ブルバキとグロタンディーク
Amir D. Aczel 著、水谷淳 訳
日経 BP 社(発行)、日経 BP 出版センター(発売)
刊行:2007/10/22、刷:第1版第1刷
原題:The Artist and the Mathematician: The Story of Nicolas Bourbaki, the Genius Mathematician Who Never Existed
原出版社:Thunder's Mouth Press, Avalon Publishing Group
原著刊行:2006
福岡天神のジュンク堂書店福岡店で購入
読了:2012/05/18
ブルバキとその社会的影響を描いた本である。日本語の題名だと、ブルバキとグロタンディークを
対立させて描いてあるように見えるが、実際はそうではなくて、主にブルバキのことが書かれていて、
ブルバキの誕生を象徴する人物としてアンドレ・ヴェイユ、衰退を象徴する人物として
アレクサンドル・グロタンディークが対照的に描かれている。ヴェイユは恵まれた家庭に生まれ、
ブルバキの誕生のときのリーダーであった。グロタンディークは、少年時代は第二次世界大戦のため、
ひどく劣悪な環境で育った。ブルバキは、集合論を基礎にして、数学を厳密に再構成したものの、
時が経つと、集合論を基礎にしたことによるほころびが出てきた。
そのようなほころびの無い理論である圏論をグロタンディークが作ったが、ブルバキには
もはやそれを受け入れるエネルギーが無く、グロタンディークはブルバキと袂を分かった。
ブルバキの評伝としては、以前
マシャルの「ブルバキ」を読んだことがあった。もうどんなものだったか
あんまり覚えていないけれど、これにくらべて、本書は、構造主義への影響を詳しく書いてある点で
勉強になった。ブルバキのような抽象数学が構造主義の源泉の一つであることがよくわかるとともに、
そもそも構造主義の「構造」の意味がブルバキを背景として捉えることでよくわかった。
マシャルの本とこのアクゼルの本とに対する書評がアメリカ数学会のウェブ上にあった。
この書評の著者 Michael Atiyah によると、Aczel はグロタンディークの肩を持ち過ぎで、
ブルバキがグロタンディークの圏論を取り入れなかったのは誤りだったと Aczel が書いているのは
言い過ぎじゃないかとのことである。グロタンディークのような人柄はブルバキのような
集団作業には向いていないというのが、Atiyah の評価である。