週刊 シルクロード紀行 47-50巻

週刊朝日百科、朝日新聞社
刊行:2006/09/10(No.47)-10/01(No.50) (実際は 2006/08/31-9/21)
名大生協で購入
読了:2006/10/03
シルクロード紀行のうち、韓国、日本編の4巻。

以下、各巻の内容や、文中で印象に残ることがらなどを書いていこう。

韓国1 ソウル、扶余、全州
この巻は朝鮮半島の南西側、すなわち昔の百済の地域の紹介である。したがって、 百済の話が多く出てくる。
興味深いのは、640 年代に相次いで日本と朝鮮半島に政変が起こったことを紹介している、 李成市「シルクロード人物 47 中大兄皇子」の記事だ。このあたりは、ちょうど寒冷期だったので、 安田喜憲氏はそのせいで政変が多く起こったのではないか という推論をしていた。 642 年には、高句麗で淵蓋蘇文が王と高官 180 人余りを殺害するというクーデターを起こした。 同年、百済では、最後の王、義慈王が高官たちを左遷して権力を自らに集中させた。 645 年には、日本で、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害する事件を起こした(乙巳の変)。 647 年には、新羅で、[田比(び)] 曇(だむ)の乱が起こったが、金春秋(のちの武烈王)と 金[广臾(ゆ)]信が鎮圧して権力を掌握した。 このように政変が集中するのは、国際情勢の変化が大きな原因なのだろうが、気候寒冷化のせいも あったのではないかと考えてみるのも楽しい。
韓国2 釜山、慶州、済州島
お次は朝鮮半島の南東側、旧新羅地方の紹介。白村江の戦いがあったので、新羅と日本は仲が悪かったの かと思っていたら、意外とそうでもなくて、けっこう交流があったらしい。 その例として仏教関係の交流が2つ紹介されている。ひとつは天台宗の円仁が求法の旅に唐に 出かけたときに、けっこう新羅人の世話になっているということである。もうひとつは 日本の華厳宗を始めた僧は、おそらく新羅で華厳を学んだと推測されるということである。
日本1 博多、平戸、対馬
九州は両親の出身地なので、なじみのある地名も出てくる巻である。でも、ちょっと昔とは だいぶん変わったこともある。大宰府政庁跡は、私が子供の頃は本当に荒れていたけど、最近は 公園としてだいぶん整備されている。鴻臚館跡なんて昔は平和台球場だったので存在しなかった。 九州国立博物館もつい最近できたばかりだ。
ここでおもしろいのは、前の巻に引き続く新羅との交流の話。けっこう交易をしていたらしい。
また、倭寇の王直の話もおもしろい。倭寇といっても日本人海賊ではなくて、中国の明王朝が 取っていた海禁政策(いわば鎖国政策)をかいくぐって海上通商を行っていた中国人である。 鉄砲伝来とも関わっていたかもしれないらしい。
日本2 奈良
奈良に行ったのは今まで修学旅行を含めて3度。名古屋からならば、そう遠くはない。
この巻でちょっと面白いのは、杉山正明氏が冷や水を浴びせるように、シルクロードに関して、 「歴史研究の立場からは、ユーラシアの東西を結ぶ交流・往来が時代を通じて滔々とあったと いわれると、はたしてそうかといいたくなる」と書いていることだ。そんなにロマンチックじゃ ないよ、ということか。