本書の一番終りには、現代においては地球規模で人間の交流が起こるように なったので、人種や民族が無くなっていくのではないかという予想が述べられている。 しかし、私の考えでは、現代のようなエネルギー浪費社会は そのうち終焉を迎えるだろうから、遠距離の人間の交流はふたたび難しくなり、 そう簡単に人種や民族が無くなることはないだろうと思う。
引用されている論文がここ 10 年以内のものが多いことから、 ヒトの分子系統に関しては、この 10 年でさまざまの遺伝子を使って 多くの知見が得られていることが想像がつく。 ヒトの分子系統の分野では、10 年以上前の知見はもう古いということであろう。 私のようにもっと進歩の遅い分野を研究している人間にとっては驚異的である。
本書を見ると、分子系統学的手法を用いても、用いる遺伝子によって 少しずつ違う近縁関係が出てしまうことが分かる。それは、 ヒト全体の大ざっぱな系統関係を見るときにはあまり影響がないが、 日本人の起源のような細かい話を始めると、解釈が難しくなる。 遺伝子の違いが何を意味しているのかよくわからなくなってしまう。 人間の集団では、複数回の移動やら混血やらという要因がからまるので、 解釈が難しくなるのであろう。
なお、著者は、分子系統学で広く用いられている近隣結合法(NJ法) (専門家ではない私でも名前を聞いたことがあるので、たぶん有名なのだろう: 著者による解説が Applied Biosystems という会社のページ にある)の開発者である。
のような感じである。著者はさらに (3)-(6) をひとまとめにして 「環太平洋人」とも呼ぶ。(1) | (2) | (3) ----+---- | | | (4) (5) (6)
他のいろいろな遺伝子の研究結果を併せてみて、現代人 Homo Sapiens の 起源とその拡散は以下のようにまとめられる。
東アジア人の起源に関して、最近中国の古代 DNA から興味深い結果が見出されている。 山東半島の付け根あたりの遺跡から見つかった古代人のミトコンドリア DNA を 調べると、現代の東アジアの集団よりも、中央アジアや西ヨーロッパに近い。 古代中国には、周辺から多くの民族が流入している可能性が高い。
いろいろな分子系統から東ユーラシアにおける日本人の位置を見る。 すると、東ユーラシア人は、華中あたりを境に大きく北方と南方に分かれる。 日本人は、北方のグループ(韓国、北部中国、チベット、モンゴルなどを含む) の仲間になる。
遺伝子によっては、日本列島に特異的に多いように見えるものもある。 たとえば、Y 染色体に YAP と呼ばれる多形があるものは、日本人、 アイヌ人、沖縄人以外にはチベット人しかいない。血液型に関係する 酵素の Se 遺伝子の融合遺伝子と呼ばれる型がある程度の頻度で 見つかっているのも日本人だけである。このことから、弥生時代に 来た渡来人が縄文人を「置換」したという仮説は否定される。 ある変異が日本人全体にある程度広まるには、3000 年くらいでは 短すぎるからである。
縄文人や弥生人のミトコンドリア DNA と現代人のそれとを比較すると、 古代人と共通する遺伝子を持っている人々は東アジアに広く分布しており、 特定のパターンがなく、それから日本人の起源を議論することは難しい。