自己紹介

吉田茂生(いちおう教官)

環境塾 : 2001/05/09


「環境」をめぐって

立花隆「宇宙からの帰還」によると、バックミンスター・フラーは 以下のような詩を即興で作ったそうだ。
Environment to each must be 
"All that is excepting me."
Universe in turn must be
"All that is including me."
The only difference between environment and universe is me......
The observer, doer, thinker, lover, enjoyer

それぞれの人にとって環境とは、
「私を除いて存在する全て」
であるにちがいない。
それに対して宇宙は、
「私を含んで存在する全て」
であるにちがいない。
環境と宇宙の間のたった一つのちがいは、私・・・・・
見る人、為す人、考える人、愛する人、受ける人である私
そう、環境は「私」を「取り巻くもの」である。

私は、今までいわゆる「環境学」を専門としてきたわけではない。 私の専門は、いわゆる「自然科学」の一分野である地球科学である。 自然科学をやってきた私にとってみると、「私」あるいは 「われわれヒト」という要素が入っていることが、ふつうの 自然科学との大きな違いである。

しかし、良く考えてみると、地球科学を研究するということは、 宇宙の中の星の一つである地球を研究するのではなくて、 私あるいはわれわれヒトが住んでいる地球を研究するということである。 「環境」という問題は、私がどう生きるかという問題と、 私が住んでいる地球がいかなるものであるか、という問題の中間にある。


「ごみ問題」をめぐって

最も身近な環境問題と言えば、ゴミ問題だと思う。 何を捨てるか?どう捨てるか?にはいつでも頭を悩ませてしまう。 藤前干潟問題のおかげで、名古屋ではゴミの分別がなされるようになった (注)。 これはプラスチックだろうか金属だろうか紙だろうか、と 複合材料をみて悩むこともしばしばである。それもあって、 リサイクル問題にも関心がある。

というわけで、リサイクル問題の本を最近読んだので紹介する。

(注)セミナーの最中にここは正しくないと 指摘を受けた。それ以前から、名古屋ではゴミの分別が行われる方向には あって、藤前干潟問題のためにその実施が早まった、という方が 正しいということである。


「リサイクル」関係の本二題

加藤三郎編著「かしこいリサイクルQ&A」(以下では(K)と略す)
岩波ブックレット No.531、岩波書店

武田邦彦「リサイクル幻想」(以下では(T)と略す)
文春新書 131、文藝春秋

家電リサイクル法のようなものが出てきて、リサイクルへの関心が ますます高まり、本がいろいろ出ている。しかし、リサイクルに対する立場は いろいろに異なる人がいる。上の2冊はまったく異なる立場で書かれている。 (T)の方はしばらく前に読んだので、忘れてしまったことも多いが、思い出す範囲で 書いておく。

加藤三郎は、元環境庁の役人で、その後、NPO「環境文明21」の代表。 その経歴にふさわしくというべきか、(K)では、日本のリサイクルの 現状と考え方を平易に解説している。最近リサイクル関連法がいろいろ できていることをこれで初めて知った。それらを並べておくと、

21世紀に入って、日本もリサイクル社会に突入したことを感じさせる 法律群である。(K)では、これらに関する易しい解説がなされている。

一方で、(T)は、「リサイクルしてはいけない」と説く。 たとえば、紙やプラスチックは、燃やしてしまって、 発電と熱生成(コジェネレーション)に使ってしまうのが良いとする。

いずれの本も、もちろん環境に負荷の少ない道を探ろうとしているのに、 このように考え方に大きな隔たりが出てしまうのは、環境問題の難しさを ものがたっている。何が正しいかを見定めるためには、物質とエネルギーの 循環の全システムを考えて、定量的に価値判断をする、ということが 不可欠である。リサイクルにかかる費用で判断するというのは、 一つの手ではある。しかし、金はこういう問題の価値判断に対しては、 あまり良い指標でない。

判断や評価を下すには、これらの一般向けの本だけでは、いかんせん情報が 少なすぎる。たとえば、ゴミ発電問題にしても、現状ではゴミの量が 安定しないために、安定した電力供給ができないなどの問題があると聞くが、 (T)ではそれに触れられていない。また、(K)では、全体的なシステムに 関する記述が少ない。