Disney Frozen -- The Junior Novelization

Sarah Nathan・Sela Roman 翻案
Random House, New York
刊行:2013
福岡天神のジュンク堂福岡店で購入
読了:2014/06/28
大ヒット映画「アナと雪の女王」の予習(実際には、見る前に8割くらい読んで、見た後に残りの2割を読んだ)と 英語のお勉強のために読んでみた。本書はその映画を小説化したものである。

ところで、「Frozen」が「アナと雪の女王」のもとの英語の題である。 日本語で、たとえば「凍って」などと訳するとちょっとカッコ悪いので、「アナと雪の女王」にしたものと推測される。 英語だとなぜ「Frozen」がカッコ悪いと感じられないのかは私にはよく分からない。

「アナと雪の女王」は本当にうまくやっているなあと思う。 Let it Go の歌は無料でネット配布し、ヒットさせて、みんな映画に行きたいなあという気にさせる。 以下で分析するように、ストーリーも良くできているから、リピーターも現れる。 そして、これからはビデオ(DVD でもブルーレイでも規格はともかくとして)を大々的に売って行くのだろうと思う。 ついでに言えば、YouTube には無料配布されている歌の替え歌もごっそりあってなかなか楽しめる。

販売戦略はともかくとしても、中身もよくできている。まず、大事なことは、話が基本的にはこの手の物語の型に従っているということだ。 英雄物語には型があるというのを、私は最近、松岡正剛著「17歳のための世界と日本の見方」で知った。 それは Joseph Campbell というアメリカの神話学者の分析によるものだそうである。以下、「アナと雪の女王」に従ってあてはめてみる。

1. 旅立ち (separation)
Anna が Elsa 女王を追って北の山へと向かう。
2. 通過儀礼 (initiation) : 主人公は冒険の旅に出る。ここで助言者が現れて、その助言に従って冒険を続けてゆくと「隠れた父」との出会いが待っている。 その後、闘いがあって、主人公が勝利を収める。
Anna は、山で艱難辛苦を経験する。助言者の役割をしているのが氷を山から取ってきて街で売る山男の Kristoff で、 「隠れた父」は、山にいる石の化身族 troll の長老である Pabbie である。
3. 帰還 (return)
この物語では闘いの後に帰還が来るのではなく、王宮に戻ってきてから悪役 Hans と闘って勝利を収め、後は自然に王女としての生活が待っている。
このように「帰還」部に少し違いはあるけれども、基本的にはやはり母型に則っていると言ってよいと思う。

「アナと雪の女王」の場合は、これに「シンデレラ」の要素が混合されている。シンデレラに相当するのは Elsa 女王である。 これもシンデレラと比較してみると、

不幸な幼少時代
Elsa は、自分が持っている「まわりのものを凍らせる」という魔法のために、王宮から一歩も外へ出られない幽閉生活を送る。
王宮での舞踏会
Elsa は成人したので女王になり、その戴冠式の後で舞踏会が開かれる。
舞踏会からの逃走(シンデレラの場合は12時になるとと魔法が解けるので)
自らの危険な魔法を皆の前で見せる羽目になったので、Elsa は北の山に逃げる。
王妃となってめでたしめでたし
Anna の Elsa への愛のおかげで魔法がコントロール可能なものになり、Elsa は無事晴れて女王になる。
という具合にほぼ一致した型に則っている。

というわけで、おそらく意識的だと思うけれど、この Frozen は、Anna をヒロインに、Elsa をシンデレラにした物語であって、 英雄物語とシンデレラという2つの型を巧みに合成して作り上げられている。もちろん、当然ヒットするわけである。 さらには、Olaf という道化役を入れて笑いを取るのも忘れていないし、もちろん映像も CG を駆使して美しい。 主題歌の Let It Go がシンコペーションを多用しすぎているのが気にならなくもないけど、映画物語製作の技巧を駆使して 作り上げられた名作であると言える、と思う。このように、おそらく組織的に売れる物語の構造を研究し、 形にしてゆくのはアメリカ文化の強さを示していると思う。日本にもアニメの名作はいろいろあるけれど、 骨格の部分は作者の個人技に頼っている感じがあって、それは良さでもあるけど欠点でもあると感じる。

YouTube(元はラジオ番組「伊集院光 深夜の馬鹿力」4/30 らしい)で伊集院光が、「アナと雪の女王」を酷評していた。 曰く「悪いところが一切ない。良いところが一切ない。こんな毒にも薬にもならない映画を久々に観たな」 「見どころを一か所。雪のサクサク感」。これらは要するに、上で書いたような型通りに造りこまれたところが 気に入らないということだと思う。ま、これは見方の違いで、この組織的な技巧に感銘を受けるかどうかってとこですね。 私は、分析的に見てゆける技巧も結構好きということで。

あと、洒落たところとしては伏線の入れ方がある。最初の方で Anna が Elsa の魔法で頭をやられて、Pabbie に治してもらうとき、 Pabbie は、

You are lucky it wasn't her heart that was struck. The heart is not so easily changed, but the head can be persuaded.
当たったのが心臓でなくて良かった。心はなかなか取り替えられないけれど、頭は手なずけられる。
と言っていた。後の方で、今度は心臓をやられたときの Pabbie の言葉は
If it were in her head, that would be easy. But only an act of true love can thaw a frozen heart.
頭だったら簡単だったのに。凍った心を融かせるのは、真の愛がこもった行いしかないんだよ。
であった。この鮮やかな対照が物語に芯を入れている。ところで、英語だと「心」も「心臓」も heart だから良いけど、 訳すときはどっちにするか迷ってしまう。

小説化の方は、映画に忠実に沿っている。歌が入っておらず、すべて説明的に書いてあるのが違いと言えば違いである。 Let it go の歌も、以下のような説明に置き換えられている。

But a tiny part of her also felt relieved. Her magic had been a hard secret to keep, and she didn't have to hide it anymore. Being alone was easier, too. She didn't have to worry about hurting anyone. (以下略)
でも、彼女は心の底でちょっと気持ちが楽になっていた。いままではずっと苦労して魔法を秘密にしてきたけど、もう隠さなくてよくなった。 一人ぼっちなのもかえって気が楽だ。もうだれを傷付ける心配もしなくてよいから。
英語の勉強になったところをひとつだけ。これはたまたま映画を見る直前に読んで、ちょっと意味が取れずに、 映画を見て意味が分かったので憶えているというだけのことだが。
I figured after we married, I'd have to stage a little accident for Elsa.
ぼくたちが結婚したら、エルサをちょっとした事故に巻き込んで(殺して)やらなきゃと思ってたのさ。
Hans が悪者ぶりを見せる場面で言ったセリフである。ポイントは stage が「企てる」の意味であるということである。