最後の結論の回は
戦後の日本人論を読んできて、奇妙なことに気がつきました。漱石の人気です。 いろいろな人が漱石を引く。(中略)日本人の生き方が五十年、いや一世紀 経ったいまでも、未だに漱石が描写したものとそう変わっていない、という ことでしょうか。という感じで始まって、その理由を私は、しかし、と、思います。変わっていないところはあるだろうが、 変わっているところも大いにあるのではないか、と。
このように今までの日本人論が、単発的で、発展性が少なかったことには 理由があります。その多くが「余技」として書かれているために、まともに 対応するものではない、とみなされたからです。と述べ、そこで最後に
この講座であつかった国民、職人、母といったものは、日本社会の中の、 実体としてのそうした人々を指すのではなく、日本人全体の中のある側面、 それが持っているさまざまな顔として考えているのです。と結ぶ。(中略)
新たな日本人論、いえ、新たな「日本人たち論」が必要です。
私もその通りだろうと思う。日本人は今やかなり多様だから、そう簡単に 十把一絡げに区切ることができるものではない。外国人と話をしても、 同じ人間どうしでそう大きく違うわけでもない。単純な思いつきだけで語ると、 たとえばRobin Gill が批判するような 浅薄なものになってしまう。それでもなお、平均的にいえば 外国人はどこか違うのも確かだし、たとえば、日本という国全体が なぜ非欧米諸国の中で最も速く先進国のひとつになりえたのか というような問題がある。総合的で丁寧な分析が必要である。