(脳容積850cc)とヒト的な大腿骨を持つことで特徴づけられている。北京原人は、脳容積850〜1220ccの頭蓋骨が発見されている。

 ホモ・サピエンス(現代人)はホモ・エレクトスから進化した新しいタイプの人類であり、それまでの人類に取って代わって繁栄した。つまり、それまで繁栄していた原人や旧人の子孫はすべて絶滅して、私たち現代人が繁栄したということである。

 

◎人類の未来 〜ヒトはどうなっていくのか〜

 これまでの地球史から分かるように、すべての生物は環境の変化に適応して自身を変化させたり、あるいは適応できなかったために滅んでいった。では、ヒトはこの先どうなっていくのだろうか。ヒトは環境に適応するように自身を変化させるのではなく、環境を自分たちの都合のよいように変えた点において自然の法則から外れている。知性の発達は、科学の進歩を生み出し、人間の生活を支えていて、ヒトは進化の必要性をなくした。よって、人類は自身の自然に対する適応能力をどんどん減少させている。つまり、自然の変化に適応できなくなった人類は、科学技術の力なくしては生存できなくなっている。しかし、環境の変化に応じて科学技術を進歩させてきたことで、もともと自然界には存在しなかった物質を生み出してしまった。その例として環境ホルモン物質があげられる。これらの影響は生物を確実に蝕んでいて、その状況はこれからますますひどくなっていくだろう。ヒトは、環境を変化させてしまった代わりに、自らホモ・サピエンスという種の絶滅を早めているかもしれない。

 

<終わりに>

 今回、動物の進化をたどるにあたり、生物は環境の変化に対する適応能力を活かすことで、絶滅の危機を免れたものだけが生き残ることを許されてきたことを知って、環境の変化の恐ろしさをとても大きく感じた。また、その環境を思いのままに動かしてしまっている、今の科学技術も、とてつもなく大きなものだということを感じた。今回は動物の進化について書いたが、環境面では大規模な大陸の移動や、温度の変化があり、それにともなった進化についてももっと詳しくしりたいと思った。

 

 

参考文献

・地球生物学 地球と生命の進化 :池谷仙之・北里洋(著)  東京大学出版

・化石の科学          :日本古生物学会