はじめて読む物理学の歴史

安孫子誠也・岡本拓司・小林昭三・田中一郎・夏目賢一・和田純夫著
ベレ出版
刊行:2007/03/25
名大生協で購入
読了日:2008/02/03

地磁気に関する一般向の講演とか教養的な講義をやる機会があって、 地磁気学の歴史に興味を持ち、それの続きで物理学の歴史も読んでみようと思い買った。 「はじめて読む」と書いてあるだけあって非常に読みやすい本である。 さっと読めた。著者は6人いるが、序章と4つの章を書いている岡本氏が 中心になってまとめたのであろう。それと、安孫子氏と和田氏がそれぞれ3つの章を 書いているので、その3名が中心となってまとめたグループであったことが 想像できる。

本書で特徴的な部分を3つ挙げておこう。1つ目は、ガリレオ・ガリレイの 生涯の解説に一つの章を割いてくることである(第I部3章「ガリレオと その時代」田中一郎著)。これは、 つい最近読んだ山本義隆の科学史の本でガリレオの評価が比較的低いのと 対照的である。たとえば、宇宙の研究に対する態度の評価を見てみよう。 本書では「宇宙つまり自然の研究は数学を用いて行われるべきであり、 自然の規則性は数式で表されなければならないという、現在の私たちと 同じ考え(p.85)」と書いて良い評価を与えてある。これに対し、山本本では、 ガリレイが天体の運動に関してはアリストテレスの観念をそのまま踏襲して いることを指摘し (pp.742-743)、「ケプラー全集」の編者マックス・カスパーの 文を引いて「ガリレイは天体力学という観念を捉えるのに完全に失敗した」(p.747) とにべもない。ひとことで言えば、「ガリレイは、遠隔力としての重力を 受け入れるにはあまりにも合理的精神の持主でありすぎた(pp.736-737)」。 この点に関しては、山本本の方が詳しいせいもあって説得力が高い。 本書では、ガリレオに焦点を当てすぎているために、相対的にガリレオを 持ち上げすぎという感じがする。

2つ目は、日本の原子物理学・素粒子物理学の発展が第III部の 2つの章に渡って詳しく書かれていることである(4章「戦前期 日本の原子物理学」岡本拓司著、5章「素粒子物理学の発展 ―湯川・朝永・坂田からの展開を中心として」小林昭三著)。 4章では、長岡半太郎、仁科芳雄、菊池正士、朝永振一郎、湯川秀樹、坂田昌一 の研究が時代背景と共に紹介されている。5章では、素粒子研究の現在までの 発展を湯川、朝永、坂田が切り拓いた方向性からの展開として捉えている。 両方の章を通じて、湯川、朝永、坂田らがいかに偉かったかがわかるという わけである。

3つ目は、第III部6章で、量子力学の解釈の話が扱われていることである (「量子力学とは何か―解釈論争の歴史」)。本筋とは関係ないが、 私が初めてちゃんと認識したこととして、次のことがあった。すなわち、 波動関数は「存在確率」ではなく「発見確率」を表している。 このことはすでに確立されているのに、しばしば教科書では 存在確率という言い方がなされているということのようだ。

本書に対する少しの不満は、学問の発展と社会的背景や思想的背景の 関係の記述がちょっと薄いことだ。もちろんこのことは 著者も意識しているらしく、あとがきにも「物理学と世の中の関係についても、 あまり字数を割くことはできませんでした」とある。なので、 好みの問題ではあるのだが、私が最近科学史の話に持っている印象からすると、 バランスからして、物理学の学問内の話だけでなく周囲のことをもっと 入れておく方が良いような気がしている。