九州帝国大学初代総長 山川健次郎 修養が広くなければ完全な士と云ふ可からず

九州大学百周年記念事業推進室 編
九州大学百周年記念事業推進室 [電子書籍]
刊行:2011/06(第2刷)
九州大学百周年記念事業該当ページで入手
読了:2012/08/26
九大百周年記念事業による初代総長山川健次郎の小冊子。 先日、某研究会で会津に行ったのを機に読んでみた。 山川は会津藩の家老の家に生まれ、会津戦争を生き延びた。 以前に評伝を読んでいたから、 なおさら親しみを持って読むことが出来た。

表紙にある「修養が広くなければ完全な士と云ふ可からず」は、山川が学生に行った訓示の一部で、 専門知識だけではなく教養が無いといかんよ、という意味である。この訓示の全文も掲載されている。 こういうことは今でも良く言われることではあるが、 大学の少ない明治時代なので「諸子の責任は重且大と云わんければならん」といった言葉にも彩られている。本当は今でも九大生にはこういう自覚を持ってもらわないといけないと思うけれど。

山川が九大総長時代に起こった「不敬言責事件」についても詳しく書かれている。 これは、ある鉄道員の自殺に関する山川の見解をめぐる事件である。 明治44年、天皇のお召し列車を入れ替え作業中に脱線させたことの責任を取って、鉄道員が自殺した。 その鉄道員の顕彰碑を福岡・玄洋社が建てようとした。 これに対し、山川は、自殺には賛成できない、顕彰碑には反対という意見を新聞に発表した。 今から見れば、当然の意見ではあるが、当時は問題となった。

会津若松市内では、宮泉銘醸という酒造会社の裏にある「山川三兄妹誕生の地」の看板を見てきた。 家老職の家だったから城のすぐ近くである。