「論理哲学論考」の読み方

last update:2005/03/13

「論理哲学論考」の論理実証主義者による読まれ方

「論理哲学論考」は論理実証主義者によって次のように読まれた。

文パラダイム

世界の基本要素は文(命題)で示されるものであって、名詞(名辞)で示されるものではないとされる。
1.1 世界は事実の総体であって物の総体ではない。
しかも、原子が物質を作っているように、原子命題が世界を構成していると考える。
1.2 世界は事実に分割される。
それらの原子命題(要素命題)は互いに論理的に全く独立である。
1.21 個々の事柄は、他のすべての事柄が全く同じままであっても、生起したり、 しなかったりすることができる。
6.37 ある事柄が生じたがゆえに別の事柄を生じさせるというような強制は存在しない、 唯一の必然性は《論理的》必然性である。
4.21 最も単純な命題、すなわち要素命題は、ある事態の存立を主張している。
4.211 それに矛盾する要素命題が存在しえないということこそ、その命題が要素的であることのしるしなのだ。
このようにして、要素命題の集合の内部では、どの命題も他の命題に影響を及ぼすことなく 変更することができる。

事実と事態

上の引用の中でも使われている「事実(Tatsache)」と「事態(Sachverhalt)」の違い: 事態は論理的に可能な事実であり、事実は現実に出来事として生起する事態である。 事態に対応する命題は有意味であり、事実に対応する命題はさらに真(true)でもある。 つまり、true な事態が事実である。
2.01 事態は対象(事物)の結合である。
2 事実とは、事態が成立するということである。
1.2 世界は事実に分割される。

命題とその命題が示している事態とは同じ論理形式を持っている。したがって、 有意味な命題はある事態の論理的な写像である。論理的に正確な言語においては、 擬似命題はすべてその言語の統語論上の規則に違反するはずである。

そのような意味で論理的に正確な言語は存在しない。それを作ろうというのが 論理実証主義者の課題の一つだった。

情報源

[本] H.I. ブラウン著、野家啓一・伊藤春樹共訳 (1985) 「科学論序説」(培風館)