田舎の村から家を出て東京に行っていた常石文江が7年ぶりに家に帰ってみると、 その家出が原因で坂東和也が自殺していたらしい。そこで文江はその自殺の 背景を突き止めようとする。すると、その自殺は実は殺人だったことがわかり、 また新たな殺人や放火などが起こる。最後に、その田舎の村の暗部が明るみに 出るという筋書きだ。暗部をかくそうとする村人が事件を起こしていたのだ。
こういう筋だと、くらーい暗澹たる小説になりそうなものだが、そこは さすが赤川次郎の技で、暗くならずむしろ明るい調子で書かれている。 そういう手品が成立する理由はたぶんいくつかある。私が気付いたこととしては 以下のようなしかけがある。
田(でん)村へ足を踏み入れると、文江は何となく奇妙な静けさに囲まれて、 当惑した。人の姿が、あまり見えない。息をひそめて、静まり帰っている、 という感じである。という程度の描写でとどめて、余計な暗さ(たとえば、どんよりとした曇り空 にするとか、冷たい風を吹かせるとか、建物のくすんだ色を描写するとか)を 加えていない。実際、この場面では天気は晴れということになっている。 こんなふうだから、常に何となく青空の下で事件が起こっている感じがする。